音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

    

アメリカン・ミュージックの系譜(12) スイング・ジャズからビバップへ

アメリカン・ミュージックの系譜第六回 講師は大和田俊之氏です。

1、意義

 ・1920年代に、ニューヨークのハーレム・ルネッサンス(Harlem Renaissance)の中で黒人文化に関心が集まっていって、だんだん1920年代、30年代と徐々に白人もこういう音楽に参入するようになってきて、1930年代半ばからスイング・ジャズという大人数の編成のビッグバンドのダンスミュージックが生まれてきます。非常に図式的にとらえると、1930年代までのスイング・ジャズと呼ばれるものは、基本的にはダンスミュージック、つまり人々を踊らせるための娯楽です。しかし、1940年代以降にビバップと呼ばれる運動がジャズの中で生まれてきますが、それ以後は座って鑑賞するものとなります。1930年代までのスイング・ジャズは芸能的で、1940年代以降のビバップやハードバップというジャズの中のサブジャンルは芸術としての地位を獲得していきます。1920年代のデューク・エリントンから1930年代のスイング・ジャズというのは、ティン・パン・アレイ(Tin Pan Alley)のシーンとほとんど重なっていると思ってください。スイング・ジャズは特にそうですけれども、スイング・ジャズとティン・パン・アレイは、当時のアメリカで最も売れているジャンル、つまり、一番メインストリームのジャンルです。ここを強調するのは、1940年代からのビバップやハードバップはアメリカのメインストリームの音楽では全くなくなります。芸術性は高いけど、大衆性はどんどん失われていきます。社会の中での1930年代から40年代のジャズの位置をきちんと把握していないと、同じジャズという音楽で語られていますけれども、だいぶニュアンスは異なっているんですね。スイング・ジャズは、グレン・ミラー(Glenn Miller)とか、ベニー・グッドマン(Benny Goodman)とか、白人の16人や18人編成のビッグバンドが華々しく、当時のアメリカの音楽シーンを代表する音楽として機能していました。ベニー・グッドマン楽団の代表的なナンバーでSing Sing Sing。



2、アメリカの民主主義の象徴としてのスイング・ジャズ

 (1)、ナチスとスイング・ジャズ

  ・スイング・ジャズというのは1930年代のアメリカの最もメインストリームの音楽になっていきますが、そのことによって国際政治的なやりとりに巻き込まれます。1930年代にヨーロッパではナチスが台頭していきます。ナチスはわりとスイング・ジャズを忌み嫌っていて、スイング・ジャズのことを「ユダヤ人と黒人による非常に忌まわしい音楽である」という風に評していました。これもなぜユダヤ人が出てくるのかと思われるかもしれませんが、当時のスイング・ジャズのシーンがティン・パン・アレイのシーンとオーバーラップしているもので、ティン・パン・アレイの主だった作曲家はユダヤ人系であったということですね。ですので、当時の文脈でいけばナチスがスイング・ジャズを「ユダヤ人と黒人による非常に忌まわしい音楽」と評しているのは、至極納得がいくわけです。

 (2)、アメリカの民主主義の象徴としてのスイング・ジャズ

  ・ナチスのこのような批評がある一方で、アメリカはアメリカでジョン・ハモンド(John Hammond)というベニー・グッドマンを発掘した批評家というかプロデューサーが、アメリカの民主主義そのものをスイング・ジャズが体現していると言いました。スイング・ジャズというのは基本的にフロアでみんなが踊っていて、ビッグバンドが演奏しているということですけれども、途中でクラリネットとかサックスフォンの奏者の短い即興のソロ演奏があったりするんですね。ジョン・ハモンドは、短い即興演奏と全体のアンサンブルが、個人主義と調和をあらわしていて、それはアメリカの民主主義の多様性と調和を体現しているという言い方をしていて、当時は白人のバンドと黒人のバンドが分かれていたんですけれども、積極的にベニー・グッドマンのオーケストラにライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)など黒人ミュージシャンを入れるように進言したり、いろいろな人種がいるバンドを推奨しました。

