音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

    

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ヒストリー 初期のデヴィッド・ボウイが影響を受けた音楽

20170109  「今日は一日“デヴィッド・ボウイ”三昧」より解説は小野島大氏です。

1、リトル・リチャード(Little Richard)

 初期のデヴィッド・ボウイが影響を受けた音楽、つまりをデヴィッド・ボウイを作った音楽を紹介したいと思います。でも、そうはいっても非常にたくさんの音楽に影響を受けている人で、限られた時間ではなかなか語り切れないんですけれども、ボブ・ディラン(Bob Dylan)とかそこら辺は当たり前なので各自で聞いていただくとして、まずはリトル・リチャード(Little Richard)。アメリカのR&Bの人で、ロックンロールの元祖と言われてる人で、今度のデヴィッド・ボウイの展覧会でもリトル・リチャードはデヴィッド・ボウイに影響を及ぼした人として大きくフューチャーされているんですけれども、彼の作ったTutti-Fruttiという曲を聞いてください。


 音楽的にはデヴィッド・ボウイとあまり関連がなさそうですけれども、一番のポイントはリトル・リチャードがゲイの人で、そういうパフォーマーの在り方というものが、後のデヴィッド・ボウイに影響を及ぼしたのではないのかなぁという気がします。

2、ビージーズ(Bee Gees)

 二曲目にきいていただくのはビージーズなんですけれども、ニューヨーク炭坑の悲劇(New York Mining Disaster 1941)という初期のヒット曲でして、これにデヴィッド・ボウイが非常に影響を受けたのではないのかという説がありまして、聞いてください。


 ビージーズってサタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)のディスコのイメージが強いと思いますけれども、こういう繊細で美しい曲もありまして、これにデヴィッド・ボウイが、例えばストリングスの使い方とか、Space Oddityはこの曲にインスパイアーされて作ったという説が結構あります。

3、レジェンダリー・スターダスト・カウボーイ(The Legendary Stardust Cowboy)

 次はレジェンダリー・スターダスト・カウボーイという人なんですけれども、これは音楽的な影響というよりは、「Stardust」という名前がジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)はここからとったのではないのかという話があって、I Took A Trip (On A Gemini Spaceship)という曲を聞いていただくんですけれども、実はこの曲はデヴィッド・ボウイが後にカバーをしたんですね。なぜカバーをしたのかというと、レジェンダリー・スターダスト・カウボーイがブログか何かで、「ボウイは俺からスターダストと言う名前をパクった割には俺の曲を全然カバーしてくれないよなぁ」とか愚痴を書いたら、それをデヴィッド・ボウイが読んで、じゃあやりますよっていう話になって、デヴィッド・ボウイは人のカバーをやるのに割と抵抗がない人なので、それでだいぶ後になってからカバーをしました。それを二曲続けて聞いていただきたいと思います。

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ヒストリー  デビューから4th「Hunky Dory」まで

20170109  「今日は一日“デヴィッド・ボウイ”三昧」より解説は小野島大氏です。

 デヴィッド・ボウイは最初はデヴィッド・ボウイと名乗っていなくて、そこからデヴィッド・ボウイと名乗るようになって、グラムロックで花開くまでの時期についてです。デヴィッド・ボウイは1947年1月8日に、ロンドンのブリクストンという所で生まれています。T. Rexのマーク・ボラン(Marc Bolan)と同い年で、しかも誕生日がエルヴィス・プレスリー (Elvis Presley)と同じ、2歳年上がピート・タウンゼント(Pete Townshend)、3歳年上がレイ・デイヴィス(Ray Davies)、4歳年上がミック・ジャガー(Mick Jagger)という感じです。で、ブリクストンというという所が、ジャマイカとかアフリカとかアイルランド系の移民がたくさん住んでいる所だったんですけれども、そこから54年に郊外のブロムリーという所に移って、59年、12歳のときにサックスを習い始めます。62年に友達と喧嘩をして左目を負傷したということで、それ以来デヴィッド・ボウイは左と右で目の色が違う、左目の視力がずっとよくなくて、それはこの時の怪我が原因でありました。62年に初めてのバンド「Konrads」に参加して、そこで本格的な音楽活動を開始します。そして、1965年についにレコードデビューを果たすわけなんですが、まずはこの曲を聞いていただこうと思います。Davie Jones & The King Bees名義のデヴィッド・ボウイのデビューシングル、Liza Jane。



