音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

1960年代以降のジャズ

 今回は「JAZZ」の第十二回「ジャズよ永遠なれ 」から1960年代以降のジャズについてまとめます。

1、ジャズからロックへ

 (1)、ジャズからロックへ

  ①、意義
 
   ・1960年代に入るとロックに人気が集まり、若者はロックが聞ける場所へ行き、老人はテレビを見るようになった。追い詰められたジャズミュージシャンはカクテルラウンジやバックバンドやロックミュージシャンのレコーディングなどどんなところでも仕事をするようになった。そして、この流れに乗れなかったものは音楽をやめていった。また、大勢のミュージシャンがまだジャズの人気が高かったヨーロッパに渡っていった。

  ②、デクスター・ゴードンの場合

   ・デクスター・ゴードンはビ・バップの花形サックスプレイヤーであった。背が高くハンサムであったので、サックスをステージ上で組み立てただけで観客の目をひきつけた。しかし、1960年代にはいるとそのゴードンですら仕事を見つけるのが難しくなってきた。ゴードンは1962年から活動の拠点をヨーロッパに移した。

 

 (2)、ジャズクラブの相次ぐ閉鎖

  ・ルイ・アームストロングが演奏したシカゴのリンカーンガーデン、レスター・ヤングやカウント・ベイシーやチャーリー・パーカー達が出演したカンザスシティーのクラブ、デューク・エリントンのホームグラウンドであったハーレムのコットングラウンド、チック・ウェブやエラ・フィッツジェラルドが大勢の人々を魅了したサボイボーイルーム、オーネット・コールマンやジョン・コルトレーンが前衛的なジャズを披露したファイブスポットなどは閉鎖をした。また、チャーリー・パーカーのニックネームからつけられたバードランドでは、ジャズのかわりにリズムアンドブルースが演奏されるようになっていた。そして、1968年、マンハッタンに残った最後のジャズクラブがその幕を降ろした。

 (3)、ルイ・アームストロングの「Hello, Dolly」

  ・ビートルズの出現によってポピュラーミュージックの王座は完全にロックのものとなった。以前から商業的に低迷していたジャズはますます片隅に追いやられるようになった。しかし、そんな中でルイ・アームストロングの「Hello, Dolly」がビートルズの「Can't Buy Me Love」にかわって全米ナンバーワンの座に輝くという快挙がおこった。ジャズの最後の輝きであり、後にジャズがこれほどのヒットを飛ばすことは二度となかった。



2、ウィントン・マルサリスの登場

 (1)、ジャズの衰退

  ・1930年代末、スイングを中心としたジャズは音楽産業の売り上げの70%を占めていた。しかし、1970年代半ばになると3%にもみたない数字に落ち込んでいた。1975年、マイルス・デイビスは「ジャズは死んだ。あれは博物館の音楽だ。」といった。活躍していたジャズミュージシャンは、ケニー・カーターやロン・カーターなど極少数の人のみであった。以前だったらジャズミュージシャンを目指すような才能ある若者は、別の世界に流れていった。

 (2)、ウィントン・マルサリスの登場

  ・ドラマーのアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズにウィントン・マルサリスは加入し、その演奏が大絶賛を浴びる。その後、1981年に最初のリーダーアルバム「Wynton Marsalis」はアコースティックジャズのアルバムとしては久しぶりの大ヒットとなり、ジャズ人気復活の大きなきっかけをつくった。さらに、ウィントンの兄であるブランフォード・マルサリスをはじめとして、ウィントンの周辺から有能な新人が大勢出てきて、1980年代に入ったとたん瀕死の状態であったジャズに新しい才能が次々と出てくるようになった。

 

  ・ウィントンの快進撃はその後も続き、1980年代にはジャズとクラシックの両部門でいくつものグラミー賞を受賞、そして1995年には黒人奴隷の歴史をテーマとした「Blood on The Fields」によってジャズミュージシャンとしてはじめてピューリッツァー賞を受賞した。ウィントンの活躍によって、いくつかのレコード会社は再びジャズのプロモーションに力を入れるようになった。

 


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