音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)のラストアルバム「ブラックスター(Blackstar)」

20160115

1、導入

 すでにみなさんがご存じのように1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなったというニュースを僕たちは聞くことになりました。大変ショックを僕もうけたしみなさんも受けたと思います。その日実は僕は、1月8日のデヴィッド・ボウイの誕生日ですけれども、その日にリリースされておりますこの「ブラックスター」の選曲をしておりました。つまりこのワールド・ロック・ナウでこのすばらしいアルバムを紹介したい、デヴィッド・ボウイがなんでこんなにすぐれた作品を作ったのか、それを分析しつつみなさんにこのすばらしい作品をはやく聞いてもらいたい、そういう思いで一生懸命番組のために選曲をしておりました。その時に突然デヴィッド・ボウイが亡くなったというニュースを聞いて、瑞々しいエネルギーに満ちたすばらしい作品を聞いている瞬間にそれを作ったデヴィッド・ボウイ自身が亡くなったという事実。自分の中でその二つのことがどうやっても統一することができず、なんだか混乱したまま一日を過ごしました。その日から僕はこのアルバムをずっと何回も何回も何回も何回も聞き続け、デヴィッド・ボウイの死をどうやって受け止めたらいいのかということを考え続けました。その中でこのデヴィッド・ボウイの「ブラックスター」という新作が何で、そしてデヴィッド・ボウイというアーティストが何であるのかということが僕なりの一つのロジックとして見えてきたような気がします。今日はこの作品をじっくりと聞いていこうと思います。まずは一曲。'Tis a Pity She Was a Whore。

 

2、死と向かい合いながら作った作品

 デヴィッド・ボウイが亡くなったのは10日。僕たちがその情報を聞いたのは11日。今日は15日なのでそれからあまり時間がたっていませんけれども、僕は今度のアルバムの一曲目を聞いたときに、今度のデヴィッド・ボウイのアルバムはすごいというか、今のデヴィッド・ボウイっていうアーティストがすごくいい状態にいて、表現者として新しい世界にむかい、それに興奮して、自分にとっても新しい冒険がはじまるのだというそういう意欲に満ちた状態にいる、それでこんなにすごいアルバムが出来たんだという手ごたえを感じました。だからこそ、このアルバムはみんなに聞いてほしいなぁという思いで選曲して、これから聞いていただくと分かりますけれども、この曲以外にもものすごくエネルギーに満ちた作品ばかりです。そういう結論を自分の中で出したばかりにデヴィッド・ボウイが亡くなったという話を聞いて、このアルバムというのはデヴィッド・ボウイは自分の死を自覚して作ったものなのだろうか、それともそれを知らずにものすごく自分の中で新しいエネルギーが満ちてさあやっていこうという状態の中で突然病気になり作品活動に戻ることができなくなってしまったのか、そこがよく分かりませんでした。追悼コメントがたくさん出た後に、このアルバムのプロデューサーであるトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)よって、デヴィッド・ボウイは自分の死を自覚し、そして死の寸前までこのアルバムを作り続けたんだという事実が明らかになりました。つまり、デヴィッド・ボウイは自分が余命幾ばくもない、あと何か月、何日生きられるのか分からない、という自覚の下にこのアルバムを作ったわけです。で、それがこの作品ということでものすごく僕は感動を覚えたし、この作品があるからデヴィッド・ボウイが亡くなったという事実のショックを受け止めることができたという気がします。つまりデヴィッド・ボウイはそういう状態の中でも新しい自分の世界を築こうとこの作品と向かい合ったわけです。今聞いていただいても分かりますように、これまでのデヴィッド・ボウイの作風とはかなり違って、非常にジャージーなテイストを持っていて、デヴィッド・ボウイは前作を作っている時にケンドリック・ラマー (Kendrick Lamar)の作品をすごく聞いていて、それにすごく刺激を受けていると。これはもういろいろな形で外に出ている情報です。明らかに彼はケンドリック・ラマーの新しいポップミュージックの有り様に刺激をうけて、それをなんとか自分の音楽の中に取り入れようというそういう意欲に満ちた状態でこの作品を作っています。これもトニー・ヴィスコンティが言っていますけれども、デヴィッド・ボウイは今まで自分と付き合いのあったロックミュージシャン達と離れて、まったく新しいジャズ畑の人たちとこのアルバムを作ったという。自分があと余命いくばくもないことを知りながら新しい物語を始めようとしていると、本当にデヴィッド・ボウイってすごいなぁと、そしてそれがこれだけ瑞々しい力に満ちた作品であるということが僕たちをどれだけ励ますかわからないなぁと。そしてデヴィッド・ボウイは自分が死んだ後に多くの聞き手達がきいてきっと励まされるだろうと、そういう思いを持っていたんだろうなぁと思います。Sue (Or in a Season of Crime)。

