音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

    

カーディ・B( Cardi B)に学ぶ、SNS時代は人格から人気が出る説

20180513

中村明美「カーディ・Bを紹介したいと思います。ニューヨーク出身の25歳なんですけれども、去年発売したBodak Yellowがビルボードのヒットチャートの1位を獲得して、ヒップホップのソロ女性アーティストとしてはなんと、1998年のローリン・ヒル(Lauryn Hill)以来というすばらしい快挙を達成した新人です。満を持して今年デビュー作を発表したのですが、それも1位を獲得するという大スターなんですけれども、彼女の何がすごいのかというと、簡単に言ってしまえばミレニアムを象徴するようなスターであるということです。そもそもデビューしたのも、ミックステープを発表したということでもなく、なんとInstagramから出てきたというところが今どきという感じなんですけれども、Instagramの中で何が人気を得た理由かと言いますと、普通Instagramはフィルターをかけて自分の実際の生活をより美しく演出して見せて競い合うような場所だったんですけれども、彼女の場合はフィルターなしの態度というのが人気を得た理由でして、それが衝撃的でした。もともとはニューヨークのすごく荒れた地域の出身で、彼女自身はラッパーをやる前はストリッパーをやっていたという生い立ちだったんですけれども、そういうことを否定するわけでもなく、痛々しく披露するわけでもなく、影があるわけでもなく、すごく堂々と等身大で、自分が自分らしくあることが良いんだということをアピールして、その自分を肯定しているところが圧倒的に新しかったんです。それは今の全体的な流れを考えてみても、例えばビヨンセ(Beyonce)などから始まって、MeToo運動などにもつながって、女性の人権や女性のエンパワーメントにつながって、彼女は彼女らしく自分を肯定しているところが素敵だなぁという所につながって、人格から人気が出たというすごく面白い経緯なんです。その後リアリティーテレビなんかにも出演して、そこでまた人気を獲得したんですが、それではラップの実力はどうなんだというと、彼女自身ラップの歴史なんかを非常に勉強しておりまして、ミスティ・エリオット(Misty Elliott)が大好きだったなどと言っていて、新しいアルバムを聴いていただければわかりますけれども、フックが非常に強烈で、どの曲を聴いてもパンチがあるすばらしいラップを披露していると同時に、チャンス・ザ・ラッパー(Chance The Rapper)などすごい面子が参加しているんですけれども、やはり彼女のラップが一番聞きどころであるということと、歌詞の内容も、例えばストリッパーの自分だけれども、ラップの世界でバカにしないでよねっていう所から、女性心を歌ったり、成功に対する祝福の事を歌ったり、それも自分らしくてチャーミングで、人生をエンジョイしているなぁというところがすごく人気だと思います。」

渋谷陽一「ミーゴス(Migos)のメンバーとの結婚、妊娠、それからありとあらゆる曲へのフューチャリングアーティストとしての登場と、いろいろな意味でシーンを象徴するというか、今のヒップホップシーンを代表するアーティストという感じですよね。」

中村「そうですね。ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)とスタイルがよく比べられるんですが、彼女はずば抜けた才能があったにもかかわらず、どこかのシーンにフィットしようとしすぎて、彼女らしさが見えなくなってしまったのに対して、カーディ・Bはこの間のコーチェラ・フェスティバルで妊娠したお腹を出してライブをしていたんですけれども、彼女はそれも自分をエンジョイして、自分らしくやっているところが素敵だなぁと思いました。」

渋谷「それではそのカーディ・Bのナンバーを聞いていただこうと思います。 I Like It。」



渋谷「カーディ・Bすばらしいですよね。新しい形の黒人女性の生き方のロールモデル的な形で、いろいろな音楽番組で語られていることが多くて、すごいなぁと。でも音楽もキャッチーですばらしいなぁと思いました。」

ギャズ・クームス (Gaz Coombes)に学ぶ、白人中流男性はいかに生きにくいか

20180506

児島由紀子「スーパーグラス (Supergrass)というブリット・ポップバンドを覚えていますか。」

渋谷陽一「懐かしいですね。」

児島「1990年代はヒットアルバムを6枚も出したすごい人気だったんですけれども、2000年代に解散して、それ以降メインソングライターだったギャズ・クームス (Gaz Coombes)はソロアーティストとして活躍しているんですよ。」

