音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

渋谷陽一、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)を語る

 1985年11月22日のサウンドストリートでの「ヤング・パーソンズ・ガイド to デビッド・ボウイ」からです。現在と渋谷氏のデヴィッド・ボウイに対する評論はあまり変わっていないようです。

1、5th「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」

 デヴィッド・ボウイは僕がのめり込むように聞いたアーティストでありまして、僕がデヴィッド・ボウイにのめり込んだ一つのきっかけというものが、「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」というアルバムでした。それまでデヴィッド・ボウイというのは日本でほとんど無名でありまして、ジギー・スターダストが出たときにスターマン(Starman)とかいくつかのシングルヒットがでまして、それで日本でも結構知られるようになったんですけれども、デヴィッド・ボウイのジギー・スターダストが出たのが1972年ですからもう13年前のことになってしまいましたけれども、これが全世界的にもデヴィッド・ボウイという人を強く印象づけた記念すべきアルバムだったわけです。このアルバムにRock'N'Roll Suicide、ロックンロールの自殺者という曲がありまして、私の場合はこれがデヴィッド・ボウイのすべてでありまして、デヴィッド・ボウイの出発点であったわけです。

 これがどういう曲かというと、あなたはロックンロールの自殺者であるという。これは具体的にロックンロールスターというのを想定してもいいですし、聞き手である我々自身であると考えてもいいと思います。「失うには年を老いすぎ選ぶにはあなたは若すぎる」という呼びかけではじまるロックンロールの自殺者。つまり、僕たちはロックンロールの自殺者であると。ロックンロールを聴きながら途方に暮れている我々自身はロックンロールの自殺者であるという一つのマニフェストみたいな呼びかけから、僕たちはロックンロールの自殺者としての惨めな地位にあるけれども、だけれどもあなたは一人じゃないのだと。だから是非僕の手をつかんでくれというそういう呼びかけに歌は変わっていきまして、あなたは一人じゃない、僕の存在をちゃんと認知して、僕の方を向いて、僕の手をつかんでくれという、実に切実な、叫び声にも似た呼びかけで曲が終わっていくという曲で、私はこれを聞いて愕然としまして、当時はまだまだナイーブな青年だった僕にとって、ロックンロールとはこういうものだし、ロックンロールを聞いている僕たちはこういうものである。だけれども、ロックンロールに向かう僕達は一人ではなくて、こういう呼びかけに答えてくれる誰かを求めているのであるというのをあまりにも見事に歌にして、そして呼びかけてくれたデヴィッド・ボウイというのはすごくショッキングな存在で、こんな人がいたのか、こんな歌があったのかというのが僕にとってのデヴィッド・ボウイの出発点であったわけであります。Rock'N'Roll Suicide。

 

 このアルバム「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」が出て僕が必死になってこのRock'N'Roll Suicideを聞いていたときに、デヴィッド・ボウイは初の来日を果たしました。そのときは、武道館とかそういう大きなところでやれるパワーはなくて厚生年金とかその辺でやったんですけれども、これは凄まじいコンサートでありまして、その中で当然Rock'N'Roll Suicideもやったんですけれども、「you're not alone Gimme your hands」という呼びかけをステージから執拗に繰り返しまして、袖から袖へ走り回りまして、大丈夫かねというステージを繰り広げまして、私はすごいものが来たなぁという感じで、当時のステージの衣装もグラムロックの最前線を行っていたもので、本当にすごい人だなぁという感慨を持ちました。そして、デヴィッド・ボウイが「Gimme your hands」と呼びかけていくすごく切実なアジテーションみたいなもの、そしてその当時のいろいろなデヴィッド・ボウイのインタビューを読んで、デヴィッド・ボウイ自身がコンサートでうまくいかないと一人で落ち込んで、俺は世界に対して何にもすることができないんだとほとんど泣きながらステージの後の時間をすごしているんだという話を聞いて、大いに盛り上がりまして、ここまで自分の作品とメッセージに対して忠実になれるのはすごいなぁとそういう気がしたんですね。

