ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

アメリカン・ミュージックの系譜(19) 再評価されるブリル・ビルディング・サウンド

アメリカン・ミュージックの系譜第九回 講師は大和田俊之氏です。

1、ロックンロールの終焉

 ・1950年代にロックンロールという音楽ジャンルが生まれて、突如としてアメリカのメジャーな音楽ジャンルになるわけですけれども、ロックンロール自体は非常に短命に終わります。主要なプレイヤーがさまざまな不幸に見舞われて、音楽シーンから退場してくわけですね。まず、エルヴィス・プレスリー (Elvis Presley)が徴兵されてドイツに行ってしまいます。リトル・リチャード(Little Richard)は神の啓示を受けて音楽活動をやめて教会に行ってしまいます。バディ・ホリー(Buddy Holly)は飛行機の事故で亡くなってしまいます。チャック・ベリー(Chuck Berry)はちょっと悪いことをやって捕まってしまいます。ロックンロールの主要なミュージシャンが音楽シーンからいなくなってしまいます。

2、再評価されるブリル・ビルディング・サウンド(Brill Building Sound)

 (1)、ブリル・ビルディング・サウンドとは?

  ・ロックンロール終焉後の1950年代後半から、ビートルズがアメリカに着て、ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)といって、イギリスの若いバンドがアメリカのチャートを席捲する1964年までの間の期間の、一番メジャーな音楽ジャンルは何かというと、ブリル・ビルディング・サウンド(Brill Building Sound)と言われる音楽です。一番わかりやすいのはオールディーズ (Oldies)と一般的に言われているのは、だいたいこの辺の時代のサウンドですね。今でもニューヨークにはブリル・ビルディングがありますが、そこにたくさん音楽出版社があって、そこでいろいろな音楽が作られていたのでブリル・ビルディング・サウンドと言ったりします。ブリル・ビルディング・サウンドは、アイドルポップみたいなものでだと思ってください。若い、割とアフリカ系の女性が多いんですけれども、女の子3人4人のグループがアイドルとして非常に人気を博しました。こういう風な曲がヒットしたということで、リトル・エヴァ(Little Eva)でThe Loco-Motion。



   この曲を作曲したのがキャロル・キング(Carole King)とジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)という人で、キャロル・キングは1970年代のシンガーソングライターブームの一翼を担う人ですけれども、リトル・エヴァはキャロル・キングのベビーシッターでした。キャロル・キングやジェリー・ゴフィンのような様々な若い作詞作曲家が活躍して、アイドルに曲を提供してというシーンでした。よって、多くの人はティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)的なものの再来であるという言い方をしたりします。

 (2)、再評価されるブリル・ビルディング・サウンド

  ①、意義

   ・ロックンロールがいろいろな不幸があって停滞し、1964年にビートルズが着てやっと若者らしい音楽が復活したんですけれども、その間の期間(1957年から1963年)はティン・パン・アレー的なものが保守反動として復活してしまったというニュアンスでとらえる人が、昔は比較的多かったような気がします。しかし、アメリカでは1990年代から2000年代にこの時代の再評価がすすんでいます。この時代にはビッグネームがないわけですね。エルヴィス・プレスリーとか、ビートルズとか燦然と輝く固有名詞がいないわけですね。よって、評価が低かったんですけれども、作家研究から文化史研究という大きな研究動向の流れがありまして、音楽でもビートルズとかエルヴィス・プレスリーとかの固有名ではなくて、この1960年代に、例えばレコーディングスタジオが発展したとか、ダンスの流行で非常に重要であったとか、こういう文化を固有名詞で語るのではなくて文化史的にとらえるという学術研究の方向性のシフトとこの時代の評価は非常に連動していると思ってください。ただし日本のリスナーの場合は特殊で、大瀧詠一さんや山下達郎さんの番組でこの辺の時代の音楽をいろいろやったことが、後になって学術的にも正しかったんだと知ることが多かったと思います。

  ②、レコーディング技術の圧倒的な進化

   ・この時代が再評価される一つの要因として、レコーディングスタジオ、レコーディング機器の圧倒的な進化が挙げられます。音楽プロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)はレコーディングスタジオでいろいろな実験を始めます。レコーディングスタジオは、レコーディングというわけですから、これまでは音楽を演奏する人たちがいて、演奏している人たちをうまく記録できればいいなというものだったんですけれども、この頃から、多重録音であったり、様々な技術の進化によって、レコーディングスタジオの中で一から音を作っていくということを始めます。普通はバンドがレコーディングをするというと、ドラムがいて、ベースがいて、その音をとって、その後にギターやキーボードを重ねていって、最後はボーカルを入れてという感じなんですけれども、フィル・スペクターはギターをスタジオに4、5人入れて、ベースも2、3人くらい並べて、総勢20人とかものすごい数の人数をスタジオの中に詰め込んで、一斉にに音を出させて、それをエコー・チェンバーといって反響室で音をワンワン反響させたのを録音するということをします。一つ一つの楽器の音の輪郭がはっきりとしたレコーディングではなく、こうすると非常に音に迫力がでるわけですね。これは後に「ウォール・オブ・サウンド」、音の壁と呼ばれました。このフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドのわかりやすい例として、ザ・ロネッツ(The Ronettes)のBe My Babyや、ザ・クリスタルズ (The Crystals)のDa Doo Ron Ronとかヒット曲があるんですけれども、この曲が一番わかりやすいと思うので、アイク&ティナ・ターナー (Ike & Tina Turner)のRiver Deep - Mountain Highを聞いていただきます。反響の深さに注目していただきたいと思います。



  このように、フィル・スペクターだけではありませんが、レコーディングスタジオの中での実験が出てきて、例えば1960年代後半にビートルズもテープの逆回転であったり、多重録音であるとか、いろいろなことをやるようになって、単に演奏を記録するだけではなくて、レコーディングスタジオの中で作り出すということがこの時代に非常に大きく進化したということです。

3、アメリカの音楽史における1957年から1963年までの期間の再定位

 ・1964年にビートルズがアメリカにきて、大変なブームが起こります。1964年2月9日にエド・サリヴァン・ショー(The Ed Sullivan Show)で演奏して、今はDVDでいろいろな映像でみることができると思います。この映像を見て強調しておかなければならないことは、女性ファンが非常に熱狂的に応援しているシーンが有名ですけれども、1964年の時点では需要としては、アイドルであったわけです。つまり、ロックミュージックという認識よりは社会的にはアイドルとして受容されたと考えた方がおそらく正解であろうと思います。もしそうだとすると、ロックンロールでエルヴィスがいたんだけれどもロックンロールが衰退して、その後ビートルズが出てくる1964年までは保守反動の時代であるという見方がありますけれども、実はそうではなくて、フィル・スペクターがレコーディングスタジオで実験していたのは、あるインタビューで「アイドルポップスにロックンロールの迫力を与えたかったんだ」という言い方をしているんですね。となると、ロックンロールからフィル・スペクターのスタジオでの実験を経てビートルズになるというのは、そこは連続性を持ってみることができます。ではビートルズは何であったのかというと、1964年の頃はアイドルポップスの延長線上としてとらえることができると思います。そうなると、その間の期間を保守反動ととらえるよりは、連続性の中でとらえることができるのではないかと私自身は考えております。


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