渋谷「そうなんですか。日本ではちょっと知らない人が多いと思いますけれども。」

児島「今回、5月に3作目のソロアルバムを出すんですよ。日本にも数年前ソロで行ったことがあるんですけれども。」

渋谷「そうなんですね。いわゆるクラブイベントみたいなものでちょっと来ましたね。」

児島「イギリスでは昔からこの人18歳でデビューしたにもかかわらず、ミュージシャンズミュージシャンで、ミュージシャン仲間にリスペクトされているアーティストなんですね。ソングライターとして非常に高く評価されているんですよ。今度のアルバムは英国の近代アーティストにGrayson Perryという人がいて、この人は本も書いているんですけれども、いわゆる中流白人男性、世界でいうアルファメイル、今の世界でアルファメイルとして生きていくことがどれだけ難しいかという本なんですけれども、その本にインスパイアされてたそうです。」

渋谷「中流白人男性は生きていくのが大変なんだ。」

児島「そうそう。ドナルド・トランプ(Donald Trump)とか、最近のセクハラ問題とかで、ちょっとした言葉や態度で攻撃される立場にいるわけですよ。中流白人男性というのは。それについて、近代男性はいかに生きにくいかという本なんですけれども、その本にインスパイアされて書いた曲が多いんだそうです。数年前に出た2ndアルバムは非常に高く評価されて、Mercury Prizeにノミネートされたりしたんですけれども、非常にリスペクトされているソロアーティストとして今活躍をしているんですね。出身はレディオヘッド(Radiohead)なんかと同じオックスフォード(Oxford)なんですけれども、ナイジェル・ゴッドリッチ(Nigel Godrich)とかあの辺からも非常にかわいがられている人物なんですね。スーパーグラス時代のキャピキャピしたイメージは本当に作っていたんだなってわかる、非常にシリアスなアーティストになっているんですよ。」

渋谷「成長したんですね。二曲ほど聞かせていただいたんですけれども、今のイギリスでの評価がリアルなものだなと感じられる、すごく高度なソングライティングと、コンテンポラリーな音の造形と、こんな人だったんだっていう感じですね。」

児島「昔のアイドル人気が信じられないような作風ですよね。」

渋谷「そうですね。そういう感じがしますね。Deep Pockets。」


日本シティ・ポップ史

20170314 ONGAKU NOMADで鹿野淳氏です。

1、シュガー・ベイブ

 今夜はRoad To Suchmosと題して、日本のシティ・ポップの歴史と流れをまとめてみるスペシャルプログラムです。まずはこの曲から始めましょう。1975年の曲です。シュガー・ベイブでDOWN TOWN。



 山下達郎さんを中心に、1973年に結成され1976年に解散。つまり、3年間しか活動していない、シュガー・ベイブというバンドがありました。このバンドには、山下達郎さんや大貫妙子さん、そして途中で脱退したメンバーとして伊藤銀次さんがいました。言ってみれば、ポップというものとサブカルチャーというものの曲者がみんなで集まって、東京という街のポップを新しく作ろうという発想を持って活動をされたんじゃないのかなと思います。当時でいうと、コード進行、そして歌のリズムの解釈とかが、R&Bでもないし、フォークでもないし、歌謡曲でもない、何でもないけど、でもソウルフルでもあり、非常に東京という街を象徴していて、ひねくれものの賛歌でもあるという、言ってみればサブカルポップの走りのような存在だったんじゃないかなと思います。このDOWN TOWNという曲は、バンドが終わってしまってもずっと歌い継がれ、語り継がれ、聞き継がれている楽曲で、EPOさんがカバーしていて、多分僕の予想では、これから50年後も東京の街でこの曲はどこかでかかり続けているんじゃないかなと思います。ちなみに、1975年4月にシングル、そして「SONGS」というアルバムに収録されている曲です。