 

3、ジャズの凄腕ドラマー、マーク・ジュリアナ(Mark Guiliana)との出会い

 すごいですよね、このテンション。それこそ自分があと数か月しか生きられないと自覚した人が作った作品だとはとても信じられません。トニー・ヴィスコンティがいろいろと制作過程について発言しているんですけれども、その中で僕が一番驚いたのは、デヴィッド・ボウイはもう数か月生きられるかもしれないと思っていたと。もうあと数か月あるならばこの「ブラックスター」というアルバムをもっとレコーディングしたかったと。自分はまだあと五曲くらいデモがあるから、それを何とか形にしたいんだと。人はそこまで表現に対して前向きであって、最期まで自分の作品を作り続けよう、今聞いていただいても分かりますように、すごくワクワクしていますよね、デヴィッド・ボウイは。作ることが楽しいというそのグルーブが伝わってきます。今回、このアルバムで全曲ドラムを叩いているのはマーク・ジュリアナ(Mark Guiliana)という、非常に有名なジャズミュージシャンなんですが、彼のドラムはすごいですよね。要するにデジタルのようにドラムを叩くということが有名のようであります。例えば、アトムス・フォー・ピース (Atoms For Peace) とかケンドリック・ラマーであるとかデジタルビートとアナログビートとの統一というそういうテーマが今ポップミュージックシーンの中にあるとするならが、それのコンテンポラリーな有り様とデヴィッド・ボウイが持っているポップミュージックの蓄積、そういうものをすごく表現できるマーク・ジュリアナというドラマーと出会ったということは、デヴィッド・ボウイにとってものすごく興奮することだったと思うんですよね。きっと彼ともっともっとやりたいという、そんな気持ちが死を目前としたデヴィッド・ボウイの中にあって、実際にこのような作品が作られているという、すごい。本当に表現に向かう自分自身の不可避性みたいなものを作品に定着させていうことができるアーティストで、その巨大な才能というのはまさにここまで創作活動ができるのだというそういう思いを、このアルバムを聞けば聞くほど強くします。Dollar Days。

 

4、ロックはどうして時代から逃れられないのか?
 
 デヴィッド・ボウイというのは変化し続けるアーティストでした。いつもその時代のスターであり続けたと思います。ジギー・スターダストであり、アラジン・セインであり、ヤングアメリカンであり、スキャリーモンスターであり、常に時代を映す鏡としてデヴィッド・ボウイは自分をポップスターとして機能させてきました。デヴィッド・ボウイははなからグラムロックのスタートして登場したような印象がありますけれども、もともとは非常にフォーキーなサウンドで、そしてその昔はアマチュアのジャズサックスプレイヤーであり、彼自身にとってルーツミュージックに対して、あるいは一つのジャンルに対して特別なこだわりがあるとか、そこに拘束されるということはなく、その時代の音を常に自分がビビットに鏡として反映させ、それを表現し、ポップミュージックとは何かということをすごく分かっていたと思います。僕は『ロックはどうして時代から逃れられないのか』という単行本を出したことがありますけれども、ポップミュージックというのは常に時代の中にあるし、その時代を反映しているし、その聞き手の中に本来的な本質があるんだと思います。それをデヴィッド・ボウイはすごくよく分かっていました。スターというのはその時代性を反映していて、例えばマリリン・モンローでもエルヴィス・プレスリーでもいいですけれども、彼らはその時代においてスターであるわけでありますけれども、それから何十年後に時代をマリリン・モンローやエルヴィスプレスリーが反映できるのかというとそういうものではないし、多くのスターというのはアイドルにおいてもそうですけれども、その時代において役割を得て消耗していくわけですけれども、デヴィッド・ボウイは違いました。常にその時代を鏡として映し出し、グラムロックの時代はまさにグラムロックのリアルを表現していたし、レッツ・ダンスの時代はまさに新しいモダンダンスミュージックの時代を象徴していたし、ベルリン三部作においてはベルリンに象徴される今世界がこのように変わっていくというそういう時代を体現していたし、常にそういう形で自分を変容させていました。それは彼自身が意図的にやったという部分もあるかもしれませんけれども、彼の持つものすごい巨大な才能が常に彼にそういう役割を担わせ、恐ろしいことにやれてしまったという、ポップミュージック史上後にも先にもそんな人はいないと思います。そして今、デヴィッド・ボウイは21世紀、2015年2016年の音を発見し、彼自身はそれを鏡のように反映させることに興奮して、このアルバムを作ったんだろうと思います。そしてこのクオリティーとまさに時代を的確に反映した前衛性とアプチャリティーを獲得していて、だから彼はすごく興奮していたんだと思うんですよね。このアルバムを作り、もっともっと先に行きたかった、僕はベルリン三部作が始まった時と同じようなそういう手ごたえをこのアルバムから感じることができます。つまりデヴィッド・ボウイはまた新たにスターとしての役割をここで始めることができることに、僕は興奮していたのではないだろうかなぁと、これもやりたいあれもやりたい、でも自分自身の残された時間はあとわずか。でも与えられた役割で自分自身の役割をやりたい、続いてはアルバムタイトルナンバーのBlackstar、9分57秒のすごく長尺な曲を聞いていただくんですけれども、これはなかなか手ごわい曲です。