 デヴィッド・ボウイはこの後、ジギー・スターダストというのは自分の最大の失敗だったという発言をしておりますけれども、自分自身のキャラクターをことさら強調して、いろいろなバイセクシャルみたいな付加価値をつけまして、メディアに進出していきまして、自分自身のキャラクターを作品化してしまおうというなかなかすごいものであったわけでありますけれども、それだけに個人への思い入れというものを過剰に要求するやり方でもあったんですね。だからこそ僕達はデヴィッド・ボウイへのめり込んでいったと思うんですけれども、そういうデヴィッド・ボウイは自分自身がスターであるということを客観的に見ていた、そういう人でもありまして、だから二回目か三回目かの来日コンサートのステージというものを僕は非常に印象に残っているんですけれども、この当時もなかなか人気があったんですけれども、その時のオープニングがすごくユニークで、その時はすでに武道館のコンサートだったんですが、ちょうど開演前で照明だとか電気が全部ついていまして、普通はそこがだんだん暗くなって大げさなオープニングからドカーンとコンサートが始まるんですけれども、照明がついたままコンサートが始まっちゃったわけですね。お客さんもまだ三分の二くらいで、デヴィッド・ボウイや他のメンバーが会場が明るいのに出てきて、キーボードのところでワルシャワのイントロがはじまりまして、あれ何なんだろうこのコンサートはという、こちら側の期待をうまくすり抜けていくその辺の変化がこの後なされるわけですけれども、この辺のことをもうデヴィッド・ボウイはジギー・スターダストの段階から考え方として用意しておりまして、スターが歌うところのスターの自己批判ソングみたいなものを歌っているわけですね。最後にJust watch me now、私自身の今を見よみたいなメッセージが唐突に入るという、スターというのは何でもできるんだけれども、スターというのはやっぱりスターでしかないというそういうナンバーをもうこの時に歌っているわけであります。Star。

 

2、6th「Aladdin Sane」

 続いて1973年にこれまた大傑作の「Aladdin Sane」というアルバムが発表されるわけですね。この時期は本当にデヴィッド・ボウイが突っ走っていた時期でありまして、とにかくジギー・スターダストというキャラクターを自らが演じきることに命をかけていたというか、そういった感じで時代を駆け抜けていったそういう時期なんですけれども、ジギー・スターダストに続いてアラジン・セイン、我々はあのデヴィッド・ボウイが次にどういうアルバムを出してくれるんだろうというものすごく過剰な期待の上で待ち構えていたんですけれども、その過剰な期待をまたより一層上回ってしまうようなそういうアルバムで、とにかくB面一曲目にTimeというナンバーが入っておりまして、唐突に時間というものをテーマにすえて歌っているということで、またまた私はえらく感動してしまいまして、非常に抽象的なもので時間とは何かについて結論が出るわけはないんですけれども、それに正面から取り組んでいるので、やはりデヴィッド・ボウイはすごいという。あの痩せた体ですごいハードなスケジュールの中、自分自身のテーマと正面から向かい合っているデヴィッド・ボウイがいる限り私も頑張らねばと、そういうような感慨を込めてデヴィッド・ボウイを聞いたわけであります。

 

 そして、アラジン・セインの中にもいくつかいいナンバーがあるんですけれども、その中でもLady Grinning Soulという大好きなナンバーがあるんです。これは女性をテーマにした歌なんですけれども、ここで歌われるのは娼婦なわけです。彼女はbeetle carに乗って香水をつけながらやってくると。唐突に彼女はやってきてそして去っていくという詞からはじまるんですけれども、たいてい男女関係というものはやってくるんだけれどもすぐには去っていかないわけですね。去っていかない所からいろいろなしがらみなんかが生じて、また去っていかないからこそいいという部分もあるわけですけれども、ここで歌われているのは一つの男のファンタジーみたいなもので、彼女はやってきて当然娼婦ですのですぐに去っていってしまう。その一瞬の間だけれども、僕らは男として解放された時間を過ごすことができる。彼女の前で僕らはすごく男らしいそぶりをする必要もないし、彼女の前に自分をさらけ出してひと時を過ごせばいいと。そして彼女はいつか去っていくのだと。なかなかこれが男のファンタジーという感じがして、曲調も非常によくて、私はこのアラジン・セインの中でもすごく好きなナンバーであります。Lady Grinning Soul。

 

