音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

AORについて スティーリー・ダン(Steely Dan)

 今回は、「今日は一日“AOR”三昧リターンズ」よりAORについてまとめます。解説は、金澤寿和氏です。

 ドゥービー・ブラザーズ (The Doobie Brothers) のマイケル・マクドナルド(Michael McDonald)は、もともとはスティーリー・ダンのツアーのサポートをしていました。さらに、マイケル・マクドナルドの前にギタリストをしていたジェフ・バクスター(Jeff Baxter)がドゥービー・ブラザーズに加入しているという、実はスティーリー・ダンからドゥービー・ブラザーズに2人移行して、それがあってドゥービー・ブラザーズが洗練されたというのもあります。スティーリー・ダンというのはもともとからミクスチャーをやっていたバンドで、今日は1972年のデビュー曲と全盛期に出して大ヒットアルバムから一曲づつを聞いていただきたいと思います。Do It AgainとHome At Last。



 ミクスチャーを最初からやっていたといいましたが、ロック、ポップス、ソウル、ジャズはスティーリー・ダンの場合は当たり前で、Do It Againはそこにラテンの雰囲気が入っています。これで1972年ですからね。全米6位でした。やっぱり、最先端というか一番革新的なことをやっていたユニットだと思います。一番最初、ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)とウォルター・ベッカー(Walter Becker)というソングライターチームから始まって、デビューするためにメンバーを集めて、バンドとしてデビューして、しかしツアーが嫌いで、すぐにスタジオに向かってしまって、それで結局最初に集めたメンバーはだんだん離れて行って、最終的にドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーが残って、スタジオミュージシャンを使ってレコーディングをするようになります。いろいろなスタジオミュージシャンがやってくるんですけれども、なかなか自分のテイクを使ってもらえなかったりして、スタジオミュージシャン達のあこがれの的にもなったりしているんですね。それが1976年、1977年頃で、Home At Lastはスティーリー・ダンの代表作「Aja」からの曲なんですけれども、ロックのバンドなんですけれどもフュージョンミュージシャンが入っていて、当時はフュージョンではなくクロスオーバーと言われていましたけれども、そういったファン達もスティーリー・ダンはみんな聞きました。みんなのあこがれの的になる、それくらいクオリティーの高い作品を作っていて、この次のアルバム「Gaucho」のために一年スタジオをブッキングしていたとか、一億円くらいのレコーディング費用を使ったということが伝説になるくらいのグループでした。それだけ独創的な独特な作風というか、緻密なアレンジ力がありました。そして、ここから出世していくミュージシャンもたくさんいました。現在もスティーリー・ダンフォロワーというのは、アメリカに限らず日本にも多いですし、ヨーロッパにもたくさんいます。最近出てくるAOR系の新人アーティストの半分くらはスティーリー・ダンフォロワーなんじゃないかというくらい、影響力がいまだにすごいです。活動を停止していた時期もありますけれども、今も元気にやっていて、ちょうど今頃はツアーをやっているんじゃないかと、そういう状況です。日本には4回ほどきていて、一番最初は代々木のオリンピックプールでやりましたけれども、これだけマニアックなアーティストで、オリンピックプールクラスでライブをできるアーティストはなかなかいないと思います。1980年代から1990年代にかけて、スティーリー・ダンは解散はしていないんですけれども、ずっと動いてなかったんですが、2000年に「Two Against Nature」というアルバムで復活したときに、それほど売れたという記憶はありませんがグラミーを取って、ファンが注目して、それでまたフォロワーがつきました。


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