音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

    

日本ポップス伝(1) TRFから鹿鳴館へダンスミュージックの歴史を遡る

1995年 大瀧詠一の日本ポップス伝第一夜より



 一曲目にかかりました曲は、TRFの「BOY MEETS GIRL」という歌です。今聞いてみて、これが洋楽だとか邦楽だとかそういうような意識では聞いてないでしょう。普通に今のヒットしている曲だということで、これが何百万枚も売れるというのが、今の音楽の象徴だと思ってこれを選んだわけです。ここに到達するまでにはそれぞれ長い歴史があるので、本日はここに来るまでにどういうような音楽があったのかということを、いろいろ聞いていこうと思います。これはダンスミュージックのリズムですよね。踊りはいつの世の中にもあるものですけれども、1980年代にもいろいろありましたけれども、その中からこの曲を選んでみました。



 「Shake Your Booty」という曲だったんですけれども、こういうようなダンスミュージックもヒットしたんですけれども、20年くらい前に1970年代中期にもまたディスコブームというのがあったんですよ。



 これはこの頃「Saturday Night Fever」というのがヒットして、フィーバーするっていうのが一つの流行語になったんですよ。ディスコっていうのが流行って、こういう音楽が流行ったんですけれども、リズムのタイプは「Shake Your Booty」とあまり違っている感じはしません。これが「Stayin' Alive」ですね。1970年代中期にはこういうディスコのサウンドが流行ったんですけれども、そのまた昔、1960年代中期から後期にディスコがブームだった時期があって、その頃にヒットしていた感じの曲はこういう感じの曲だったんです。



 これはSam & Daveの「Hold On, I'm Comin'」という曲ですけれども、こういうタイプの曲がヒットしました。でも、基本的にはさっきのサウンドよりはゆっくりとしたテンポですけれども、基本のビートは黒人の人たちのうねりといいますか、彼らがもっているダンスサウンドを踊っているという、そういうサウンドだったんです。それが1960年代の中期だったんですけれども、1960年代中期はものすごくいっぱいダンスがありまして、猿の真似をするモンキーダンスとか、馬の真似をするホースとか、サーフィンからスイムとか、スイムの場合は平泳ぎです。1960年代初期もいろいろなダンスのヒットがありました。



 これは「The Loco-Motion」という有名な曲ですけれども、どういう風に踊るのかというと、汽車ぽっぽですか。車輪のようにやってグルグル回るんですよ。この頃は「The Loco-Motion」の他には、食べ物のマッシュポテトというダンスもあったり、マッシュポテトの第二弾がグレイビーといいまして、マッシュポテトにかけるソースとかいくらでもあるんですよ。ハエのフライとか。とにかくいろいろなダンスがあったんです。1960年代初頭に一番大ヒットした踊りがあるんですけれども、それはアメリカで作ったものがフランスにいって、フランスから逆輸入したというのがあるんです。だいたいディスコティックというのは、フランス語なんですよね。それでフランスから逆輸入されてアメリカで流行って、日本にも来ましたけれども、1960年代の最大のダンスのヒット曲がこれでした。



 これはツイストというんですけれども、ツイストと言うくらいですから捻るんですね。これは腰を捻るんです。これはとにかくみんな腰を捻ったんです。それで腰を悪くして老人が病院に担ぎ込まれたりして、おじいさんやおばあさんにツイストの踊り方を教える時は、背中で乾布摩擦をする要領だと教えたんです。日本で大ヒットした証拠に、当時マイトガイと呼ばれた小林旭さんと美空ひばりさんが、自分でツイストをオリジナルで作っているというくらいに大ヒットしたのでございました。「アキラでツイスト」「ひばりのツイスト」。



 1950年代の半ばといいますと、ラテンミュージックがアメリカでも日本でも流行ったんですけれども、1950年代中期にラテンのリズムで大ヒットしたものがありました。



 ペレス・プラード楽団の「Mambo No.5」。マンボがこの頃はやって、ラテンはルンバだとか、チャチャチャだとかそういうのが1950年代中期なんです。ここでちょうど戦争がありまして、戦前に踊りというのは、ビッグバンドがバックでいろいろな踊りがあったわけです。ジャズと言われていましたけれども、戦前のサウンドを聞いてみましょう。



 ベニー・グッドマン楽団のあまりにも有名な「Sing Sing Sing」という曲ですけれども、こういうのに合わせて派手に動いていたんですよね。これが戦前の代表的なナンバーですけれども、もう一つ戦前の代表的なナンバーを聞いてみましょう。



 グレン・ミラー楽団の「In the Mood」という曲でして、終わるかなぁと思うと始まるというのは、ダンスをしている人、観客とのコミュニケーションですね。こういうようなビッグバンドのスタイルが戦前はあったわけですね。そのまたちょっと前に流行っていた踊りにはチャールストンというのがあります。「五匹のこぶたとチャールストン」という童謡もありますが、片足づつ後ろの方にあげるんですよ。

 これが「Charleston」という曲です。タップダンスとかも流行しますし、チャールストンのような踊りもありますし、基本的にはソーシャルダンスみたいな感じで、最後は必ずワルツがかかって終わるというような、そういうのが一つの戦前のスタイルだったんですけれども、この更に前となると、庶民が娯楽場で踊るというスタイルはないんですよ。あったのは、上流階級の人達があるまって舞踏会とか、そういうものになるんですよ。これは世界的にそうなんですよ。我が日本でも舞踏会というものが開かれました。最初の舞踏会が開かれたのは、有名な鹿鳴館になりますね。そこで日本最初の舞踏会というものが開かれました。そこで初めて洋楽なるものが一般に浸透するまではいかないけれども、聞かれるようになります。この鹿鳴館を中心に、日本のこのスタイルの音楽がスタートします。一挙に70、80年を、ダンスミュージックを遡ることによってやってみたのでございました。