  あの者が死んだ日の出来事だった
  精霊が規範を掲げそして道を外す
  別物がその座に座り厳しくのべたもう
  我は黒き星
  我は星の星
  我こそは黒き星
  理由を述べることはできない
  私はギャングスターではない
  しかし如何にかは語ることができるだろう
  我は変化を嫌う星ではない
  我々はさかさまに
  我こそは星の星  
  間違えとともに生まれたのだ
  我は白き星ではない
  我は黒き星

 

5、デヴィッド・ボウイ、最期のメッセージ

 ポップミュージックとしてののどごしは正直いってそんなにいいものではないですけれども、この楽曲の持つ奥行きと深さはすごいものだと思います。まさに自分が歩んできた69年の人生の中におけるポップミュージックの有り様、そしてロックスタートはなにか、スターに託された思いは何なのか、そしてそれを求める社会とは何なのか、ありとあらゆるそういうテーマを内包しつつこの長大な楽曲に仕上げ、それが自分のラストアルバムのオープニングナンバーとして登場する、すごいと思います。トニー・ビスコンティがまた言ってることなんですけれども、このアルバムを制作していく過程でデヴィッド・ボウイはこれが自分のラストアルバムになる、そして自分の死後に多くの人がこの作品を聞くであろう、そしてそれを予測して自分の死をある意味暗示させて、そしてその死後にどう聞かれるのかということをテーマにした楽曲がこの作品の中にあるのだということに気付いて、面白いんですけれどもトニー・ビスコンティは「ずるい」って表現を使っているんですけれども、そういう風に言ったらデヴィッド・ボウイは笑ったそうなんですけれども、でもそういう事態に向き合いながらこの緻密な楽曲を作り上げそしてリスナーに伝えようと、そのデヴィッド・ボウイの強い意思はすごいと思います。最初に言ったように僕はこのアルバムを何回も聞いて、正直いってデヴィッド・ボウイの他のアルバムを聞くことができません。たくさんのデヴィッド・ボウイの好きな曲はあるんですけれども、デヴィッド・ボウイの死を前にして過去の楽曲を聞くことが自分の中でできないんですよね。デヴィッド・ボウイはそれを予測し、でもこのアルバムがあるだろうと、俺のこの最新作を聞けばいいんだよと、まるで生きているデヴィッド・ボウイと対話しているようなそんな気持ちになれる、でもデヴィッド・ボウイはこう言うんですね、アルバムのラストナンバーがI Can't Give Everything Away、私はすべてを与えることができない、この美しいナンバーでこのアルバムは終わります。

  私はすべてを与えることができない
  すべてを与えることが
  私はすべてを与えることができない
  見るほどに感覚を失い
  否定を口にしつつ肯定する
  これが今まで私が伝えたかったすべてだ
  私が送り続けた伝言だ
  私はすべてを与えることはできない
  すべてを与えることが
  私はすべてを与えることができない

 

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