ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

エルトン・ジョン(Elton John)、レオン・ラッセル(Leon Russell)に救われる

20101112

 エルトン・ジョンとレオン・ラッセルのデュエットアルバム「The Union」という作品です。これは大変すばらしく、でもこの大変すばらしい作品をこんなに執拗に紹介する番組はそんなにないと思うので、自分なりの使命感で紹介したいと思います。レオン・ラッセルは伝説的なアメリカのキーボード奏者で、彼の残した業績は数限りなくあるんですけれども、Song for you、This Masquerade、Tight Ropeなど誰もが知っている曲を書いた、ソングライターでありキーボード奏者でありすばらしいシンガーであります。このレオン・ラッセルとエルトン・ジョンがリユニオンした、前にも一遍やっているのでリユニオンといっていいと思うんですけれども、作品です。で、この経緯はエルトン・ジョン自身がすごく長いライナーノーツに書いているんですけれども、その一部を紹介してみたいと思います。

 「 2008年、僕はスペクタクルの第一回作品に出演していた。スペクタクルとは元僕のパートナーであるデヴィッド・ファーニッシュ(David Furnish)がプロデュースする、エルビス・コステロ(Elvis Costello)の音楽番組である。その中で僕は、世の中で忘れ去られていると考えられた三人のシンガーソングライターについて語った。そのうちの一人がレオン・ラッセルだった。後の二人は、ローラ・ニーロ(Laura Nyro)とデヴィッド・アクルス(David Ackles)で両者とも共に他界している。その番組の中で最後に僕はレオン・ラッセル風の曲をこしらえて弾いて見せたが、それ以上は特になにも考えていなかった。デヴィッドはレオン・ラッセルの音楽もローラ・ニーロもデヴィッド・アクルスのことも知らなかったため、彼らのCDを購入しそれを自分の携帯音楽プレイヤーに入れていた。そこから時間を早送りして、2009年1月、南アフリカまで話を進めよう。デヴィッドと僕はその時、ランチの支度をしていた。彼は自分の携帯音楽プレイヤーをかけはじめたのだが、そこで流れてきたのがレオン・ラッセルの追憶の日々であった。座ってその曲を聞きながら、突然僕の頬を涙がつたい、自分ではどうしていいのかわからないほど泣けてきた。いったいどうしたんだと尋ねるデヴィッドに、僕はこうこたえたんだ。「彼の音楽を聞いていて、僕の人生で最も美しく最も輝かしかった時代の音楽が蘇ってきたんだ。この人の音楽がどれだけすばらしいかを世の中の人が忘れ去ってしまっていることはフェアじゃないし、そのことに怒りも覚えるんだ。」」

 いい文章ですね。で、エルトンは今はどうしているのか分からないレオン・ラッセルを探し出してもう一遍彼の音楽を世の中に伝えようとするわけです。で、実際に会った時に、68歳になったレオン・ラッセルはその十日前にロスで脳の大手術を受け、病院からそのままスタジオに入るような状態で、足も不自由で、鼻からは呼吸補助のプラスティックチューブが出ているような状態だったわけです。でも二人はそこで再会して、アルバムを一枚作ろうという決意をし、すばらしい作品を作ったわけであります。レオン・ラッセルが一番最初にこのセッションの時に持って来たI Should Have Sent Rosesというナンバーをまず聞こうと思います。



 次は重い曲です。There's No Tomorrow、つまり明日はないと言う曲で、彼らに歌われるとものすごく重い曲になりますけれども、

 待ってる暇はない
 見るべき未来はない
 次の瞬間のふたを開けたら内側には何もないかもしれない
 答えは定かではない
 心を決める暇はない
 これで終焉なのか
 姿を隠す場所もない
 明日などない
 明日などない
 今日があるだけ
 その物語は皆が知っている
 僕らは前に聞いたことがある
 最後には疑問も残らなくなる
 死の扉の外側で目の前にある疑問に対する答えは簡単には出ない
 聞くのはあまりに簡単
 そして理解はできない
 明日などない
 明日などない
 今日があるだけ


 
 このアルバムは一番最後に、In the Hands of Angelsというレオン・ラッセル自身の曲、この企画を完成させてくれたエルトン・ジョンやスタッフへのナンバーで非常に感動的に閉じます。こんな歌詞です。

 そう僕は病に倒れることだってありえた
 死ぬことだってありえた
 あきらめることだってありえた
 そして明日を目ざすのをやめてしまうことだってありえたんだ
 恋に破れ悲嘆にくれる恋人のように
 それでも新しい門出を迎え突然僕は連れ去られたのさ
 新たなそして遥か遠い場所へ
 そして音楽に僕の心は揺さぶられた
 ジョニーと親方がやってきて僕の迷いを覚ましてくれた
 彼らのおかげで僕はまるで王様気分になれたんだ
 悪しき防御の構えをすっかりおろすことができたのさ
 そして彼らは知っていた
 僕は行かねばならない
 ありとあらゆる場所
 僕は知りたかった
 あらゆる人
 彼らは知っていたんだ
 僕には誰が必要なのかを
 そして誰に僕が必要なのかを
 そして誰が僕に手を差し伸べてくれるのかを
 そして誰が僕をありのままでいさせてくれるのかを
 天使達の手中にあるときには人生はこの上なく心地よい
 そして愛を感じるんだよ
 心の奥の深いところで
 たとえ街頭に放り出されたとしても
 天使達の手中にあるならば



 エルトン・ジョン自身がこのアルバムを作った時、「僕は過去に40枚近いアルバムを作ってきたから世界中の人々がエルトン・ジョンの新しいアルバムを心待ちにしている、そうじゃないだろうってことは分かっているんだ。」って、すごいですよね。これはをはっきり言えるということは。「僕はもうポップレコードを作る必要はない。70年代80年代90年代、レコード会社からシングルヒットが必要だと言われ続けてきた。僕はその課題も果たしてきた。63歳だしもうシングルチャートにいようとは思わない。今はシンガーとして、ミュージシャンとして自分の年相応の音楽を、自分のやりたい音楽がやりたいんだ。もうクロコダイル・ロックをやる必要はないんだ。」と語ってこのアルバムを作ったようであります。僕はいつも言っていますが、それでもクロコダイル・ロックはやらなければいけないとは思いますが、彼にとってこのレオン・ラッセルとの新しい作品作りというのは、すごくいろいろな刺激を与えたんじゃないのかなと。すごく倒錯的な言い方かもしれませんけれども、そのことによって21世紀のクロコダイル・ロックが彼にとって作れるんじゃないかと。一見、レオン・ラッセルをエルトン・ジョンが救ったように見えますけれども、僕はレオン・ラッセルがエルトン・ジョンを救ったアルバムでもあるんじゃないかなぁとも思います。


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