音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

アメリカン・ミュージックの系譜(5) ニューヨークを中心とする都市の商業音楽の発展

アメリカン・ミュージックの系譜第四回 講師は大和田俊之氏です。

1、旧移民と新移民

 旧移民と新移民という言い方があります。旧移民というのは、だいたい17世紀以降に北米に入植した、アングロサクソン系、あるいはゲルマン系、あるいはスカンジナビア系などのヨーロッパ系の移民のことを指します。新移民というのは、19世紀後半以降に、ロシアや東ヨーロッパ、あるいは南ヨーロッパから北米に移民した人たちを指します。とりわけユダヤ系が非常に多かったわけです。1881年以降、ロシア皇帝のアレクサンドル3世が異人種を弾圧したことで、ユダヤ人がアメリカ大陸に流れてきました。また、南ヨーロッパのイタリアやスペインなどからも移民が来ました。よって、旧移民の特性としては、基本的にはプロテスタントなんですが、新移民というのはカトリックが多かったわけです。また、旧移民というのはヨーロッパから東海岸に到着して、西へ西へとアパラチア山脈を越えて移動していくわけですけれども、この東海岸に到着したヨーロッパ人が西へ移動していくことによって「アメリカ人」になっていくわけです。つまり、先住民との戦いや、政府とは関係なく家族を守っていくという、アメリカ人特有の気質というか、ヨーロッパ的な青白いエリートというよりも、素朴ながら家族をきちんと守るというのがアメリカの理想的な男性像であるといった考え方がはぐくまれていきました。他方、新移民は、中には西へ行った人もいますが、多くの新移民は東海岸の都市にとどまったというか、都市の下層階級を形成しました。それは都市がどんどん発達していったので、都市の中で工場労働者として生活を営んでいくという人たちが、どんどん増えていきました。

2、娯楽産業の成立

 この新移民の中から19世紀の後半から20世紀初頭にかけて、娯楽産業が発達していきます。つまり、都市が発展すると、移民も含めて地方からいろいろな人が都市に入ってきて、工場労働者となっていきます。田舎では日が昇って働き日が沈んで寝るといった生活ですが、工場労働は時間によって労働が管理されます。よって、何時まで働いてその後にレジャーというか娯楽の時間が生まれ、その娯楽を専業とする人々も生まれてきます。

3、ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)の成立

 この中で、とりわけ音楽産業というのは、ニューヨークのマンハッタンを中心に発展していきます。現在のブロードウェイとかタイムズスクエアに音楽出版社ができます。音楽出版社が実際にはどういうものであったのかというと、小さい部屋の中にアップライトピアノがあって、そこに作曲家と作詞家が詰めて、一日中曲を作っていきます。その通りが一日中ピアノの音でうるさいということで、ある新聞記者が「ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)」と新聞で名付けました。最初は肯定的な意味で使っていたわけではなくて、むしろ大した曲でもないのに商業主義的な音楽をたくさん作っているうるさい横町という意味で、ティン・パン・アレーと言う風に名付けたわけです。しかし、このティン・パン・アレーという名前が、ニューヨークの一つの地域の名前にもなるし、広い意味では音楽ジャンルの一つともなって、この言葉が定着していくことになります。映画は最初はニューヨークで始まるわけですけれども、ニューヨークは狭いのでセットがなかなか組めなかったりで撮影するには場所としてよくないということで西海岸に移っていって、今のロサンゼルスの郊外にハリウッドという場所を見つけて、広大なセットを組んで発展していきます。東海岸のミュージカルのブロードウェイと東海岸の映画のハリウッドの両方の娯楽産業の発展とともに、そこに音楽を供給していく一大産業として、ティン・パン・アレーも発展していきます。基本的には、ハリウッドであったりブロードウェイの挿入歌であったり、サウンドトラックをどんどん排出していくわけです。映画やミュージカルが発達していけばいくほど、音楽への需要も高まるので、ティン・パン・アレーの作曲家や作詞家が馬車馬のように働いて、ものすごい数の曲を作っていくという状況ができてくるわけです。そして、この中から後世に名を残す作曲家の方々が出てきます。

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