 このThe King Beesというバンド名はI'm a King BeeというSlim Harpoという昔のブルースマンのヒット曲からとったもので、典型的な当時のR&Bとかブルースに影響をうけたビートバンドです。1965年という年にどういうものが出ていたのかというと、The WhoのMy Generationとか、The Kinksだと前の1964年にYou Really Got Meという大ヒット曲をだしていて、The Rolling Stonesだったら(I Can't Get No) Satisfactionとか、Bob DylanだったらLike a Rolling Stoneとか、The BeatlesだったらHelpとかYesterdayとか、そういう年ですね。そこでこのシングルはちょっとまだ弱いかなという感じがあるし、まだデヴィッド・ボウイ独特の歌唱法も全然確立されていない。この時代のデヴィッド・ボウイはいろいろなグループを作っては壊し、作っては壊しで、シングル盤も何枚かは出しているんですけれども、悉く空振りというか、まったくかすりもしない状態で、かなり厳しい状況でしたが、それでもなんとかいいマネージャーもついて、だんだんボブ・ディランとかのフォークロックに影響を受けて、音楽性が変わっていきました。1967年に待望のファーストアルバムを出します。「David Bowie」というタイトルなんですけれども、そこから日本語のタイトルはすごくて「愛は火曜まで」というんですけれども、聞いてください。Love You Till Tuesday。


 この頃のデヴィッド・ボウイは、ボブ・ディランに影響を受けていたと言いながらも、ファンタジックな、今でいうアイドルっぽい感じの曲で、歌い方はだいぶデヴィッド・ボウイっぽくなってきますけれども。当時は20歳だったんですけれども、このアルバムはザ・ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」と同じ日に発表されました。1967年という年はジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)がデビューしたり、ドアーズ(The Doors)やクリーム(Cream)やザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) がデビューした年で、その年にこの音楽だったら、ちょっと浮世離れしすぎているかなという感じが若干あります。本名はデヴィッド・ジョーンズで、このアルバムを出すちょっと前くらいにデヴィッド・ボウイにして、ザ・モンキーズ(The Monkees)にデイビー・ジョーンズ(Davy Jones)というボーカルの人がいて、それと混同されるのはまずいということで、デヴィッド・ボウイという名前にかえました。どうしてボウイとう名前になったのかについては諸説あるんですけれども、そこからファーストアルバムは全然売れなくて、反響もなく、デヴィッド・ボウイもガッカリで。そこでデヴィッド・ボウイが何をやったのかというと、リンゼイ・ケンプ(Lindsay Kemp)というダンサーというか、パフォーマーというか、その人に弟子入りしてパントマイムを学んだんです。要するに、不遇だった低迷の時期に音楽修行をするんじゃなくて、パントマイムを学んだ自分の表現の幅を広げようとしたんですね。そこはやっぱり他のミュージシャンと全然発想が違うところで、その後のデヴィッド・ボウイの歩み方を象徴していると思いますね。リンゼイ・ケイプというのは有名な人で、後にはケイト・ブッシュ(Kate Bush)なんかも指導された方なんですけれども、そういう人の指導で、1967年12月には舞台デビューしてしばらく俳優というかパフォーマーとして活動していきます。そのうちに2年くらい経ちまして、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督の「2001年宇宙の旅」という名作SF映画が公開されまして、これをたまたまデヴィッド・ボウイが見ましてショックを受けたと。これはイマジネーションがピンと湧いたなということで作ったのが「Space Oddity」です。そして、Space Oddityという曲が大ヒットしてデヴィッド・ボウイの一つのきっかけになったんですけれども、そのSpace Oddityを含むセカンドアルバム、タイトルは「David Bowie」というタイトルだんたんですけれども、レーベルが変わって、しかも同じタイトルで混同されるのはまずいということで後に「Space Oddity」というタイトルで出し直されたんですけれども、その中からWild Eyed Boy From Freecloudという曲を聞いてください。


 このアレンジはトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)で、トニー・ヴィスコンティと最初に作ったのがこのセカンドアルバムなんです。歌唱も曲の感じも後のデヴィッド・ボウイの感じで、セカンドアルバムで彼は完全に自分の世界を確立しました。トニー・ヴィスコンティとの初コラボで1969年にセカンドアルバムを出して、でもそうは言ってもそれほどは売れなかったみたいなんですけれども、シングルは売れたけれども。そこで次のアルバムとして出たのが「The Man Who Sold the World」というアルバムです。当時23歳だったデヴィッド・ボウイが出したんですけれども、その前にハイプ(The Hype)というバックバンドを結成しまして、そのバンドにはミック・ロンソン(Mick Ronson)とか、トニー・ヴィスコンティとかそういう人たちが入って、要するにロックバンドと共にアルバムを作ったと。だから、ロック色が強くなったのが「The Man Who Sold the World」なんですけれども、その中からSuper Menという曲を聞いてください。