3、8th「Young Americans」

 この後に「Diamond Dogs」というすぐれたアルバムを出しまして、これが1974年でこの時期はもう一年に一枚のペースでアルバムを出していますけれども、続いて「Young Americans」というアルバムを発表します。これはデヴィッド・ボウイファンにはなかなかショッキングなアルバムで、それまではあまりにもヨーロッパというか、あまりにもイギリスというか、しかもイギリスのマイナーなものを無理やり強引にグラムロックというフィルターを通してポップなものに仕上げていたデヴィッド・ボウイが、ヨーロッパ的なものからアメリカ的なものへと大幅な転換をはかったわけですね。僕なんかが思ったのは、ヨーロッパ的なものの中で頑張ってわりとインターナショナルなスーパースター的な地位を築きつつあるデヴィッド・ボウイが、自分自身のテーマを今度はアメリカというものに据えて、アメリカに出かけていき、アメリカを歌ったというアルバムになったんですね。無理やり自分をアメリカの中において、アメリカ自身を自分の中でもう一回再現しようとするようなかなり強引なつくり方のアルバムだったんですね。まずジャケットがデヴィッド・ボウイを少女マンガ風のイラストで処理をして、音もこれまでの苦味をもったヨーロッパ的なサウンドから一気にアメリカ的なものに変えてしまって、しかもゲストにジョン・レノンやオノ・ヨーコを迎えて音を作り上げていった。そこで僕達はこれはデヴィッド・ボウイのアメリカへの挑戦だという気がしたんですね。この時期のデヴィッド・ボウイがプロモーションに使っていた写真というのは非常にショッキングなもので、星条旗の前に手錠をされて、アーミールックみたいなものを方から羽織って、下をうつむいているデヴィッド・ボウイという、あまりにもどう解釈してもそれしか解釈できないというショッキングな写真と、ヤングアメリカンというアルバムと内容というのは、まさにデヴィッド・ボウイが自分自身にアメリカを強いているという意味ですごくショッキングなレコードで、内容も当然巨大な国アメリカというものをテーマとしたナンバーが並んでいたわけであります。Young Americans。

 

4、ベルリン三部作(10th「 Low」、11th「Heroes」、12th「 Lodger」)

 このようにアメリカとの対決というものを自らに強いたデヴィッド・ボウイは、非常にすぐれたアルバムを残しまして、ただこの時期にアメリカという国の巨大さと曖昧さと茫漠さに途方に暮れたらしくて、かなりダウンな状態になってしまいまして、一時ドラッグに身を沈めてしまったという事実もあるようですけれども、そのアメリカとの対決でボロボロになって、その後彼自身が自ら身を投じたところは、ヨーロッパの最もヨーロッパ的なところドイツのベルリンに向かいまして、ここでいくつかのアルバムを製作することになるんですね。ここで作ったもっとも有名なナンバーがHerosということになるんですけれども、ベルリンという東西緊張が一番あらわれ、そしてドイツという独特のヘビーな国民性というか風土の中にあって、ブライアン・イーノという彼自身が心を許せる友人ならびに音楽的な共同者を得て、非常にプログレッシブなアルバムを作り続けるわけですね。この中でも象徴的なナンバーがやっぱりHerosだと思います。これは政治的な不幸というかヨーロッパの不幸みたいな状況の中にいる僕らも君もたった一日ならばヒーローになれると。で、一日だけ彼らに勝つことができるという、そういう切実なメッセージ。断固勝たなければならないんだけれども、勝てないのではないかという二律背反の気持ちが非常に端的に出ていて、僕ら自身の希望をものすごくピュアな形で歌っているすばらしいナンバーなわけですね。そして、それが情緒的にならずにブライアン・イーノとともにすぐれた音に仕上げている傑作ではないだろうかと思います。

 

