音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

日本ポップス伝(8) 童謡から新民謡、そして流行歌へ

1995年 大瀧詠一の日本ポップス伝第二夜より 

 童謡と同じように、あたらしい民謡を作ろうということで、新民謡運動というものも起きるんです。それまではご存知のとおり民謡というのは各地にいっぱいあったんですけれども、そういうのではなくて新しい民謡を作ろうということで、作詞家の野口雨情と作曲家の中山晋平が全国民謡調査に歩いて、行く先々で新しい民謡を作って歩いたんですね。さらに新しい民謡だから、昔のような手拍子の民謡だけではなくて、新しい形の民謡を作ろうということで創作民謡。だから、民謡といってもいわゆる我々が単純に民謡だと思っているようには聞こえないんです。新民謡という形で出来た歌として、まずはこれを聞いてみましょう。「出船の港」という曲です。



 メロディーは民謡のようなんですけれども、ピアノだし、普通の民謡では出だしからないですよね。この流れの中で次の曲が出されるんですけれども、昭和3年くらいになってくると、外資系のレコード会社が出来まして、日本ビクターと日本コロンビアがちょうどこの頃できるんです。二大レコード会社ということで、レコード産業がだいたいこの辺からスタートします。その前にも独立のレコード会社はたくさんあったんですけれども、このような大きい資本の会社が出来たのはちょうど昭和2、3年くらいなんです。そのビクターの邦盤の第一回のふき込みというのが、今歌っていたのが藤原義江という人なんです。藤原義江さんの歌で同じく中山晋平の曲で「波浮の港」という曲を。これがビクターの邦盤の第一回の新譜でした。



 歌詞は野口雨情、作曲は中山晋平と言う童謡の「証城寺の狸囃子」を作っていたコンビがこれを作ったんですけれども、先ほどの新民謡みたいな感じもあるし、歌曲的な感じもあるし、少し日本語がおかしかったでしょ。この藤原義江さんという方は、お父さんがイギリス人なんですね。お母さんは大阪の人なんですけれども、田谷力三なんかをよく聞いて、浅草オペラにもいたことがあるんですよ。その後、この人も海外に行った、海外に出た三浦環に続く第二号になりますね。その後は、藤原歌劇団を作ってやった人ですけれども、その藤原義江の歌が、レコード産業の第一曲目だったんですね。先ほどやった「船頭小唄」も茨城県かどこかの水郷を歩いているときに作った、新民謡の一種だったんです。新民謡的な歌と、流行り歌の境界線がだんだんなくなってくるんです。同じこの「波浮の港」を女性歌手も歌っています。洋楽のレーベルの方を赤盤と呼んで、邦楽のレーベルを黒盤という風に、洋楽邦楽と最初から分けて出しているんです。ずっと未だに洋楽と邦楽というのがあって、最初から値段が違ったんです。その邦楽の方のレーベルで出たのが佐藤千夜子さんという人ですけれども、同じ「波浮の港」を聞いてみましょう。



 ビクターの邦楽の方ですね、黒盤歌手の第一号と言われている佐藤千夜子ですけれども、彼女は東京音楽学校で学んでいるんですね。それで、帝劇に来たアドルフォ・サルコリ(Adolfo Sarcoli)というイタリア人の人から、ベルカント唱法なりいろいろな発声法を学んだということでしっかり教育を受けました。当時は歌手の人は譜面が読めないとダメなわけです。だから譜面を読むというのは一つの技術だったわけですね。この人が第一号の歌手ということで、この人がだんだんいろいろな曲を歌っていくわけですね。先ほどは野口雨情と中山晋平のコンビだったのですが、ここに西條八十が登場するんですよ。西條八十さんが中山晋平と組んで、本当の意味合いでの流行歌の第一号というのがこの曲なんです。これがなんと行進曲というタイトルがついています。当時は浅草が東京で一番の繁華街だったんですけれども、少しづつ銀座が開けていくわけですね。今度は銀座が中心地になっていくということも含めて聞いてください。「東京行進曲」という曲です。



 菊池寛の小説『東京行進曲』が150万部を突破する大ベストセラーになったんですよ。それを映画化するということになって、それの主題曲を作ろうということになって作ったんですね。これまで純粋詩人であった西條八十なんですけれども、西條八十は自分で「生まれて初めてあてようと思って思いっきり調子を落として書いたもので、この時ほど私がヒットを気にした経験はない」という風に語っています。確かに、この歌詞はすごくて、出だしから「昔恋しい 銀座の柳」とありますが、当時銀座には柳がなかったんですよ。柳がなかったのでこの歌がヒットした後に銀座に柳が植えられたということがあるんです。それから「ジャズで踊って」というのがありますし、それから「ダンサー」がいて、もうジャズの時代にだんだんなってきているんです。それから「丸ビル」があって、「ラッシュアワー」がすでにあったでしょ。それから「浅草」があって「地下鉄」、「バス」。「恋のストップ」というのは停車場のストップと掛けているんですね。それで「シネマ」が出てきて「小田急」が出てきて、「月もデパートの屋根に出る」というのは、新宿のとあるデパートが出来上がるんですけれども、60年代になると銀座から新宿に繁華街が移るんですけれども、すでに西條八十はそれを予見しているというか、そういうような意味合いから言っても、本当にこれが流行歌の第一号だと言っていいと思います。歌っているのは先ほどの佐藤千夜子で、東京音楽学校で学んでこれを歌ったんです。中山晋平と西條八十は童謡も作ってきたんだけれどもこういうのも作って、次に映画の主題歌を中山晋平、西條八十、佐藤千夜子のコンビは作るわけです。なんとその次の曲は「愛して頂戴」という曲です。



 大正から昭和になったとはいえ、女の人が愛して頂戴というだけでもびっくりすると思いますけれども、それを朗々と一生懸命歌っていますからね。これが西條八十、中山晋平、佐藤千夜子でみんなそれなりにやってきた人が、だんだんこうなっていくんですよね。時代がいわゆるエロ・グロ・ナンセンスと言われた時代になっていっているのでそれの影響をうけているのですが、そういう社会的なことは今回はやっていると時間がないので音楽だけでいこうと思いますけれども、「愛して頂戴」の次にまたその第二弾みたいなのが出てきますけれども、なんとそのタイトルが「あらその瞬間よ」という曲です。



 「愛して頂戴」は中山晋平も西條八十もさすがに恥ずかしかったようで名前を変えているんですよ。というような感じで、童謡から新民謡にいってこういうような形の流行歌に同じ作曲家が移っていった変遷をたどっていくというのをちょっと駆け足で追ってみました。なお、新民謡は全国各地を歩いて民謡の調査をしましたが、昭和60年代くらいにも永六輔さんといずみたくさんもやっぱり全国を歩いて新しい民謡を作りました。「京都大原三千院~♪」で有名な「女ひとり」もそうですよね。この活動は、野口雨情と中山晋平が全国を周って民謡を作ったというのがヒントになっているのではないかと思います。

Comment

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
記事検索
スポンサーサイト
スポンサーサイト
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