 「The Man Who Sold the World」はアルバムがデヴィッド・ボウイが長髪で女装しているアルバムですよね。ドレスを着てソファーに横たわっている。今見れば何のこともないですけれども、この当時は1970年ですから、「これはなんだ」って問題になったみたいですけれども。今聞いていただきましたように、エレクトリックなロックサウンドになっていて、アルバム三枚全部違うことをやっております。ニルヴァーナ (Nirvana) が後にカバーをしたThe Man Who Sold the Worldというアルバムのタイトルソングがあるんですけれども、それもそうですけれども、この頃のデヴィッド・ボウイは個人的にいろいろな問題を抱えていたらしく、全体的に暗いアルバムなんですけれども、今のSuper Menという曲は、人間を超えた超生命体みたいな事を歌った、要するにSF的な曲で、ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)がすぐそこに来ているという感じがあります。このアルバムが出たのは1970年の4月なんですけれども、70年の2月にロンドンのライブで、デヴィッド・ボウイとバンド達が非常に派手なユニセックスの格好をして出てきて、観客の度肝を抜いたらしいんですけれども、これが一般的にはグラムロック誕生の瞬間であると言われております。1970年2月が。実はその翌日に、最初の奥さんであるアンジー・ボウイ(Angie Bowie)と結婚するんですけれども、このアンジーという人はモデルで、デヴィッド・ボウイ達の衣装もアンジーがデザインしていたと。で、アンジーのおかげで衣装も派手派手になっていって、グラム化がどんどん進んでいくと、そういう状況があったわけですね。そうこうしている内に、1971年になりまして、今度は「Hunky Dory」という4枚目のアルバムがでます。この中からOh! You Pretty Thingsという曲を聞いてください。


 「Hunky Dory」というアルバムは71年の11月に出まして、これが全英チャートの3位まであがって、ブレイクしたといっていいでしょうね。今のOh! You Pretty Thingsという曲は、実は71年5月にデヴィッド・ボウイに長男が誕生しまして、ゾウイ・ボウイ(Zowie Bowie)といって、今はダンカン・ジョーンズ(Duncan Jones)という気鋭の映画監督ですけれども、この人が生まれまして、その生まれた子どもを祝うために、Oh! You Pretty Thingsという曲ができたということです。どういう歌詞の内容かというと、新しい人類が誕生しましたと、もう古い奴らはいなくなってもいいと、そういう世代交代というか新しい人たちに代わっていくんだよというChangesですよね、そういうものを歌った曲で、前作の「The Man Who Sold the World」はちょっと暗かったんですけれども、この作品は全体的に明るくて前向きなものになっています。とにかく名曲がたくさん入っているアルバムなので、未だにこのアルバムが一番好きというデヴィッド・ボウイファンの人は結構いると思います。

ナイジェル・ゴッドリッチ(Nigel Godrich)、あのロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)を黙らせる

1、ナイジェル・ゴッドリッチ、あのロジャー・ウォーターズを黙らせる

20170519

中村明美「ロジャー・ウォーターズの25年ぶりのニューアルバムについてご紹介します。「Is This the Life We Really Want?」、これが僕らが本当に望む人生なのか、という強烈なタイトルの作品なんですけれども、本人にインタビューをして、なんとニューヨークでトークショーもあったので行ってきました。まず、25年もたってなぜアルバムを作りたくなったのかという誰もが気になるところなんですが、わりとはぐらかした答えで、ヨーイドンのピストルの音を聞き忘れてたんじゃないのかなぁって。25年たってって気づかなかったという答えなんですけれども、実際はThe Wallの世界ツアーをしている時に、アルバムの一曲目になるんですけれどもDéjà Vuという曲ができて、これがなかなかクールだなぁと思ったのでそこから曲作りが徐々に始まっていったということなんですが、この曲は自分が神だったらこういう事をしていただろうとか、自分がドローンだったらこういう事をしていただろうっていうような、のっけからすごく政治的なメッセージが込められた緊迫感のある曲なんですけれども、直接トランプに影響されたとは言わなかったんですけれども、トランプですとか今のヨーロッパの情勢なんかの話を始めると僕は止まらなくなるからそれはやめておこうという感じで、なるべく短いコメントでおさえていたのですが、そういった現在の政治的な状況について考えたくなくても考えざるを得ないのは仕方がないよねって言っていたので、そこらへんの政治的な状況がすごくインスピレーションになっているんだと思います。その後にラジオ劇を作ったそうなんですね。それはアイルランド人の年を取った男が孫と旅に出て、人はなぜ子どもを殺すのかという疑問の答えを見つけに行く旅という、そういう物語だったらしいんですけれども、それを作った時にすごく長いものだったらしいんですが、これはロックンロールアルバムになるのではないのかと自分で思って、そこからアルバムを作る方向に向かったそうです。ここで面白いのが、彼がThe Wallの世界ツアーのドキュメンタリー映画を作った時に、ミックスを担当したナイジェル・ゴッドリッチと意気投合して、そこで彼がアルバムをプロデュースすることになったんですけれども、これまでロジャー・ウォーターズといえばコントロールフリークというか、自分のものは完璧に何でもやっていくことで有名だった人なのですが、ナイジェルにすべてを任せて、その音を聞かせたところ、ナイジェルは「すごくいいけれども、これ全部アルバムに使いたいわけじゃないですよね」って、「最初の10分と終わりの10分くらいを使って、あとは使えないでしょう」って。「あとはどうすればいいんですか」ってロジャー・ウォーターズが聞いたところ、「あとは全部書き直しましょう」っていうことで、もともとあったデモテープはほとんど使わずに残りの部分は新たに書き直しました。ロジャー・ウォーターズはナイジェル・ゴッドリッチの言いなりになると自分で決めて、ナイジェルにすべてを任せて自分は口出しをしないのは大変だったらしいんですけれども、それでよかったと。おかげでいいアルバムが出来て、ナイジェルに対する尊敬の念はこれ以上ないというくらいに高いと。アルバム全体のテーマとしましては、苦境から「愛」というものが僕らは少しでも居やすい場所に連れて行ってくれるのか、ということを探求したアルバムになったという風に答えておりました。」

