音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

アメリカン・ミュージックの系譜(26) アメリカの音楽史をラテン音楽の視点で見る

アメリカン・ミュージックの系譜第十二回 講師は大和田俊之氏です。 

1、意義

 ・アフリカ系アメリカ人以外のマイノリティーの音楽として、ラテン音楽についてお話します。ラテン音楽とは中南米の音楽で、それがアメリカ合衆国に入ってきて流行するということです。

2、ラテン音楽が席捲した2016年

 (1)、ビルボード総合チャート

  ・2016年のビルボードの総合チャートの2位3位4位がだいたいジャマイカを発祥とするダンスホールレゲエのリズムになっています。そういう意味で、2016年はジャマイカの音楽がアメリカの総合チャートを独占した年でした。

 (2)、ラテンチャート

  ・総合チャート以外にビルボードにはラテンチャートというものがあります。アメリカ合衆国の中でのラテン音楽のランキングです。そのランキングで1位をとったのがニッキー・ジャム(Nicky Jam)で、一般的にはレゲトンと言われるジャンルのアーティストです。Hasta el Amanecerという曲を聞いていただこうと思います。



  この曲のYoutubeの再生回数が10億回を越えているんです。ビルボードの総合チャートの1位だったジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)の曲とほとんど同じくらいなんですね。これはアメリカ合衆国で流行したチャートの1位の曲なんですけれども、だいたいラテンチャートで1位になるということは、スペイン語圏でヒットした曲ということになっていて、そうなると中南米と北米の中のヒスパニック、ラティーノのコミュニティーで流行したということです。つまり、地球の3分の1か4分の1の地域でこの曲が大ヒットしていたということです。

3、アメリカ最大のマイノリティーとなったヒスパニック

 (1)、意義

  ・ラテン音楽がアメリカの音楽界を席巻している理由は、アメリカでヒスパニック、ラティーノの人口がどんどん増えているからです。

 (2)、2000年国勢調査

  ・アメリカ合衆国は10年に一度大々的な国勢調査を行いますが、その時に人種は自己申告なんです。自分はアフリカ系のアイデンティティーであるとか、自分はヒスパニックのアイデンティティーであるとか、自分はアジア系であるのか、記入する欄があるわけです。2000年の国勢調査で、ヒスパニックが12.5%、アフリカ系が12.3%と、アメリカ最大のマイノリティーがアフリカ系ではなくてヒスパニック系になり、これは非常に大きなニュースになりました。注意しなければならないことは、ヒスパニックで白人というアイデンティティーを持っている人もいるし、ヒスパニックで黒人というアイデンティティーを持っている人もいます。だから、この12.5と12.3という数字は本当は比較ができないわけですが、そうであっても、初めてヒスパニックの数字が超えたということは大きな衝撃をもって受け止められました。

 (3)、2010年国勢調査

  ・では、2010年にはどうなったのかというと、さらに差が開いて、ヒスパニックが16.3%、アフリカ系は12.6%ということで、だいぶヒスパニックの人たちが増えました。だから、今回のトランプの当選というのは、急激にマイノリティーが増えてくる事に対する白人のある種の恐怖心が、トランプへの投票を促したという言説もでております。

 (4)、2060年の予想

  ・ある予測によると、2060年のアメリカ合衆国におけるヒスパニック、ラティーノの人口の割合が、28.6%になるというものもあります。こうなるともう4人の1人がヒスパニックということになります。これが現実に実現したら、アメリカ合衆国は私達が知っている国とは全然違う国になる、今でも場所によってはメキシコ系が8割から9割でもうスペイン語しか通用しないような地域もありますが、そういうような形でアメリカの中でのヒスパニックの人たちの存在感がどんどん高まっているということがあります。