R.E.M.、初来日の悲劇

20170221 ONGAKU NOMADで鹿野淳氏です。

 オルタナティブロック以降、最もアメリカの偉大なるバンドと言われているR.E.M.。ニルヴァーナ (Nirvana)もレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)もみんなみんな尊敬しているバンドです。このバンドは1984年に初来日をしているんです。2枚アルバムを出していて、当時「Murmur 」っていうアルバムだったかな、これがローリングストーンズ誌の年間ベストアルバムをとったという時期だったんですけれども、日本では全く人気がありませんでした。だから、初来日をしたのも早稲田大学の学祭だったんです。しかも体育館ではなくて、机とか椅子がある教室でライブをやって、前座が当時早稲田大学在校生だった爆風スランプ。爆風スランプはデビューの瞬間だったんですけれども、R.E.M.のクールなライブとは全然違っていました。そして、爆風スランプが出てきて、イケイケだったので、「俺たちの学校でアメリカの野郎の前座をなんで俺たちがやらなきゃいけないんだよ」って言って、当時のライブはいろいろ暴れまくるというのがパフォーマンスとしてあったんですけれども、サンプラザ中野さんは頭の上で花火を打つは、爆竹を打つわ、もう教室中暴れまわって机とか椅子とか壊しまくっちゃって、R.E.M.が出てくるまで2時間かかりました。そして、お客さんも爆風スランプに煽られて盛り上がるわけです。早稲田大学から在校生のままデビューしていった爆風スランプというバンドが出てきて「アメリカ人の前座の俺たちがライブ潰すぜ」みたいな感じでやって、みんなは盛り上がるわけですよ。それをR.E.M.が好きな、約5分の1のファンが端っこからみんな悲しい目で見ていたわけです。僕もすごい悲しい目で見ていたんですけれども、当時オリジナルラブのギタリストの村中くんという人がおりまして、彼がすごい悲しそうな目でこの状況を見ていて、また音楽ジャーナリストの田中宗一郎もこのライブをすごい悲しい目で見ていたそうです。しかし、そういう人たち以外は非常に盛り上がって、2時間たって出て来たR.E.M.は一回も前を向かないでずっと下を向いて、まさにシューゲイザーですよね、自分のつま先をみながら40分くらいでライブが終わったんですよ。当時のR.E.M.はそういうライブをするバンドだったんだろうと思いますけれども。爆風スランプに荒らされた所で、荒れ地でライブをやっていく、これは何のための初来日だったのかなぁと。

ニュー・オーダー (New Order)の演奏が上達した理由とは?

20170221 ONGAKU NOMADで鹿野淳氏です。

 ニュー・オーダーでThe Perfect Kiss。



 ニュー・オーダーというマンチェスターが誇る偉大なる1980年代を代表するニューウェイブバンドがおります。このバンドは日本に初来日する前にカリスマ的な都市伝説のような話がかなりありました。ジョイ・ディヴィジョン (Joy Division) というバンドが前身にあって、ボーカルのイアン・カーティス(Ian Curtis)がアメリカのツアーに行く前日に自殺をしてしまいまして、バンドが途方に暮れて、その途方に暮れた中でBlue Mondayという得体のしれない、テクノなのかハウスなのかよくわからない曲を出したところ、ニューヨークからドイツからベルギーから世界中のディスコでブレイクしてしまって、すごいバンドがいるぞと日本でも話題になって、1985年に新宿厚生年金会館で2days、即日ソールドアウトになってしまいましたが、そのライブに行ったんです。すごいカッコいい人たちがすごいカッコいいライブをやるだろうなぁと思って行ったら、本当にヘタクソで、ビックリしました。ドラムのカミさんがキーボードをやっているんですけれども、指三本以上使えないんです。でも指三本使えばコードは押さえられるけど、指三本をいっぺんに押さえられないんですよ。だから、単音でほぼアナログシンセ特有のものでごまかしちゃうんですよ。「Low-Life」という名作アルバムが彼らにはあるんだけれども、それがリリースされるちょっと前の来日なので、このアルバムからの曲をいっぱいやっているんだけれども、ライブが終わって何か月間かして「Low-Life」のアルバムの曲を聞いても、あの曲がこの曲なのか、どの曲がどの曲だったのか全然分からなくて、本当にひどいライブでした。このThe Perfect Kissも、この声で歌ったのかといえば、声がうまく出ないから二番はオクターブ下で歌うんですよ。そしたらやっぱりテンション低いなぁと思って、また上で歌ってうまく歌えなくて、ひどいライブでしたね。ベースの人はコーラスっていうエフェクターがあるんですけれども、要するにワンワンさせるエフェクターなんですけれども、ベースというのはリズムを刻む楽器じゃないですか。上手い人がワンワンさせたらいいハーモニーが生まれるんだけれども、下手な人がベースの音をワンワンさせてリズムを刻むと、頭の中が痛くなります。満員の電車の中でいろいろな人のイヤホンから聞こえてくる音全部のど真ん中にいるようなそういう気持ちになって、あんなにひどいブリティッシュバンドのライブは見た事がなかったんです。ちなみにいまだにこの人たちはライブのクオリティーが変わっていないんです。でもちょっとうまくなったねって言ったら、「それはなぁ淳、俺たちがうまくなったんじゃなくて機材がよくなっただけだよ。」って言っていました。

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