2、暗黒大陸じゃがたら

 暗黒大陸じゃがたらでTango。


 江戸アケミさんを中心に1979年に活動を開始して、1990年に江戸アケミが亡くなってしまって、それによって終わりを迎えたというバンドです。このTangoという曲は、日本のロック史の中で伝説中の伝説のアルバムに1982年の「南蛮渡来」という作品があるんですが、これに入っています。このバンド史上この曲は最も短い曲なんです。このバンドは10分とか20分とかの曲が平気であって、インプロビゼーション的なものをレコーディングにもおさめていくし、ライブにもおさめていくし、その中ではレゲエとかパンクとかダブとかが縦横無尽に繰り広げられながら、クラブミュージックでもなければ、ライブハウスミュージックでもなければ、でもじゃがたらという部屋の音楽として、最高の踊れて官能的な音楽というものを作っていました。シティ・ポップって言われて違和感があると思うんですけれども、この人達ってものすごく曲者だったんですよ。例えば、バンドのメンバーでエマーソン北村さんという方がいたんですけれども、この方はMUTE BEATという日本で海外のレーベルと初めて契約をし、日本のレゲエの夜明けを作ったバンドのメンバーであったりもしているし、OTOさんというギタリストは近田春夫さんとヒップホップの草分け的なビブラストーンというバンドで活躍していたり、村田陽一さんというトロンボーンの方は未だにサポートトロンボーンのメンバーとしていろいろな所で第一線で活躍していて、ちなみに古畑任三郎の音楽はこの人が作っていたりします。さらに言うと、南流石さんというコーラスをしていたダンサーなんですけれども、この人は振付師で成功した人の草分け的な存在なんですよね。じゃがたらの振り付けも彼女がやっていて、じゃがたらというバンドがただのアングラバンドではなくて、メインストリームまではいかなかったんですけれども、楽しいアングラポップバンドにしたのも、彼女の振り付けが大きいと思うし、2012年には佐藤タイジと一緒にバンドを結成したりもしていて、つまり東京という街のジャンクさとコミュニケーションのアンダーグラウンドさというものを全部体現していった、しかもこの東京という街の新宿的なエグさというものを、山本寛斎の服を着たりして、ちゃんと華やかなものとして見せていった、なんとも言えないバンドなんですよね。僕は、日本のバンドで一番尊敬をしているのが、暗黒大陸じゃがたらなんですけども、それはどうしてかというと、東京というものを1980年代にちゃんと具体化したバンドはいなかったんじゃないかなと思う所が大きかったりします。

3、岡村靖幸

 岡村靖幸であの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう。



 岡村靖幸は19歳で作曲家としてデビューしているんですよ。渡辺美里さんに楽曲を書かれたりしていて、コーラスでも参加をして、1986年にシングルOut of Blueでデビューをしました。現在まで元気いっぱい活動しているアーティストなんですが、彼の代表曲あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろうは、1990年10月10日にリリースされた13枚目のシングルになっています。このシングルが入っているアルバム「家庭教師」というのも、日本の男性ソロシンガーのアルバムとしては、伝説的な部類に入るんじゃないかなと思います。岡村靖幸と言えば、日本の1980年代トレンディードラマ的な感じ、バブル的な感じ、そして同時にプリンス的な感じ、言ってみれば東京のバブルというものと、あの当時MTVという映像によって音楽が流行りだしたことから、いろいろな音楽とリズムというものが多様化していった、そういう時代に生まれた黒人ミュージシャンのカリスマですよねプリンスは、そういうところから影響を受けたアーティストとしても知られています。やっぱりシティー・ポップって、東京感と音楽自体へのストイックさ、さらに言うと恋愛が上手そうな音楽なんだけれども、実際にその人自身は恋愛ができないという悩みに苛まれているみたいな感覚、それでなぜかといえば真面目すぎるからというそういう所が、アーティストと音楽の背景に通じている所があるのかなって思います。岡村って、ずっと前から何で僕は恋愛できないんだろうってインタビュー中に僕は聞かれていたんです。それは自分の問題なんじゃないですかっていうと、いやそうじゃなくて僕は何年間も24時間岡村靖幸を演じているんです、だから僕のところに寄ってくる女の子はみんな僕のことを岡村靖幸だと思うから、岡村靖幸だと思って寄ってくる子に対して僕は恋愛できないんじゃないかと。そういう話を延々に続けてきたんですけれども、そういうねじ曲がって頭の中が混乱しているその混乱具合を、どれだけ音楽的にキレッキレの人がポップに演じるかというところがシティー・ポップという音楽の一つのキレだったりするんじゃないのかなと思います。