4、アメリカの音楽史をラテン音楽の視点で見る

 (1)、意義

  ・ヒスパニック系の人口が増えると、私がこれまでアメリカの歴史で起こってきたことを参照する限り、さまざまな分野で歴史の書替えが進むだろうということが予測できます。公民権運動があって、それにちょっと遅れる形で1960年代1970年代にフェミニズム運動がおきますけれども、公民権運動とフェミニズム運動を経た後にアメリカ合衆国で何が起きたのかというと、歴史の教科書がどんどん書き替えられていきました。これまでは白人中心の、イギリスの清教徒がメイフラワー号でという話から始まる教科書があるとすれば、それがアメリカの先住民の話から始まるようになりました。また、これまで歴史教科書にあまり書かれてこなかった女性の記述も増えました。さらに、アフリカ系の人たちの記述もどんどん増えていきました。これまでは、黒人奴隷と白人の主人は結構いい関係を結んでいたみたいなストーリーが書かれた時代もありましたが、そうではなくて白人が黒人奴隷にどれほど残虐なことをしていたのかという記述がかなりの割合を占めるようになってきました。公民権運動やフェミニズム運動の運動の成果として、歴史そのものが書き替えられていきます。もちろん歴史が買い替えられるときに、実証性に耐えられるのかということは検証されるわけですね。そして、歴史の教科書が多文化主義的に変わっていきました。それを鑑みると、今後はアメリカの音楽文化史が書き替えられていくとすると、さまざまな形でヒスパニック、ラティーノの貢献をより強調する形の歴史に書き替えられていくだろうということが、一つ予測できることです。一般のアメリカの音楽史というものは、白人のルーツミュージックとしてのカントリーと黒人のブルースであったりR&Bであったりゴスペルであったりと、白人と黒人の二項対立的な対立の中で歴史が記述されてきました。そこに、あらゆる段階でヒスパニックの人たちの貢献を強調する形の歴史に書き替えられていくであろうと思われます。この視点でアメリカの音楽史をみていきましょう。

 (2)、アメリカの音楽史をラテン音楽の視点で見る

  ①、19世紀

   ・アメリカ合衆国では前世紀から一貫してラテン音楽が入ってきています。とりわけ重要なのはニューオリンズです。ニューオリンズはフランスとスペイン領を繰り返してきたわけで、ニューオリンズという港町にカリブ海の音楽の影響が入ってきていました。19世紀にはルイス・モロー・ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk)という人が、カリブ海の音楽を自ら取り入れたということがあります。

  ②、タンゴ

   ・1910年代にティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)にアルゼンチンのタンゴがパリ経由で入ってきました。これは一大ブームになったそうで、ニューヨークに社交ダンスの文脈でタンゴが大流行します。もうニューヨークに限らず、アメリカの小さな田舎の町にもタンゴの社交ダンスを習うような教室が、アメリカの至る所で開かれていました。1930年代のフレッド・アステア(Fred Astaire)の映画で1910年代のタンゴブームを描いた映画がありましたけれども、そういった形で南米の音楽がすでにアメリカで大流行したということなんですね。

  ③、ルンバ

   ・1930年代に入ると、キューバのルンバが入ってきます。これはアメリカ経由で日本でも大流行している音楽なんですね。1930年代のルンバの大流行というのは、ドン・アスピアス楽団によるThe Peanut Vendor、南京豆売りで知られていますけれども、この曲がアメリカで大ヒットしました。この曲を聞いていただきたいと思います。



   ルンバがアメリカに入ってきて、ジャズのミュージシャンがこういったリズムで演奏したりしてラテンジャズというサブジャンルがありますが、これもジャズの中で例外的な位置づけというよりは、大きなラテン音楽の流入の中で混ざり合った形で出来てきていると捉えると、音楽文化史が別に見えてくると思います。

  ④、マンボ

   ・1950年代は世界的にマンボが流行します。ペレス・プラード(Perez Prado)のCerezo Rosaは世界的なヒットとなります。



  ⑤、ボサノバ

   ・1950年代1960年代にはボサノバというブラジルの音楽が入ってきて、ジャズミュージシャンと交流をします。

  ⑥、サルサ

   ・サルサも中南米の音楽というイメージがあるかもしれませんけれども、モダンサルサと言われる音楽は、ニューヨークのスペイン語圏のコミュニティーの中で生まれたといって差支えないと思います。ファニア・レコード(Fania Records)というレコードレーベルがニューヨークにあったんですけれども、ここが中心となってサルサのミュージシャンをたくさん輩出し、スペイン語でアルバムを作って、北米というよりはスペイン語圏に流通していきました。

