ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

日本ポップス伝(9) 新民謡から音頭へ

1995年 大瀧詠一の日本ポップス伝第二夜より 

 新民謡運動ではいろいろな民謡が作られましたが、中山晋平の創作ですけれどもなんか昔からあったような民謡という感じで定着したものもあるんです。



 これは「天竜下れば」という曲で、信州地方の歌だと思われているでしょうけれども、中山晋平がだいたい信州の出身で、この歌詞が「伊那節」を基にして作られていて、歌っている市丸姉さんがまた信州の出身だったということもあるんですよね。でもこういう「天竜下れば」は昔からあった民謡のように思われますよね。新民謡運動はこの後に町田佳声さんが受け継いで、町田佳声さんもいろいろな新民謡を作っているんですけれども、その町田佳声さんの民謡も聞いてみましょう。



 「ちゃっきり節」をお送りしましたけれども、これも昭和6年のものです。静岡の電鉄会社のCMソングだったんですね。CMソングの第一号でもあったんですけれども、時代考証でいえば、清水次郎長が富士山の前を歩いている時に、これがかかるというのは、時代考証としてはおかしいんです。音楽は昭和6年なんですから。清水次郎長の頃にはこの音楽はないんですね。ないんだけれども、いかにもピッタリでずっと前からあったように思うじゃないですか。ずっと前からあるように思う事って多いじゃないですか。でも必ず最初があるんですね。これはいつ頃からなんだろうかって考えると、必ず最初があるんです。当たり前ですけれどもね。いろいろな音頭がありますけれども、音頭といえば中山晋平。中山晋平はとにかくいっぱい作っているんです。また、新民謡の流れで中山晋平の曲をお聞きください。



 「東京行進曲」で銀座がものすごく流行るんですよ。あまりにも銀座にばかり客が集まるので、丸の内の商店街の若旦那がみんな集まって、丸の内の客を呼ぼうということになって、丸の内のテーマソングを作るということで、これが「丸の内音頭」なんですね。中山晋平が作ったんですけれども、今ひとつ流行らなかったんだね、これが。これが次の歌詞にかわって、歌手も小唄勝太郎さんになりましてできたのが次の曲でございます。



 これが「東京音頭」ですけれども、この東京音頭も作詞西條八十、作曲中山晋平ですね。西條八十は初めて故郷に錦を飾った、自分の生まれ故郷の東京のテーマソングが書けてうれしかったと語っていますけれども、当時これがビクターの売り上げナンバーワンになりまして、120万枚売れました。日本で初めて100万枚ヒットはこの「東京音頭」なんです。この西條八十と中山晋平のコンビは、とにかくありとあらゆる音楽を作ったんです。中山晋平は音頭の親というか、私の親みたいなものですけれどもね。「東京音頭」の次に「さくら音頭」というものも作りました。



 作詞は西條八十さんにかわりまして佐伯孝夫さんですね。中山晋平が作曲ですけれども、これは各社競作です。コロンビア、ポリドール、テイチク、ビクターとみんなちがう「さくら音頭」なんですよ。各々が作詞家、作曲家、歌手を全部集めてレコード会社が競ったんですけれども、このビクター盤が最後に売上ではナンバーワンだったということで、コロンビアの文芸部長がその責任をとってその席を去ったそうですけれども、いつの世もなかなか厳しいものでございますね。これが、新民謡から音頭が出来てくるという感じですけれども、いまでは定着しているようですけれども、創作の音頭であったということですね。これがここのコーナーのポイントでございました。

 新民謡運動とか音頭を聞いてみると、明治政府は欧化政策だったじゃないですか。ダンスを踊ろうで鹿鳴館、オペラを歌おうってことで帝国劇場っていうので欧化政策ばかりだったので、無理に押し付けられているという民衆のエネルギーみたいなものが、こういう新民謡や音頭に集まったのではないのかと言う気もするんですよね。明治政府はなんとバカなことに、盆踊り禁止令を出したんですよ。鹿鳴館の時代に。風俗的に外国の人が見たら低いということで。東京オリンピックの時も似たようなことがありましたけれども、とにかく盆踊り禁止令を出したけれども、誰もやめなかったそうです。こういったような洋風のサウンドが一方にありながら、和風なサウンドもやっているんですかれども、和風な中にも洋風のものを取り入れてというか、和風と洋風がごっちゃになったそういったものもあったんですけれども、今度は「浪花小唄」というものを聞いていただきます。「東京行進曲」に匹敵する大阪のテーマソングができるんですよ。



 最後の「テナモンヤ ないかないか 道頓堀よ」の所が有名ですけれども、 NHKで浪速演芸会があると、この曲がかかったんですよ。東京、大阪とくれば京都。



 昭和5年の作で京都の「祇園小唄」ですけれどもね。これが後ろにかかって月形半平太が出てくるというのは時代考証としてはSF的なものがありますけれども、これを流すといかにも京都かなという感じがします。知らない人は以前からあるという感じですが、これも昭和5年に作られたというのは面白いことではないでしょうか。

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