5、12th「Lodger」

 一貫してデヴィッド・ボウイの流れを初期中期に渡って追ってきたわけですけれども、なんとなく奥歯に物が挟まったような言い方をしてきたんですが、つまり、デヴィッド・ボウイというのは今まで僕が語ってきたような個人の思い入れ、あるいはデヴィッド・ボウイ自身に対する僕自身の英雄化を本当は否定していたアーティストなんですね。僕自身はヒーローズのちょっと前くらいまではそういうことに全然気がつかずに、むしろ今僕が語ってきたような思い入れと思い込みで彼自身と付き合い、デヴィッド・ボウイがいるからということである意味自分自身を励ましてきたわけでありますけれども、考えてみるとデヴィッド・ボウイというのは実に無責任に自分の素材を変えてきたわけですね。ジギー・スターダストをやるとすぐにジギー・スターダストを否定してまた次にステップへ行くという。そして、アメリカとぶつかったけれども埒があかないと、今度はヨーロッパへ行ってしまうという。しかし、その時点その時点ではものすごくしっかりとした作品を僕らの前に提示してくれているという。そういうことの繰り返しだったわけです。昔デヴィッド・ボウイはロックはメディアだという発言をしているんですね。そして彼自身は自分は詞をいろいろ書いているんだけれども、自分でも意味の分からない詞がたくさんあると。書いた後にいろいろ考えるとこういうことなのかなということに気づくようなことがあるというような発言をしておりまして、なんという無責任な男だろうと思ったことがあるんですけれども、それでいいんですね。つまり自らをメディアと化して、その時代状況と、その時点の自分自身の発想を鏡のように反映させて、その時点で自分自身が100%責任が持てる表現を提示していくという、それがデヴィッド・ボウイのやり方であり、変わり続けるのがデヴィッド・ボウイのアイデンティティーであり、ポップミュージックというのはそういうものなんだなぁというのを最近本当に強く感じています。で、デヴィッド・ボウイが自分自身のポジションを非常に明確にしたアルバム「Lodger」というのを発表しています。これは彼自身の位置を明確に位置づけたアルバム、つまり僕は間借り人なんだよっていうメッセージなんですね。Move Onという曲がありまして、こういう詞が歌われます。

 ひとところにしばらくいても
 やがて必ず違うところに行きたくなる
 どうしても
 汽車とか夜明けの船がいい
 女の子を一緒に連れて行くのもいい
 とにかく別のところに行きたくなる
 異国が私を呼ぶ
 ひとところで行き詰まると
 私はすぐ旅の人
 単なる気の迷いかもしれないけれども
 どこかに彼女の瞳よりも青い空の朝が
 けがれなき自然の大海原があると思ってしまう
 アメリカには気だる気な人々
 ロシアには馬上生活者
 古い町京都では畳に寝ていく晩夏過ごした

 というような詞が書かれておりまして、自分自身がつまずいて行き詰まると、また新たな忘れられぬ思い出を求めて旅に出てしまう、みたいなメッセージがずっと歌われておりまして、これはまさにデヴィッド・ボウイ自身の正直な感想だという感じがします。最近デヴィッド・ボウイはすっかり平和な人、子煩悩なお父さんとしていろいろなインタビューに答えておりまして、ああいうのを見ると本当にRock'N'Roll Suicideのデヴィッド・ボウイはいったいどこへ、ジギー・スターダストはどこへ、Lady Grinning Soulはどこへ、Young Americansはどこへと古のロックファンは思ってしまうんですけれども、違うんですね。あの時点でのデヴィッド・ボウイはあの時点でのデヴィッド・ボウイであり、その時点でのデヴィッド・ボウイの作品はそれですべてなわけですね。それはそれですばらしいことだし、それはそれでいいのだということに、本当に最近気づきまして、だからこそデヴィッド・ボウイは偉大だという感じが僕はします。Move On。

 

Comment

チンタン | 2016年03月02日 06:31
私の青春時代、渋谷さんのラジオは欠かさず聴かせて頂いておりました。
渋谷さんのラジオ、大好きでしたね。
懐かしいです。
私は本当に若い時分からデヴィッドボウイの大ファンで、最初に手にしたレコードが、TV15(シングル)。
で、次の日、スティ?(シングル)を購入しました。
それから…数々のアルバムを…と。
デヴィッドボウイで始まった思春期。
今は既に中年の叔母さんですが、デヴィッドボウイ程、夢中に成った人がいません。
数々の曲での変化や、役者としても楽しませてくれました。
彼の訃報をいまだに受けいられない自分が此処に…。
渋谷さんのコメントがとても素敵です。
おさむお | 2016年03月03日 19:55
素敵なコメントありがとうございます。

ラストアルバムの「ブラックスター」はジャズに接近していましたし、渋谷氏の変わり続けるのがデヴィッド・ボウイであるという論は私も好きです。

ボウイ命 | 2016年03月05日 15:53
先日、ある商業施設内のCDSHOPのガラス張りに、デヴィッドボウイに関してのメッセージ?新作&訃報のポスターらしきモノ発見!
「偉大な……。」と簡潔な言葉で紹介していましたが、本当に本当に…素晴らしいパフォーマーでしたね!
デヴィッドボウイの低音高音の声は最高!
デヴィッドボウイは永遠に存在する!
私達の中で…
おさむお | 2016年03月05日 23:33
熱いコメントありがとうございます。

本当デヴィッドボウイは一流の表現者であったと思います。ファンの中では永遠に生き続けていくのでしょうね。

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