  ⑦、まとめ

   ・ゴットシャルクの頃からでもいいですし、20世紀初頭にタンゴが入ってきて、ルンバがあって、マンボがあって、ボサノバがあって、サルサがあってと、中南米から北米に一貫して流れてくる音楽をむしろ中心にしていくというか、アメリカ合衆国という国の枠組みではなくて、南北アメリカ大陸の中で音楽がどのように動いて、どのように影響を相互に与えて来たのかと言う風に、フレームワークを広げることによって、全然違う歴史が見えてくると思います。

5、ラテン音楽によるアメリカ音楽への影響

 (1)ブルース

  ・ブルースという音楽ジャンルがありますが、一般的には19世紀末のアメリカ南部の黒人コミュニティーの中で生まれた音楽であると言われています。しかし、実証的なレベルでブルース音楽におけるラテン性という学術論文が結構出始めております。19世紀南部にアメリカ南部のアフリカ系アメリカ人が国境を越えてメキシコに行って、そこにコミュニティーを作ったということはよく知られております。もちろん奴隷制ですから、奴隷制を逃れるために国境を越えてメキシコに行くということは十分考えられるわけです。メキシコというのは弦楽器が非常にたくさんあります。そうすると、そういう所でメキシコのミュージシャンと交流したアフリカ系アメリカ人のミュージシャンが、もう一回国境を戻って、ニューオリンズなどのアメリカ南部の地域でブルースなどの音楽を作っていったと、かなり実証的に追うような研究が出てきています。そうすると、ブルースというと私たちは黒人のというか、アフリカ系アメリカ人の音楽という印象を持っていますけれども、ブルースにおけるラテン性ということは十分に言えると、実証的なレベルで歴史学の蓄積として言えてくるだろうと思います。これはもちろんジャズにおいてもそうですし、主にアメリカ合衆国の黒人音楽と呼ばれているもののラテン性というものは、これからあらゆる角度で検証されてゆくだろうと思います。

 (2)、ロックンロール

  ・一般的にロックンロールという音楽は白人のカントリーミュージックと黒人のR&Bが1950年代になってアメリカの南部で融合した結果誕生したと言われています。そして、一つのシンボリックな曲として語られているのが、1955年のビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツ(Bill Haley And His Comets)のRock Around the Clockです。



  しかし、この曲は1955年に二番目にヒットした曲で、1955年の最大のヒット曲はペレス・プラード(Perez Prado)のCerezo Rosaなんです。でも、この曲はほとんどロックンロールの文脈で語られません。ところが、19世紀から20世紀にかけて一貫して南米から北米に音楽が流れていって、そこで多少大げさにいうと、ラテン音楽の一つのバリエーションとしてロックンロールが1955年に誕生したと見ることは歴史的に可能かどうか、歴史の実証性に耐えうるかの思考実験ですね。ロックンロールのリズムとしてボ・ディドリー(Bo Diddley)のボ・ディドリー・ビートがあります。



  これは基本的には中南米のクラーベ(clave)と呼ばれるビートとほとんど同じなんです。非常にシンプルな譜割りの音楽なので、これをもってラテン音楽だとそういうことを言いたいのではなくて、このラテン音楽が北米に流れていく系譜の中でロックンロールをとらえる、ロックンロールという音楽が誕生するのに、白人のカントリーと黒人のR&Bだけではなくてラテン音楽もロックンロールの成立に影響を及ぼしているというくらいには、アメリカでは歴史は書き替えられております。そういう風になると、白人と黒人の相互作用の中からアメリカのポピュラー音楽をとらえるのではなく、白と黒ともう一つ茶色、ヒスパニック、ラティーノの人たちの功績を、どれだけ歴史の実証性に耐えられる形で歴史記述の中に織り込んでいくのかということが、これからのアメリカの音楽の文化史の中で非常に重要な作業になってくると思います。最後に、ビル・ヘイリーのRock Around the Clockの一枚前のシングルは、実はMambo Rockなんですね。だから、もう少しするとロックンロールの誕生はRock Around the Clockではなくて、Mambo Rockこそが1955年のアメリカのロックンロールの誕生を象徴する曲としてもしかすると教科書に載ってるかもしれません。



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