3、スイング・ジャズからビバップへ

 (1)、ビバップの誕生

  ・続いて、どうやってビバップが誕生したのかということです。スイング・ジャズが流行していて、ニューヨークのミッドタウンであるとかハーレムの方で、ビッグバンドがこのような演奏を夜な夜な繰り広げていました。演奏を終えたミュージシャン、特にアフリカ系アメリカ人のミュージシャン達は、ミッドタウンなどは自分のホームの感覚がしないので、一杯飲むためにハーレムに戻っていくんですけれども、深夜にハーレムの飲み屋、例えばミントンズ・プレイハウス(Minton's Playhouse)だったりするんですけれども、そこでお酒が入っている状態で、先ほど言ったスイング・ジャズの短いソロ回しを肥大化させたようなセッションを、自然発生的に行っていました。また、最初は見ている人もミュージシャンでした。そして、これは非常にゲーム性が強い音楽で、見ている人もミュージシャンですから、ソロでどういうことをしているのかも分かるわけですね。そうすると、ちょっと意図的に不協和音的な音を混ぜるんだけれども、それが逆にかっこよく聞こえたみたいなことが、見ている人もやっている人もミュージシャンなので分かるわけです。アイツはソロがうまいねとか、アイツのソロはものすごく早く弾くことができるねとか、アイツは早くはないけれども一音一音に非常に特徴があるねとか。そういうセッションの評判が口コミでニューヨークに広まっていって、そうすると腕に覚えのあるミュージシャンがなんとなくニューヨークに集まってきて、俺もそのゲームに参加したいと。そういう時に、迎え入れる側のホストとなっているバンドは、新入りが入ってきたから、いつもの速さの三倍くらいでやろうということで、突然目くばせをしてものすごいスピードで演奏をしてしまいます。そうすると、いつものテンポだったらソロが吹けたのに、さすがに三倍の速さになると自分が楽譜のどこを演奏しているのか分からなくなって、まったくソロが出来なくなって、そうなるともう一回出直してこいっていう感じになったりするんですね。あるいは、和音の進行がありますけれども、和音を音楽理論的に操作することによって、音楽理論を分かっていないと楽譜上で見失ってしまってソロができなくなってしまう、ソロができないことはカッコ悪いことなので、仲間内からあいつはヘタクソなやつだと思われてしまって、もう一回練習をしてまたセッションに戻っていくという、非常にゲーム性が高いというか、ゲームというからにはどうしたら勝てるのかというと、もちろんギャラリーを沸かせた人が勝ちなわけですね。アイツ32小節でこんなカッコいいことをやった、アイツはすごいぞということが、ミュージシャン同士での評価のし合いがあって、評価が高まっていく人と下がっていく人がいて、評価のされ方も先ほど言ったようにさまざまな評価の基準があって、いろいろな意味で即興演奏を中心としたゲームが、ニューヨークでいうとハーレムのミントンズ・プレイハウスなどのお店を中心に繰り広げられるようになります。

 (2)、スイング・ジャズの衰退とビバップの隆盛

  ・大事なのは、スイング・ジャズはスイング・ジャズとしてずっとあるわけですね。スイング・ジャズは流行っているんですけれども、夜の打ち上げ的な中で、ハーレムを中心とした場所でそういったセッションが繰り広げられていて、それが徐々に白人の音楽ライターであったり音楽評論家であったりレコード会社の人間であったりメディアに感付かれて、だんだんそれがレコーディングされていったりします。しかし、これとスイング・ジャズがだんだん衰退していくことは関係がありません。1929年に世界恐慌があって、これで大きな編成のバンドが維持できなくなっていくわけです。これで、大きな編成のバンドは衰退していって、スイング・ジャズが衰退していくのと、ビバップと言われる音楽実践が盛り上がっていくのが、なんとなく関連付けられていくような気がしますけれども、それはあまり関係がなくて、メディアがビバップに注目するようになっていったということなんですね。

