音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

山下達郎、ジェームス・ブラウンを語る 日本においてR&Bは不良達が受容していった

20160503 「今日は一日“JB(ジェームズ・ブラウン)&ファンク”三昧」より

オダイジュンコ「山下達郎さんは、ジェームス・ブラウンとの出会いは何なのですか。」

山下達郎「60年代のトップ・フォーティー人間ですから。ただ、人生を変えたのは1969年に福田一郎さんが民放でパックインミュージック(Puck In Music)というのをやっていたんですよ。そこのイベントでタミーショー(T.A.M.I. Show)というのを虎ノ門ホールでやるから並んで整理券をもらってくださいということで、僕はザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)目当てで行ったんですよ。ビーチ・ボーイズはもちろんすばらしかったんですけれども、トリの前で出てきたジェイムス・ブラウンで、その時は16歳ですから、これで人生が変わったんですよ。なんだこれはって。Please, Please, Pleaseもきちんとやるんですよ。それで泥沼のようにR&Bに入ったんですよ。下の世代の方のマイケル・ジャクソンと同じですよ。」

吉岡正晴「その時ビーチ・ボーイズも出ていた。ジェームス・ブラウンも出ていた。ビーチ・ボーイズの方にも行かれますよね。一方でジェームス・ブラウンの方にも行く。これは平行線でほとんど交わらないんですか。」

山下達郎「交わりませんね。」

吉岡正晴「でも達郎さんはそれが両立していますね。かなり稀有な方ですよね。」

山下達郎「変ですね。ビーチ・ボーイズはそのころは稀有だったんでしょ。そのころ世間はジミヘン、クリーム、ヴァニラ・ファッジ (Vanilla Fudge) とかギターオリエンテッドなニューロック、プログレッシブロックという世界でしたから。」

吉岡正晴「その辺からすると、ビーチボーイズもジェームス・ブラウンも本当に異端だったんですか。」

山下達郎「異端でした。バンド始めた時も、ジェームス・ブラウンを周りの人間に勧めましたが、「なにこれみんな同じじゃん。コード一個しかないじゃん」って。」

吉岡正晴「じゃあジェームス・ブラウンをタミーショーで見て、衝撃を受けて、それは自分でもジェームス・ブラウンみたいなバンドをやろうとは思わなかったんですか。」

山下達郎「できるわけないじゃないですか。ジェームス・ブラウンの真似をしようと思ったことは一度もないです。できるわけがないですもん。僕はダンスできないし。ただ、僕は去年で40周年なんですけれども、ソロになって自分でツアーを始めた時のライブのルーティーンはほとんどジェームス・ブラウンの真似といっていいんですけれども。ただ、音楽的には全然違うんですけれども、やり方が。曲の構成のやり方とか、曲のテンポのチェンジのやり方とか、合図したらブリッジにいくとか、イントロが合図したら歌に入るとか、自分が合図したらエンディングに入るとか、そういうやり方は全部ジェームス・ブラウンです。」

吉岡正晴「それはジェームス・ブラウンのショーを何回か見て、このショーのフォーマットが自分に合うと思われたんですか。」

山下達郎「やりたかっただけです。初来日にも行きましたしね。73年ですね。」

吉岡正晴「その時は周りがすごく怖かったという話を以前伺いましたが。」

山下達郎「この当時、R&Bというのは、一般の大学に入るような子ども達には、十分な許容度がなかったんですよ。一般的な許容度もないんですね。日本はメロディー第一主義ですから。R&Bはダンスミュージックなのでしばしばリズム優先になるんですね。そういう中では、ジェームス・ブラウンとか、カーティス・メイフィールドとか、ボビー・ウーマックはメロディーがないと。曲調がみんな同じだっていうことで、敬遠されるんですよ。ただ、リズムというパターンにおいては、例えばラテンのミュージックなんかはリズムの構築でヨーロッパと同じく何百年の歴史を持っているから、そういうポリリズムという視点から見れば、きちっとしたものなんですけれども、それは日本のポピュラーミュージックの土壌にはないから、いくら説明しても分からなかったのでね。だから、結局日本でR&Bに最初に飛びついたのは、ヤンキー、ツッパリ、暴走族、カミナリ族で、基本的に60年代のR&Bを引っ張っていったのはそういうヤンキーの人たちなんです。そういう人たちがディスコティックで踊る中で、R&Bという音楽を許容していったんです。それが、シャネルズみたいなロックンロールに行く方向と、バブルガム・ブラザーズみたいなR&Bに行く方向と二つあるんですけれども、僕はヤンキーではなかったんですね。それが悲劇だったんです。僕はロン毛でしょ。73年にジェームス・ブラウンが初来日して、新宿の厚生年金会館に行った時は100%ヤンキーですからね。お客さんは。ロン毛は一人か二人。でも始まったら関係ないですよ。みんな同じ。」

吉岡正晴「達郎さんはそのヤンキーの中で唯一、孤軍奮闘というか、非常にユニークな立ち位置でジェームス・ブラウンをお好きになっていった。で、73年の初来日の時期だと、レコードをコレクションするまではいかないですよね。普通に輸入盤を何枚か買っていくみたいな感じで。」

山下達郎「でも、ポリドールは比較的精力的に出していたんですよ。I Got Ants in My Pantsがちょうど出た時のライブですから、Lyn Collins(リン・コリンズ)とのWhat My Baby Needs Now Is A Little More Lovin'もステージでやりました。それを必死に買いました。日本盤なんかないですから。外盤しか。シングルは特に。で、LPは出ないから。」

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