4、ORIGINAL LOVE

 ORIGINAL LOVEで月の裏で会いましょう。


 Suchmosというバンドが出てきたときに、35歳以上かな40歳以上かなの方々は、口々にORIGINAL LOVEの再来だね、YONCEを見て田島貴男が生まれ変わったみたいだねって言う人が多かったんですけれども、逆に言うとORIGINAL LOVEというのはものすごく東京ポップとしてそして日本のポップというものの一世を1990年代初頭に風靡したバンドだったんです。1986年に結成されましたが、1991年にメジャーデビューをしました。田島貴男というボーカルリストのある意味ソロユニットだったんですけれども、この方はピチカート・ファイヴのボーカリストとしても、ORIGINAL LOVEとしてメジャーデビューする前に活動しています。小西康陽さんが田島くんかっこいいと思って、バンドに思わず入れちゃったというそういう経緯があった上で、満を持してメジャーデビューするときに、メンバーがほとんど入れ替わっています。ORIGINAL LOVEのオリジナルメンバーって、高校生の時に同級生だった人間が二人もいるんですけれども、メジャーデビューで田島貴男を徹底的にスタイリッシュにかっこよく見せて、バブルの時代でこのカウンターミュージックでてっぺんを取るんだという風に、完璧な筋肉増強をしたんですね。それが見事に功を奏して、テレビの主題歌としてヒットし、しかも渋谷系という音楽の象徴だけれども、「俺は渋谷系じゃないよ」って田島貴男が言うと超かっこいいと、いろいろな所で渦が渦巻いていて、東京を中心に日本全国でこのオシャレな音楽が風靡されていったわけです。ちなみに渋谷系ってこの当時名前がついていたのは、渋谷のマンションに30部屋くらいあると、そのうち18部屋くらいがレコードショップだったみたいな、1980年代の終わりから1990年代の初頭の渋谷という街は、音楽に対して興味を持つことが一番ファッション的にハイセンスなんだというムーブメントを作った街だったわけです。そういう所で働いていたり、一週間に6日くらい行きずっぱりをしていた人たちが、自分の頭の中の偏差値とスキルを持って音楽を作っていった、そういう人達がムーブメントを作ったのが渋谷系と言う音楽です。当時HMVの渋谷店ができたんですよ。新星堂ではない、HMVとかタワーレコードとか外資のレコードショップができて、レコードショップに行くことがすごくかっこいいことだったんですよ。そういう時代の必然性みたいなものからもふくめて生まれたムーブメントだったと思います。

5、ピチカート・ファイヴ

 ピチカート・ファイヴでSWEET SOUL REVUE。


 渋谷系の神と言えば多分ピチカート・ファイヴなんじゃないかなと思いますが、田島貴男が脱退した後で入ったのが野宮真貴さん、この歌われている方です。小西康陽さんはこの野宮真貴さんのルックスを見て、野宮真貴さんを一番かっこよく見せる音楽を作ろうという風に音楽性が変わっていったら、ちょうどコロンビアに移籍をして、THE YELLOW MONKEYとかTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTと同じレーベルになって、すごいバズったんですよね。そして、この大ヒット曲ができました。ちなみにこの曲が入っている「ボサ・ノヴァ2001」というアルバムは、コーネリアスの小山田圭吾がプロデュースをしていて、渋谷系と言われる中でのアーティスト同士の交流がものすごく音楽を高みに持って行ったという記憶があります。この曲を聴いてもらえばわかる通り、黒人のリズム、黒人音楽のソウルをちゃんと日本人風に見事に解釈していく、イエローソウルという言葉が一番ふさわしいと思うんですが、そういう音楽をお一番妄想の中から手繰り寄せて完成させたのが小西康陽さん、そしてピチカート・ファイヴなんじゃないのかなと思います。アメリカでもデビューをしていて、本当にあの当時アメリカの音楽好きに知られていたのはピチカート・ファイヴだったんじゃないのかなと思うし、ロサンゼルスやニューヨークのレコードショップに行くと、窓際に貼ったあったりとかして、同時代のなかで注目を集めていたという記憶もあります。小西さんって、ニューヨークのデパートのバーニーズに行ったらこの曲がかかっていたので、店員の人に「これ俺が作ったんだよ」って言ったら、「あっそう、よかったね」ってあしらわれたというエピソードがあるんですけれども、日本というのはこの頃からオタクが強かったんだなぁと、そしてオタクの中にある脳内妄想というのは、時にリズムのようなフィジカルさを携えるんだなぁということを見事に体現している、名曲でございました。