アメリカン・ミュージックの系譜(11) ジャズとハーレム・ルネサンス

アメリカン・ミュージックの系譜第六回 講師は大和田俊之氏です。

 ニューヨークのシーンについて少しお話しすると、1920年代に入ってハーレム・ルネサンス(Harlem Renaissance)という運動が起こります。これはアフリカ系アメリカ人の文化に注目が集まって、黒人の作家であるとか、思想家であるとか、そういった人たちの作品がカルチャーの領域で非常に脚光を浴びます。このような黒人文化が脚光を浴びるというのは、ハーレム・ルネッサンスについては両義的な評価があって、デューク・エリントン(Duke Ellington)というアフリカ系アメリカ人のアメリカで最も偉大な音楽家だという人もいますが、ジャングルスタイルみたいな音楽を作っていくわけです。ジャズ的なフォーマットにのっとって、ジャングルミュージック、黒人であるデューク・エリントンがジャングルスタイルと言う音楽をわざと作っていくというのは、言ってみれば白人が持っている黒人のステレオタイプを自ら演じているわけですね。白人にとって黒人はある種野蛮で、野蛮であるがゆえにある種エキゾティックで、白人の理性的で洗練されたものではない魅力があるというステレオタイプを、アフリカ系アメリカ人の作曲家であるデューク・エリントンが自らそれにのって、あなたたちは私達をジャングルっぽいと思っているんでしょ、だったらジャングルミュージックをやりますよという風に演じている側面があるんですね。白人が持っている黒人に対するステレオタイプと、黒人自身がマジョリティーに対してそのステレオタイプを修正したり、ある時はそれを受け入れたりしながら、その間に黒人音楽という、半分真実で半分虚構のようなものが生まれるという、まさにそのプロセスとしてジャングルミュージック、デューク・エリントンのこの時期の音楽をとらえることができるのではないかと思います。デューク・エリントンのジャングルミュージックと言われるスタイルのその最初の曲の一つと言われていますけれども、East St. Louis Toodle-Ooという曲を聞いていただきます。



 管楽器の使い方にジャングルっぽさが現れているのが分かると思います。1920年代に、ニューヨークのハーレム・ルネッサンスの中で黒人文化に関心が集まっていって、だんだん1920年代、30年代と徐々に白人もこういう音楽に参入するようになってきて、1930年代半ばからスイング・ジャズという大人数の編成のビッグバンドのダンスミュージックが生まれてきます。

アメリカン・ミュージックの系譜(10) ジャズの誕生 

アメリカン・ミュージックの系譜第六回 講師は大和田俊之氏です。

1、意義

 ・20世紀のアメリカの生まれた音楽の中でも、ジャズという音楽ジャンルは特別だと思います。音楽ジャンルだけではなくて、他の隣接する文化や芸術にも影響を及ぼし合ったり、非常に20世紀半ばの文化の一つの重要なものとしてジャズをとらえることができると思います。アメリカ本国でもジャズ研究は進んでおります。

2、ジャズの誕生

 (1)、通説的な説明

  ・ジャズは19世紀末から20世紀初頭くらいにアメリカ南部のニューオリンズという町で生まれて、それが広がっていったという事が定説になっています。ニューオリンズという町は、スペイン領、フランス領とアングロサクソンではなくてラテン系の植民地であった時代が長くて、アメリカ南部の町ではちょと特異な制度を用いていました。基本的にアメリカ南部の他の町というのは、白人の主人がいて黒人の奴隷がいたという二層構造になっていたんですけれども、ニューオリンズではその間にクレオールと呼ばれる人たちがいて、三層構造になっていました。1861年から1865年の南北戦争があって北軍が勝ち、しばらく南部を支配します。この支配したときにニューオリンズだけ特別扱いをしませんでした。この時、ニューオリンズの真ん中のクレオールの人たちは、相対的に黒人扱いをされるようになってしまいます。南北戦争で名目的に黒人奴隷は解放されたにもかからわず、社会の中での位置づけは相対的に低くなってしまいます。これはアメリカ全体にワンドロップ・ルールといって、一滴でも黒人の血が流れていれば黒人扱いされるというのが、アメリカ南部の基本的なルールだったので、クレオールの人たちも混血だったので黒人扱いされるようになります。それまでクレオールの人たちは中産階級を形成していて、ヨーロッパ的な音楽教育であったり、そういったものを受けていた人も結構いたんですけれども、南北戦争後に相対的に階級が低くなってしまうことによって、そういった人たちの音楽活動が場末の飲み屋みたいな所にいくようになって、そこで西洋的な音楽的トレーニングをうけた人たちによるわりと土着的な音楽としてジャズが生まれた、というのが一般的なジャズ誕生のストーリーであり、日本語の本でもまだこのように書かれている本が多いと思います。

