音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ヒストリー 10th「Low」から13th「Scary Monsters」まで

20170109  「今日は一日“デヴィッド・ボウイ”三昧」より解説は小野島大氏です。

 ベルリン三部作の時代。ある意味、デヴィッド・ボウイが音楽的に一番充実していた時期ではないかと思います。前作の「Station to Station」というアルバムが内容的にも大成功で、ツアーもすばらしかったと。で、デヴィッド・ボウイは重度のコカイン中毒に悩まされていて、その当時のことは全然記憶にないというくらいにはまりまくっていたんですね。さすがにもう生命の危機を感じるくらいの危機感が彼の中にもあったらしくて、LAでの退廃的な生活はもうやめようということで、区切りをつけたいと。それから「Low」というアルバムを作るのですが、その前に盟友のイギー・ポップ(Iggy Pop)が苦境に陥っていて、じゃあイギーを助けようということで、イギー・ポップの「The Idiot」というアルバムを作るんですけれども、それに並行して自分のアルバムも作り始めると。最初はパリで制作をはじめたんですけれども、パリのスタジオに不具合があったという話で、ベルリンに移るんですね。その時のパートナーというのがトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)とブライアン・イーノ(Brian Eno)。このふたりをパートナーにして「Low」というアルバムをベルリンで制作を続けて、完成させます。それが1977年1月に出たアルバムなんですけれども、そこからこれもすごい曲がいっぱいあるのですが、ここではSubterraneansという曲を聞いてください。



 これは名高いベルリン三部作の最初のアルバム「Low」の一番最後に入っている曲で、最後の方でデヴィッド・ボウイは歌っていますけれども、歌詞は意味がないというか、よくわからない歌詞なんですけれども、なんでこういう音楽性にいきなり変わってしまったのかというと、ブライアン・イーノが当時はじめたばかりのアンビエントミュージックのコンセプトにデヴィッド・ボウイが深く共感をして、こういうのをやりたいと。あとはブライアン・イーノのすすめもあって、ジャーマンエレクトロニクスのバンド、例えばタンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)とか、クラフトワーク(Kraftwerk)とか、ノイ!(NEU!)とかそういうバンドを聞き始めてその影響というのがまずあります。それに、アメリカでの退廃的な生活から逃れたヨーロッパに回帰していくというこれらの思考が重なって、こういうアルバムができました。このSubterraneansという曲は、冷戦時代の東ベルリンの様子を曲にしたらしいんですけれども、もともとは「地球に落ちて来た男」という映画のサントラ盤として書いた曲にブライアン・イーノがシンセサイザーをダビングした作ったという曲で、すばらし、美しい曲です。この後、デヴィッド・ボウイは即座に次ぎのアルバムの制作にかかります。イギー・ポップの「The Idiot」を出して、イギー・ポップの次のアルバム「Lust For Life」というのがあるんですけれども、それとまた同時進行で作られて行って、それが「"Heroes"」というアルバムです。このアルバムにも名曲がいっぱい入っているんですけれども、これもちょっとひとひねりしてThe Secret Life of Arabia。



 「Low」というアルバムがわりと短めのニューウェーブっぽい感じのポップな曲とシンセのインスト曲が中心だったんですけれども、「"Heroes"」はもうちょっとロック的にメリハリのきいたドラマティックな曲が多いのですが、あえてひとひねりしてThe Secret Life of Arabiaをかけました。ちょっとファンタジックというか、映画の一場面のような、エキゾチックな、こういう曲を歌わせると本当にデヴィッド・ボウイはうまいというか、雰囲気だすなぁという感じで、好きな曲なんですね。次は「Lodger」というアルバムなんですかれども、それの予告にもなっている感じです。このアルバムを出した翌年の1978年の12月にデヴィッド・ボウイは二度目の来日を果たすんですね。私も見に行って、何が鮮烈だったかって、「Low」のB面の1曲目に入っているWarszawaという曲があるんですけれども、まだ客電がついている中にメンバーがゾロゾロ出てきていきなりWarszawaを演奏し始めたという。ビックリして、会場の人はあわてて照明を消したのを鮮烈に覚えていますけれども、あの演出が衝撃的で、かっこよかったです。この演出に影響を受けて、日本のバンドも同じような演出をしていたことも覚えています。それで、ベルリンの二部作が終わって、次が「Lodger」というアルバムなんですが、実はこの作品はベルリンでは制作していなくて、スイスのモントレーで録音をして、ニューヨークで仕上げたと。ただ、ブライアン・イーノがかんでいるのでベルリン三部作と言われています。このアルバムは、前の二作が非常に緊張感があるダークなアルバムだったのですけれども、この「Lodger」というアルバムはどちらかというとリラックスしたアルバムで、アフリカとか中近東とかいろいろなところを旅したデヴィッド・ボウイの印象のようなものがつづられているリラックスしたアルバムなんですけれども、そのような中でもデヴィッド・ボウイらしいピリピリとした曲もあるので、それを聞いてください。African Night Flight。



 ニューウェイブと共振したような曲です。この当時はファンクとかニューウェイブとかが出てきて、オールドウェイブと言われる昔のロックの人たちは完全に脇に追いやられる時代だったんですね。実際に私たちは耳が変わってしまって、昔のザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) とかは聞いてられるかっていう時代だったんですけれども、デヴィッド・ボウイだけは例外というか、実際にデヴィッド・ボウイも若いニューウェイブの人たちと交流があって、そのデヴィッド・ボウイの影響から出て来たニューウェイブの若い人たち、具体的に言うとニューロマンティック(New Romantics)という人たちなんですけれども。そういう人たちに一番影響を及ぼしたのではないのかなぁというのが、次の「Scary Monsters」です。これはもうヨーロッパから離れてニューヨークで録音されました。かけるのはScary Monstersというタイトル曲なんですが、これがロバート・フリップ(Robert Fripp)というキング・クリムゾン (King Crimson)のギターがフューチャーされています。前私がロバート・フリップにインタビューした時に、あなたのギタリストとしてのベストプレイは何なんだって聞いたら、一曲目がブライアン・イーノのBaby's on Fire、二曲目がデヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)のGone To Earth、最後にあげたのがこのScary Monstersと。要するに、キング・クリムゾンの曲ではないんですよ。全部他人のレコードで弾いた曲が自分のベストプレイと。そのロバート・フリップのベストプレイが聞けるScary Monstersを聞いてください。



 Scary Monstersというのはニューウェイブへの対応というのもありますし、Ashes to Ashesのミュージックビデオが革新的だったというのもあって、80年代のミュージックビデオの時代を予見していたというのが一つ。それからもう一つ、デヴィッド・ボウイにとっても70年代の総括という意味もあったんですね。そういうわけで、これは私の完全に偏見なので異論はたくさんあると思いますけれども、おそらくデヴィッド・ボウイはこの時点で音楽的なモチベーションはほとんど使い果たしてしまったと。やりたいことは全部やり尽くしてしまったというのが私の見立てなんですよ。その他にもいろいろマネージャーとの契約問題とかもあったんですけれども、その後2年半くらいデヴィッド・ボウイはほとんど音楽活動をしていない。次のアルバムは「Let's Dance」なんですけれども、そういうことで、それよりはむしろ俳優とかそういった方向に彼の力が向いていったのが80年代なのかなという感じです。

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