6、小沢健二

 小沢健二で今夜はブギーバック。


 ORIGINAL LOVEの月の裏で会いましょうが1991年、ピチカート・ファイヴでSWEET SOUL REVUEが1993年、そしてこの曲が1994年。この曲が最終兵器でしたね。渋谷系というムーブメント、ムーブメントというのは裏があったり、サブカルチャーだからムーブメントって言われるんですけれども、この曲がバーッと行って小沢健二がお茶の間の存在になっていって、ムーブメントを終わらせたとも言えるのではないかと、そういう最終兵器のような強烈すぎる一曲でした。小沢健二といえばフリッパーズ・ギターのメンバーから始まって、言ってみれば元祖渋谷系ですよね。渋谷系以前にひとつそういう音楽が出てくる背景を作っていった人です。イギリスのネオアコの音楽が好きで、UKロックが好きで、UKロックは当時ブルー・アイド・ソウルというロックバンドがソウルミュージックをデフォルメするのが流行っていたんですがそれの影響もうけて、プライマル・スクリーム(Primal Scream)のアシッドハウスとかとも合わせて、フリッパーズ・ギターなりのソウルロックサイケデリアというものを音楽にしていきました。そのあとでソロになって、彼なりの背景というものをちゃんと持ちながら、どんどん日本の音楽の中でみんなの歌化していくなかで、この名曲も生まれました。スチャダラパーも下北沢のクラブZOOとかでライブをやっているような、当時はまだヒップホップという概念が日本の中で、Dragon AshとかRHYMESTERとかRIP SLYMEが出てくる以前ですから、ひょう面かしていない時代だったんですけれども、表面化していないから何でも歌えた、何でもリリックにできて、そういう時代の象徴のようなバンドで、そういう象徴のような人が小沢健二という人と合わさって、すごいハイブローな言葉の応酬をして、ハイブローすぎて言葉がポップになってしまったという名曲が、コロンブスの卵的な曲として生まれました。それがこの今夜はブギーバックという曲でした。当時インタビューで小沢くんが「もう書を捨て街に出ろ」っていう感じですよっていう話をしていたのが印象的で、全然書を捨ててないと思うんですね。この方は頭の中にある。でもその書というものが頭の中に、もう借りなくてもいいそういう自我が自分の中で出来上がった人間は、世の中に出て行って遊びまくって街を起こそうよというそういう気持ちだったと思うんですけれども、それの結晶が「Life」という名作のアルバムで、そういう彼がポップの革命者だったからこそずっとずっと小沢健二のことをみんな待ち続け、今年に入り19年ぶりとなる新曲をリリースし、これだけ祝福され、今年のフジロックも話題になっているという状態だったりします。

7、サニーデイ・サービス

 サニーデイ・サービスでスロウライダー。


 先ほどの小沢健二の名作アルバム「Life」がリリースされたのが1994年だったのですが、サニーデイ・サービスがデビューしたのが1995年。これにはものすごい因果があると思います。つまり、渋谷系というムーブメントの当事者たちの音楽、そして当事者である街の中で素人時代に影響を受けて、その街に憧れ続けた人達が、満を持してデビューしたきたのが、このサニーデイ・サービスあたりの1995年くらいからというのを、一つ象徴していると思います。曽我部くんは四国から出てきて、東京という街への憧れをもって、東京という街にずっぽりとはまって、自分の音楽を作っていました。だから彼の名作の中には「東京」というタイトルのアルバムもあるんですが、この曲スロウライダーは1999年にリリースされた11枚目のシングルとなります。この曲のラジオから聞こえてくるかすれた感じは、黒人音楽から影響を受けていった渋谷系という音楽とか、東京の街のオシャレポップというこの感覚を、オルタナティブロック感というかグランジロック感で汚していくという、ある意味1990年代後半のロックバンドの流れがちゃんと組み込まれているなと思います。それこそサニーデイ・サービスも、はちみつぱいとかシュガー・ベイブとかはっぴいえんどとかそういう人達から影響を受けて、それから渋谷系の影響も受けて、日本の音楽のロックライブラリーを全部絵巻にして、自分たちの音楽にしてアップデートしていったバンドでもあるんですが、その感覚が遺憾なく発揮された、まさにネオシティ・ポップというものを1990年代後半に作り上げた名曲、そして名バンドなんじゃないかなと思います。