 (2)、通説に対する批判
 
  ・しかし、現在、アメリカのジャズ研究の進展を見ていると、ジャズ誕生の物語が少し危うくなってきています。多分これはこれで間違ってはいないんでしょうけれども、では何をもってジャズというのか、当時の人はまだジャズという言葉を使っていなかったわけですね。1910年代くらいまでジャズという言葉は出てこないので、何をもってジャズとするのかという問題があります。ちょっとシンコペーションがあるダンスミュージックととらえると、もちろんニューオリンズでそういうことがあったのは確かだけれども、ニューオリング以外でもそういった音楽は生まれていただろうともいえるわけで、ではニューオリンズのみを特別扱いする意味は何なのかということになります。歴史をどう見るかによって、ジャズ誕生の語り口が割と変化してくるわけです。つまり、アメリカの他の地域でも同じようなことが起きていたのではないのかということです。そして、その同じような事と言うのは簡単にいうと、既成の曲を崩して演奏するということですね。お酒が入るような場所での音楽実践ですので、客を楽しませるためにみんなが知っている曲をちょっと崩して演奏する、それをジャズとするのであれば、それはニューオリンズに限らなかっただろうという研究者も結構増えています。だから、何をもってジャズとするのかということから、なかなかジャズ誕生の物語が変わってきます。物の見方が問われていると言ってもいいかもしれません。

3、最初のジャズ録音

 ・ジャズに関して、最初のレコーディングと言われるものがあります。オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band)と言われる5人組の演奏です。1917年です。ニューオリンズ出身の若者達ですが、これはニューヨーク録音なんですね。ニューヨークのレストランで演奏している所をレコード会社の人間に目をつけられて、録音することになりました。これがジャズの最初の録音と言われています。Livery Stable Blues。



 Livery Stableだから厩ですね。途中で楽器を馬の鳴き声のようにやっている所があったと思うんですけれども、楽器でこんなことをやるので、観客を盛り上げる要素が強いんです。しかも、ダンスミュージックとしても機能するということで、今でいう最先端のダンスミュージックがクラブで流行っていてそういったものとしてこういった音楽はとらえられていました。クラシック音楽のようにきちんと楽器を演奏するというイメージを持つ人が多い中で、動物の鳴きまねをする、しかもよく聞くとテクニックはあるっぽいという若者達のダンスミュージックが、ニューヨークの小じゃれたレストランで演奏されているということで、これをレコード会社の人が目をつけて録音され、新しいものとしてニューヨークのリスナーを魅了したんだろうと思います。

4、ジャズの普及

 ・このジャズ最初の録音は1917年にレコーディングされているんですけれども、1917年というのは、第一次世界大戦にアメリカが参戦する年なんですね。参戦するとニューオリンズは軍港になります。軍港になると整備されて、ミュージシャン達はカンサスシティーやニューヨークにどんどん散らばっていくという風に語られます。ただし、最初の前提が崩れると、もともと地方にそういったミュージシャンはいたのではないのかという風に語り口が変わるかもしれませんが、とにかく1917年にニューオリンズの港が閉鎖されて、ミュージシャンが大都市に行きました。そして、それぞれの町でこういった音楽が広がっていくわけですね。だんだん編成も大きくなって、ビックバンドと呼ばれるような編成になっていって、デューク・エリントン(Duke Ellington)とか、カウント・ベイシー(Count Basie)とかそういった人たちのバンドが、ニューヨーク、カンサスシティー、シカゴといった町で流行していくわけですね。
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