ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ヒストリー  デビューから4th「Hunky Dory」まで

20170109  「今日は一日“デヴィッド・ボウイ”三昧」より解説は小野島大氏です。

 デヴィッド・ボウイは最初はデヴィッド・ボウイと名乗っていなくて、そこからデヴィッド・ボウイと名乗るようになって、グラムロックで花開くまでの時期についてです。デヴィッド・ボウイは1947年1月8日に、ロンドンのブリクストンという所で生まれています。T. Rexのマーク・ボラン(Marc Bolan)と同い年で、しかも誕生日がエルヴィス・プレスリー (Elvis Presley)と同じ、2歳年上がピート・タウンゼント(Pete Townshend)、3歳年上がレイ・デイヴィス(Ray Davies)、4歳年上がミック・ジャガー(Mick Jagger)という感じです。で、ブリクストンというという所が、ジャマイカとかアフリカとかアイルランド系の移民がたくさん住んでいる所だったんですけれども、そこから54年に郊外のブロムリーという所に移って、59年、12歳のときにサックスを習い始めます。62年に友達と喧嘩をして左目を負傷したということで、それ以来デヴィッド・ボウイは左と右で目の色が違う、左目の視力がずっとよくなくて、それはこの時の怪我が原因でありました。62年に初めてのバンド「Konrads」に参加して、そこで本格的な音楽活動を開始します。そして、1965年についにレコードデビューを果たすわけなんですが、まずはこの曲を聞いていただこうと思います。Davie Jones & The King Bees名義のデヴィッド・ボウイのデビューシングル、Liza Jane。



 このThe King Beesというバンド名はI'm a King BeeというSlim Harpoという昔のブルースマンのヒット曲からとったもので、典型的な当時のR&Bとかブルースに影響をうけたビートバンドです。1965年という年にどういうものが出ていたのかというと、The WhoのMy Generationとか、The Kinksだと前の1964年にYou Really Got Meという大ヒット曲をだしていて、The Rolling Stonesだったら(I Can't Get No) Satisfactionとか、Bob DylanだったらLike a Rolling Stoneとか、The BeatlesだったらHelpとかYesterdayとか、そういう年ですね。そこでこのシングルはちょっとまだ弱いかなという感じがあるし、まだデヴィッド・ボウイ独特の歌唱法も全然確立されていない。この時代のデヴィッド・ボウイはいろいろなグループを作っては壊し、作っては壊しで、シングル盤も何枚かは出しているんですけれども、悉く空振りというか、まったくかすりもしない状態で、かなり厳しい状況でしたが、それでもなんとかいいマネージャーもついて、だんだんボブ・ディランとかのフォークロックに影響を受けて、音楽性が変わっていきました。1967年に待望のファーストアルバムを出します。「David Bowie」というタイトルなんですけれども、そこから日本語のタイトルはすごくて「愛は火曜まで」というんですけれども、聞いてください。Love You Till Tuesday。


 この頃のデヴィッド・ボウイは、ボブ・ディランに影響を受けていたと言いながらも、ファンタジックな、今でいうアイドルっぽい感じの曲で、歌い方はだいぶデヴィッド・ボウイっぽくなってきますけれども。当時は20歳だったんですけれども、このアルバムはザ・ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」と同じ日に発表されました。1967年という年はジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)がデビューしたり、ドアーズ(The Doors)やクリーム(Cream)やザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) がデビューした年で、その年にこの音楽だったら、ちょっと浮世離れしすぎているかなという感じが若干あります。本名はデヴィッド・ジョーンズで、このアルバムを出すちょっと前くらいにデヴィッド・ボウイにして、ザ・モンキーズ(The Monkees)にデイビー・ジョーンズ(Davy Jones)というボーカルの人がいて、それと混同されるのはまずいということで、デヴィッド・ボウイという名前にかえました。どうしてボウイとう名前になったのかについては諸説あるんですけれども、そこからファーストアルバムは全然売れなくて、反響もなく、デヴィッド・ボウイもガッカリで。そこでデヴィッド・ボウイが何をやったのかというと、リンゼイ・ケンプ(Lindsay Kemp)というダンサーというか、パフォーマーというか、その人に弟子入りしてパントマイムを学んだんです。要するに、不遇だった低迷の時期に音楽修行をするんじゃなくて、パントマイムを学んだ自分の表現の幅を広げようとしたんですね。そこはやっぱり他のミュージシャンと全然発想が違うところで、その後のデヴィッド・ボウイの歩み方を象徴していると思いますね。リンゼイ・ケイプというのは有名な人で、後にはケイト・ブッシュ(Kate Bush)なんかも指導された方なんですけれども、そういう人の指導で、1967年12月には舞台デビューしてしばらく俳優というかパフォーマーとして活動していきます。そのうちに2年くらい経ちまして、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督の「2001年宇宙の旅」という名作SF映画が公開されまして、これをたまたまデヴィッド・ボウイが見ましてショックを受けたと。これはイマジネーションがピンと湧いたなということで作ったのが「Space Oddity」です。そして、Space Oddityという曲が大ヒットしてデヴィッド・ボウイの一つのきっかけになったんですけれども、そのSpace Oddityを含むセカンドアルバム、タイトルは「David Bowie」というタイトルだんたんですけれども、レーベルが変わって、しかも同じタイトルで混同されるのはまずいということで後に「Space Oddity」というタイトルで出し直されたんですけれども、その中からWild Eyed Boy From Freecloudという曲を聞いてください。


 このアレンジはトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)で、トニー・ヴィスコンティと最初に作ったのがこのセカンドアルバムなんです。歌唱も曲の感じも後のデヴィッド・ボウイの感じで、セカンドアルバムで彼は完全に自分の世界を確立しました。トニー・ヴィスコンティとの初コラボで1969年にセカンドアルバムを出して、でもそうは言ってもそれほどは売れなかったみたいなんですけれども、シングルは売れたけれども。そこで次のアルバムとして出たのが「The Man Who Sold the World」というアルバムです。当時23歳だったデヴィッド・ボウイが出したんですけれども、その前にハイプ(The Hype)というバックバンドを結成しまして、そのバンドにはミック・ロンソン(Mick Ronson)とか、トニー・ヴィスコンティとかそういう人たちが入って、要するにロックバンドと共にアルバムを作ったと。だから、ロック色が強くなったのが「The Man Who Sold the World」なんですけれども、その中からSuper Menという曲を聞いてください。


 「The Man Who Sold the World」はアルバムがデヴィッド・ボウイが長髪で女装しているアルバムですよね。ドレスを着てソファーに横たわっている。今見れば何のこともないですけれども、この当時は1970年ですから、「これはなんだ」って問題になったみたいですけれども。今聞いていただきましたように、エレクトリックなロックサウンドになっていて、アルバム三枚全部違うことをやっております。ニルヴァーナ (Nirvana) が後にカバーをしたThe Man Who Sold the Worldというアルバムのタイトルソングがあるんですけれども、それもそうですけれども、この頃のデヴィッド・ボウイは個人的にいろいろな問題を抱えていたらしく、全体的に暗いアルバムなんですけれども、今のSuper Menという曲は、人間を超えた超生命体みたいな事を歌った、要するにSF的な曲で、ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)がすぐそこに来ているという感じがあります。このアルバムが出たのは1970年の4月なんですけれども、70年の2月にロンドンのライブで、デヴィッド・ボウイとバンド達が非常に派手なユニセックスの格好をして出てきて、観客の度肝を抜いたらしいんですけれども、これが一般的にはグラムロック誕生の瞬間であると言われております。1970年2月が。実はその翌日に、最初の奥さんであるアンジー・ボウイ(Angie Bowie)と結婚するんですけれども、このアンジーという人はモデルで、デヴィッド・ボウイ達の衣装もアンジーがデザインしていたと。で、アンジーのおかげで衣装も派手派手になっていって、グラム化がどんどん進んでいくと、そういう状況があったわけですね。そうこうしている内に、1971年になりまして、今度は「Hunky Dory」という4枚目のアルバムがでます。この中からOh! You Pretty Thingsという曲を聞いてください。


 「Hunky Dory」というアルバムは71年の11月に出まして、これが全英チャートの3位まであがって、ブレイクしたといっていいでしょうね。今のOh! You Pretty Thingsという曲は、実は71年5月にデヴィッド・ボウイに長男が誕生しまして、ゾウイ・ボウイ(Zowie Bowie)といって、今はダンカン・ジョーンズ(Duncan Jones)という気鋭の映画監督ですけれども、この人が生まれまして、その生まれた子どもを祝うために、Oh! You Pretty Thingsという曲ができたということです。どういう歌詞の内容かというと、新しい人類が誕生しましたと、もう古い奴らはいなくなってもいいと、そういう世代交代というか新しい人たちに代わっていくんだよというChangesですよね、そういうものを歌った曲で、前作の「The Man Who Sold the World」はちょっと暗かったんですけれども、この作品は全体的に明るくて前向きなものになっています。とにかく名曲がたくさん入っているアルバムなので、未だにこのアルバムが一番好きというデヴィッド・ボウイファンの人は結構いると思います。


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