音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

アメリカン・ミュージックの系譜(6) ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)の作曲家達

アメリカン・ミュージックの系譜第四回 講師は大和田俊之氏です。

1、意義

 ティン・パン・アレーには、ものすごい数の作曲家や作詞家がいました。移民がたくさんアメリカに入ってきていて、また南部などからもたくさん人が来ていて、音楽産業に従事したい人達がたくさんいて、簡単に言うと替えがいくらでもきくといった状況で、そのような中でみながしのぎを削って、一曲あてたいという、ものすごく商業主義的な中で、激しい競争の中で作曲家の人たちは活動してました。その中から4人とりあげます。

2、ティン・パン・アレーの作曲家達

 (1)、ジェローム・カーン(Jerome Kern)

  まずは、ジェローム・カーン(Jerome Kern)です。父がドイツ系のユダヤ人です。彼の代表曲は、1933年の「ロバータ(Roberta)」というミュージカルの挿入歌のSmoke Gets in Your Eyes。おそらく一番有名なのは、戦後にプラターズ(The Platters)というボーカルグループがカバーをしたバージョンだと思います。Smoke Gets in Your Eyes。



 (2)、アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)

  次に取り上げたいのは、アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)という作曲家です。ジェローム・カーンは父がドイツ系ユダヤ人でしたけれども、アーヴィング・バーリンはロシア系のユダヤ人で、移民として5歳の時にアメリカに移住してきた人です。彼は、White Christmasという誰でも知っている曲の作曲者として有名です。先ほどから強調しているように、ユダヤ人が多いのです。ユダヤ人がWhite Christmasという曲を作曲して、おそらくこの曲は世界で録音された曲の中でもっとも売れている曲ですね。ユダヤ人がクリスマスの曲を書いてヒットさせるということは、アメリカのジャーナリストの間でよく笑い話になっていて、ユダヤ人がクリスマスソングを書くことについて民族的な出自は関係ないんだととらえる人も多いですし、また伝記などをよむとバーリン家はそれほど熱心なユダヤ教徒ではなくて家族でクリスマスを楽しんでいたのではないのかとう解釈もあるんですけれども、いずれにしてもユダヤ人がWhite Christmasという曲を書いて、これが世界でヒットしてしまうというのは当時の商業主義というか、アメリカの商業音楽の熾烈な競争社会をあらわしているような気がします。ビング・クロスビー(Bing Crosby)が歌うバージョンで、White Christmas。



 この曲は、初演はラジオ放送向けで放送されたのが最初ですけれども、1942年の「Holiday Inn」という映画の挿入歌になりました。アーヴィング・バーリンはAlexander's Ragtime Bandなどのヒット曲を持つ、当時のヒットメイカーの一人だといっていいと思います。

 (3)、コール・ポーター(Cole Porter)

  続きまして、コール・ポーター(Cole Porter)。コール・ポーターはユダヤ人ではありません。エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)が歌うBegin The Beguineを聞いていただこうと思いますが、ティン・パン・アレーの楽曲というのは、楽曲の構造がみんな似てくるんですけれども、このBegin The Beguineという曲は結構複雑な構成の曲で、その点でも有名な曲です。Begin The Beguine。



 (4)、リチャード・ロジャース(Richard Rodgers)

  最後に、この時代の作曲家でリチャード・ロジャース(Richard Rodgers)という人の曲をかけてみたいと思います。ロレンツ・ハート (Lorenz Hart)という人と組んで曲をたくさん残している人ですけれども、My Funny Valentineというこれも有名なナンバーですけれども、チェット・ベイカー(Chet Baker)のバージョンで聞いてください。



3、ティン・パン・アレーの音楽をどう評価すべきか

 (1)、ティン・パン・アレーの音楽の特徴

  ティン・パン・アレーの音楽とは、要するに戦前の古き良きハリウッド映画でかかっているようなイメージの曲ですね。ティン・パン・アレーの曲の特徴の話をしたいんですけれども、楽曲構造がほとんど同じになっています。簡単に言うと、32小節AABA形式という形にだいたいかたまってきます。32小節AABA形式ということは、8小節8小節8小節8小節でAABAという形で、同じようなメロディーが8小節8小節と続いて、Bで少し違うメロディーが来て、もう一回Aの8小節に戻ってくるという構造です。だいたい、当時のティン・パン・アレーの7割から8割はこの構造になっているのではないかという風に言われています。Begin The Beguineは例外なんですね。

 (2)、ティン・パン・アレーの音楽をどう評価すべきか

  ティン・パン・アレーの音楽をどういう風にとらえるべきなのかということなんですけれども、僕自身はこれは楽曲の標準化、規格化だと思います。1910年代に音楽に限らずにアメリカ社会の様々な側面において、商品の標準化が進んでいきます。非常に有名な例でいうと、自動車の大量生産、大量消費の象徴といわれるフォード社のT型フォードですけれども、これも1910年代にフォードがベルトコンベア方式を開発して可能となったのですが、それと同じ時期に、音楽の楽曲も標準化も進んでいきます。ちなみに、ハンバーガーの最初のチェーンができるのも1910年代なんですね。それで、当時の新聞とか雑誌を調べていくと非常に面白くて、「Factory Made」という言葉が非常に肯定的に使われています。つまり、「Home Made」よりも「Factory Made」の方が価値が高いものとして、当時のメディアをみると出てきます。家庭がそれほど豊かではなくて、それよりも工場の未来的なイメージの中で、最先端のテクノロジーを使って、ベルトコンベアで造られるものが、家で造られるものよりもカッコよくて、すばらしいという価値観ですね。この価値観を理解しないと、なぜ規格化、標準化がこれほど広まったのかということを理解することはできないと思います。大量生産大量消費が始まった1910年代に、音楽においても標準化が進んでいったということですね。このことは、ラジオとか映画とか新しいメディアの発達とともに、ティン・パン・アレーの重要な特質として強調しておかなければなりません。そして、これは決して悪い事ではないと思います。私自身は、あまりに規格化された楽曲の中で、これほど歴史を通して聞き継がれていく楽曲がたくさん生まれたという所に、ヨーロッパ文化とは違うアメリカ文化の良さがここに一番現れているのではないかと思います。

4、著作権管理団体の設立

 こういった形で、ブロードウェイのミュージカルとハリウッドの映画産業の発達とともに、非常に商業主義的な、大量生産大量消費を前提とした音楽制作が、ニューヨークでどんどん発展していきます。1914年にASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)という著作権管理団体が設立されます。逆にいうと、この時期までアメリカには音楽産業の中で著作権管理団体が存在しなかったわけですね。簡単に言うと、19世紀まではアメリカの音楽出版社はヨーロッパの曲の海賊盤を売っていた方が儲かったわけです。だから、著作権を厳密に管理すると、かえって自分達の利益にはならなかったわけです。しかし、ニューヨークの音楽産業がどんどん発展していって、実は19世紀のヨーロッパの芸術音楽をやっているような人からはこうした音楽はユダヤ人差別とも重なる形で「音楽ではなくて商品だ」と常に批判されていましたが、自国の作曲家がどんどん曲を作り出すことによって、やはり権利を守らなければならないだろうということで、1914年にアメリカ最初の著作権管理団体が生まれたわけです。


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