ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

レディオヘッド(Radiohead)はやっぱりロックであった説

world rock now 20080118

 レディオヘッドでBodysnatchers。



 はたしてこの作品を新譜といっていいのかどうか、当然新譜でございますがCDという形でリリースされたのはつい最近で、配信という形でかつてどんなバンドもやったことがない、かなりユニークな方法でレディオヘッドは人々にこの作品を届けたんですね。それはどういうことかというと、配信というスタイルで自分達自身で値段をつけてくれと。その値段でいくらでも、例えばタダであったとしてもそれはOKと。あたたがこのアルバムをどう評価するのか、そのことは自分自身で決めてくださいという、かなり挑戦的な、そしてかなり実験的な方法でこの作品をリリースし、そして何ヶ月か後には実際にパッケージメディアとしてリリースすると。だから、かなりの人たちがタダでこのアルバムを聞くことができるという状況があったにもかかわらず、全世界的にパッケージメディアとしてのこのレコードがチャートの一位を記録したという、レディオヘッドならではというかレディオヘッド以外はできない、非常に挑戦的で建設的なトライアルをやった作品であります。ただ、届ける方法がどうであるのかよりも、音楽的にはどうでであるのかが一番重要であるわけですけれども、シングル的な形で出されたこのBodysnatchersはレディオヘッドが表現として非常にいい状態にあるということがすごくリアルに伝えてくれますし、すごくミニマムな形で作られたビデオクリップもただ演奏場面を写しているだけなんですけれども、レディオヘッドというのは本当にロックバンドとしてものすごくエモーショナルでかつまたヴルービーなバンドなんだなぁということがひしひしと感じられるそういうナンバーでございました。これは二曲目なんですけれども、アルバム一曲目のナンバーを聴いて頂きたいと思います。15 Step。



 いうまでもなくレディオヘッドはロックシーンにおいて最も重要なロックバンドでございます。そして、常に実験的で前衛的でロックの表現の領域を根底から広げていこうというそれぐらいのパワーを持ったロックバンドでございます。その彼らの新作ということでものすごく注目されておりますし、ものすごく期待もされているわけでございます。その期待に十分にこたえた作品だと思うんですが、なぜそのような役割をシーンの中でレディオヘッドは担うようになったのかというと、言うまでもなく「Ok Computer」という、この十年でもっとも重要なロックアルバムをレディオヘッドがつくり、ロックという表現の根底を問い直す作品を作ったわけですね。それによって彼らはそういう役割を負わざるをえないところに追い込められたという言い方も僕は言えるんじゃないかなぁと思います。その後、「Kid A」、「Amnesiac」 、「Hail to the Thief」という独特の表現の経緯を経て、いまはこの「In Rainbows」という作品に到達しているわけでございます。レディオヘッドを言うときにいつも私は自慢げに語るんですが、「ロックなんかくだらない」とレディオヘッドが言い始めて非ロック的なものへと自分達に嗜好性を強め、発言もそうなって、そういう評価もあった時に、私は「レディオヘッド、お前はロックだ」という実に正しい評論を書いてですね、トム・ヨーク自身が言っていることも変だぞと、僕は自分が言っていることがレディオヘッドに対する正確は評価である自信があったんで書いたんですけれども、レディオヘッドは本来的なロックの表現に戻ってきているわけであります。ただ、8ビートのゴリゴリのロックに原点回帰的に戻ってきているのかというとそんなことはないわけで、当然「Ok Computer」以降の実験的な試みというか、ロックそのものを対象化するという作業自身が、彼らの中においてすごく重要な役割を果たして、それは結果として限りなくロックではあるけれども、ロック信仰そのもののなかで表現が成立しているというような領域のものではない、ものすごいところに自然な形でレディオヘッドが立ちえるという、そこまできているわけですね。それの成果がこの作品だという感じがします。次ぎは短いジョニーの曲なんですけれども、これも今のレディオヘッドの境地がすごくリアルに伝わってくる感じがします。Faust Arp。



 彼ら自身の表現を使うと、怪物バンドとしての役割とポジションを得てしまったことによって、怪物であり続けなければならないというプレッシャーの中にレディオヘッドはいたと思います。実際にそれに答えるだけの仕事を彼らはしてきたんですけれども、それは長く続けることができるポジションではなかったんじゃないのかなぁという気が僕はします。バンドは怪物であることが求められ、アルバムはつねに問題作で画期的な作品であり続けなければいけないというプレッシャーの中にいて、それがだんだん解けてきて、回復の過程に「Hail to the Thief」のような作品があって、今回はそういう所から解放された、そういう気がするんですよね。何も最高の傑作と最高の問題作を作り続けなきゃいけないといいう義務感ではなく、自分達の自然な表現者としての生理感覚の中でものが作れていくというところにようやく来て、だからこそこういういい作品ができたんじゃないのかなぁという感じがします。今きいていただきましたように、非常にシンプルにアナログ楽器が鳴っているというそれだけなんですけれども、でも非常に斬新であり、言葉本来の意味でプログレッシブでありっていうスタイルをレディオヘッドは獲得してしまった、本来的にロックが持っているシンプルな方法論を微妙に組み合わせてデザインすることによって全く新しいものがつくれてしまうんだよという、これはレディオヘッド以外はできないような技なんですけれども、そこを彼ら自身が手に入れたというそんな感じがします。「Ok Computer」的なにおいを彼らは一時期嫌っていたんですけれども、そういうのも何でもいいんじゃないのかというキャパシティーの大きさみたいなものを全部含めて、この作品には表現されている、まさにレディオヘッドファンのツボをつくようなナンバーも自然にできるようになったんじゃないのなぁという気がします。Jigsaw Falling into Place。



 参照) レディオヘッド(Radiohead)に学ぶロックが終わった後の「ロック」とは? 


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