8、ペトロールズ

 ペトロールズでFuel。


 AORという音楽がありますよね。アメリカ西海岸を中心に、バンド音楽でもあり、都会のアーバンミュージックでもあり、ソウルミュージックでもありながら、白人音楽でもあるという不思議な音楽で、代表的なのがスティーリー・ダン(Steely Dan)だったりするんですけれども、このAORは音楽が好きすぎて変態がやる音楽なんですね。自分たちの性とか世代的な背景とか時代的なものとか全然関係なく、ぶっちぎっていくとこういう音楽になっちゃったみたいな。ぶっちぎっちゃって狂気があるから、逆に洗練されているポップ、それがAORだと僕は思います。そして、ある意味今言った位置づけでいくと、日本の中で一番AORなのはペトロールズであり、この長岡亮介だったりするんじゃないかなぁと思ったりします。間違いなく今日本のミュージシャンが一番仕事を一緒にしたいアーティストが、この長岡亮介ですが、椎名林檎さんと星野源が囲っていますから、なかなかいろいろやれないんですけれども、最近だとTHE BAWDIESのプロデュースとかいろいろされていますが、長岡亮介の脳みその中を音楽的なCTスキャンしてみたいなと思います。

9、cero

 ceroでSummer Soul。


 フルートの入り方が絶妙ですよね。フルートをバンドの中にちゃんと浸透するように入れられたら一人前なんじゃないかなぁと、フルートってある意味リトマス試験紙みたいなものだと思うんですけれども、Summer Soulは2015年5月27日発売の3rdアルバム「Obscure Ride」に収録されている曲です。ceroはメンバーが阿佐ヶ谷でRojiというカフェバーをやっていたりとか、ある意味渋谷系的な感じというか、街の中で音楽というものと日常というものをちゃんとつなげ合わせて、そこの中から出てきた日々というものを、ちゃんと音楽にしていき、そして無限の宇宙へ、こういうネット時代だからちゃんと飛び散っていくという、そういう音楽なんじゃないかなぁと思います。この音楽から聞こえてくるものって、僕は仲間だと思います。ある意味シティ・ポップって言われているものって、バンドでもない、ビジネスでもない、でも絆っていうほど暑苦しいものでもない、仲間って言う感覚をちゃんと音楽にして、作っているときはすごい状態だと思うんですけれども、でもその音楽を聴く人に対してはいたって日常的な、感情が高すぎるものでもない、低すぎるものでもない、そこの中間にある層をちゃんと音楽で埋めていくっていうことをポップに演じている、そういう音楽だと思います。

10、北園みなみ

 北園みなみでソフトポップ。


 2012年の夏にサウンドクラウドで発表した音源が話題となって、注目を浴びてデビューをしたという北園くんです。2014年10月22日にリリースしたデビュー作の「promenade」というミニアルバムがありましたが、その中の一曲目がこの曲だったわけです。この曲を聞いた瞬間に本当に血湧き肉躍ったって、クラシック音楽からこのポップミュージックまで、なぜ音楽は長い川を渡り続けて続いているのかの一つの回答だと思ったし、このストリングスの音が最高すぎない?それとともに、宅録の音楽が持っているブレインミュージックとしての豊かさみたいなものとか、ある意味ポップミュージックの哲学みたいなものがこの曲に表れているんじゃないかなぁって思ったんですよ。この人は全部楽器は自分でやっていますから。しかもベーシストなんです。この北園くんと、Suchmosで一番曲を作っているのはHSUっていうベーシストなんですけれども、このドラムでもない、打ち込みでもない、ベーシストが作っていくグルーヴの音楽って、これが一つのシティ・ポップのカギにもなっているんじゃないのかなぁと思います。北園くんは最近音沙汰がないですけれども、ものすごく天才ですから。ライブもやらないし姿も現さないんですけれども、インタビューを2回やったことがあるんですけれども、本当に音楽が好きな天才ですから、絶対に復活してほしいなぁと願っています。

11、Suchmos

 SuchmosでSTAY TUNE。


 もう説明する必要もないでしょうけれども、この音楽の裏にはものすごくたくさんの音楽、そしてカルチャー、そして東京というものがあるのです。
 
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