渋谷陽一「ロジャー・ウォータズというのは性格的になかなかむつかしい人だって、ピンク・フロイドの他のメンバーが口をそろえて言っていたわけで、そのロジャー・ウォーターズを抑え込んだナイジェル・ゴッドリッチってすごいですね。」

中村「入った瞬間から口出ししないでくれって言う雰囲気を醸し出していたので、それに従う事にしたと。それによって自分が成長できたことがすごくよかったと本人も語っていて、すごくビックリしました。」

渋谷「ロジャー・ウォーターズの新曲を聞こうと思います。Smell the Roses。」




2、 ナイジェル・ゴッドリッチ、ロジャー・ウォーターズのファンはピンク・フロイド(Pink Floyd)的な音を求めていると的確に理解する

20170616

 ロジャー・ウォーターズの25年ぶりの新作を紹介します。すでにニューヨーク情報で紹介をしておりますけれども、今回はじっくりと紹介していこうと思います。まずはアルバムのオープニングナンバーとそれに続く曲の二曲続けて聞いていただこうと思います。When We Were YoungとDéjà Vu。




  もしも僕が外国の上空を飛ぶ誘導と異常を感知する機能を備えた
  偵察機能付きの無人飛行機だったならば
  家に誰もいなければいい
  そんな風に願うだろう
  女性が一人ストーブでパンを焼いているのかもしれないし
  米を研いでいるのかもしれない
  それとも骨を煮詰めているだけなのかもしれない
  もしも僕が無人飛行機だったならば
  寺院は荒廃し銀行家は太っていく
  水牛はもういない
  そして山の頂は平たい
  川を泳ぐマスのように雌雄の別はない
  君は左に傾いて右に票を入れる
  まるでデジャブ
  日が落ちて僕は今でも君を思っている
  失った愛の代償を数えながら
 
 ロジャー・ウォーターズは今作のサウンドはすべてナイジェル・ゴッドリッチに任せたと。そして、ロジャー・ウォーターズはこの無人飛行機による虐殺というすごくシリアスなニュースを見てこの曲を書いたようですけれども、そのメッセージ性と、ものすごくクリアにピンク・フロイド的なる方法論を大胆に取り入れてこのアルバムを作っています。それはすごく成功しているなぁと思います。Picture That。



 アルバムのオープニングナンバーからずっと聞いていただきましたけれども、続いてはラストナンバーを聞きます。 ナイジェル・ゴッドリッチのそのピンク・フロイド的な伝統をものすごくちゃんと再現しようとするその意思が、すごく象徴的に表れているナンバーです。Part of Me Died。

  部屋の隅に座りテレビを見ている
  苦痛を訴える子ども達の声に真剣に耳を傾けることもなく
  世界で起きていることを気にも留めずに一人ゲームを楽しんでいる
  何度も繰り返し同じ物を見てそれでも時期に忘れてしまう
  沈黙無関心
  それ以上の罪はない
  だけど彼女を見た時僕は変わった
  ボウルを持ってきてくれ
  その中で彼女が足を洗えるように
  最後にもう一本僕にタバコをくれ
  消えない後悔に苛まれながら生きながらえていくよりも
  彼女の腕の中で死んでしまう方がずっといい



 本当にピンク・フロイド的なサウンドがファンの心を鷲づかみという明快さがあってよいと思います。 ナイジェル・ゴッドリッチに音の方は全部まかせているというロジャー・ウォーターズの発言がありましたけれども、 ナイジェル・ゴッドリッチはロジャー・ウォーターズのどこがファンにとって一番うけるのかということを正確にわかって、本人以上に正確にプロデュースをしたと思います。