金髪先生第61回 解説はドリアン助川氏です。
1、父に憧れる息子、息子を支える父
ポール・ウエラーは1958年にロンドン郊外で生まれ、12歳のクリスマスにお父さんからギターをプレゼントされます。それで、14歳でもうロックスターを目指します。本人曰く、ミスターノーマルにはなりたくないと。普通の人生は送りたくないと、必ず10代はそんな事を考えますね。16歳で窓ふき職人としてお父さんと一緒に働きだします。このお父さんは昔ボクサーでした。ボクサーをやめた後はボディービルダー。このお父さんに対して、幼きポール・ウエラーはすごく憧れていました。余計な事はしゃべらないで、バーに行って酒を飲んでも乱れない。窓ふき職人をやっていたお父さんがポール・ウェラーに、やっぱり音楽の道に進むべきじゃないかと言うわけです。ポール・ウェラーも尊敬するお父さんから言われると、本気でなるぞと。これから本格的にミュージシャンの道に進むのですが、お父さんは、ジャム(The Jam)を結成してからずっと今までマネージャーなんです。ずっと影でポール・ウェラーを支えていたのはお父さんなんです。そして、挫けそうになった時は、お父さんがバーでビールを少しだけ飲んで毅然としている姿を思い出すそうです。
2、常に変化し続けるポール・ウェラー
ジャムを結成するのが1973年で、ポール・ウェラーはザ・フー(The Who)のMy Generationでぶっ飛んでしまって、俺がやりたかったのはこういう音楽だってなりました。その後ジャムはモッズ系に入っていきますが、音楽はパンク色の強いビートの激しい曲をやります。1976年にはセックス・ピストルズの前座なんかもやって、お互いに認め合うバンドになっています。1982年にジャムを解散させますが、この時のセリフが「音楽的にも商業的にもグループとしてやれることはすべて成し遂げた」と。24歳で音楽的にも商業的にもすべて成し遂げた、もうやることはない、このままジャムをやり続けてもローリング・ストーンズになるだけだと。ジャムはジャムとしてやっていけるだろうけど、もうジャムの中からは新しいものは出てこない。ジャムとしてはもう成し遂げたけれども、ポール・ウェラーとしてはまた変化してやりたいことはあるんだということで、スタイル・カウンシル(The Style Council)を結成します。このバンドは日本ではわりとオシャレな、大人が聴く音楽ということで紹介されました。今までジャムによって作られてしまったイメージを壊すような自由な音楽をやりたいと。ただ、自由といっても方針はあります。ポール・ウェラーが言っているのは「現在のモータウンサウンド」。モータウンというと黒人の音楽ですね。リズム&ブルースであったりソウルであったり、それを現在にイギリス人の力によって復活させたい。このスタイル・カウンシルも1990年に解散です。もう2人でなすべきことはすべてやってしまったとは言っているのですが、後で言っているんですけれども、何をやっていいのか分からなくなってしまったと。このスタイル・カウンシルを解散させたとき、もう音楽をやめようって思ったそうです。もう自分には何も出てこないと。解散からしばらくたってからはソロ時代です。
3、ポール・ウェラー言葉の変遷
(1)、ジャム期
・ジャム時代の若かりし頃にこんなことを言ってます。
「俺が音楽をやるのは工場に行きたくないからだ。あとは女にもてたい。それ以外に何の理由もない。」
それからこんなことも言っています。
「二十歳を過ぎたらもうおしまいだ。」
(2)、スタイル・カウンシル期
・少し年をとって、スタイル・カウンシルを始める頃です。
「絶対的なスタイルなど存在しない。求めるものは絶対的な質。」
それからこういう言葉。
「俺は若くしてバンドを始めたから大勢の人たちの前で成長していかなければならなかった。普通の人であれば成長したねと喜ばれるところが、俺は成長したことで人から裏切り者呼ばわりをされた。」
ジャムをやっていた頃は激しい音楽をやっていましたが、もうそれはいいやとやりきったつもりで、新しい音楽に行くわけです。ところが、ジャムを応援していた人たちは、ポール・ウェラーは裏切ったと。スタイルを変えやがってと。自分は音楽的に成長して、もう一歩行っただけなのに、人はそう思ってくれない。これが人前で成長していくことだと。「二十歳を超えたらおしまいだ」とか言っちゃってるわけですが、自分でも恥ずかしいと。ただ、18歳の頃の言動を後悔してしまうと18歳であったことそのものを後悔することになってしまう。なので後悔はしませんが、あんなことを言ってすまなかったと。
(3)、ソロ期
・ソロに転じた頃は、「やることが全く分からなくなってしまった」ってどのインタビューでも言っているんですよ。ジャムの初期の頃のアルバムとかもう聞く気がしない、若い頃の音楽は聴きたくない、過去の事は恥ずかしいと。といいつつも、音楽をやめても他にやることはないし、俺は音楽をやるしかない人間だなとも言っているんです。そこで僕が一番好きな言葉なんですけれども、過去にとらわれないようにするべきだと。過去にとらわれると自分を見失ってしまうと。例えば、セックス・ピストルズは確かに一つのスタイルを作りましたけれども、みんな年取ってから再結成してライブをやりに来日したことがいいことだったのか。過去のイメージに縛られていると、いつまでたっても今の自分が見えてこない。今の自分って何なんだろうって模索することが、ずっと変化してきた彼の音楽人生だったのかなという気がします。