音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

グリーン・デイ(Green Day)の7th「アメリカン・イディオット(American Idiot)」の世界観(2) ジーザス・オブ・サバービア(Jesus of Suburbia)の別の人格セイント・ジミー(St.Jimmy)

world rock now 20041008 

 ここでもう一人の主人公が登場します。セイント・ジミー(St.Jimmy)です。これは結論から先に言ってしまいますと、パンクロックという武器を得たビリー・ジョーの姿であります。つまり、どこまでも煮詰まっているジーザス・オブ・サバービアが、パンクロックという新しい武器を得たことによって、非常に凶暴なアウトプットを手に入れて、別の人格を手に入れるわけですね。その人格がセイント・ジミーです。

 セイント・ジミー様が大通りから路地を横切る 
 こちらに向かってやってくる さあピストルのオンパレード

 シルエットの光が 反抗者がお前に向かってやってくる
 カウント開始ワン・ツー、ワン・ツー・スリー・フォー

 俺の名前はジミー 丁重に頼むぜ
 かーさんに聞いただろう 特攻隊だよ

 40人の手下をつれて 権威の心臓に針をぶっさす
 俺はその代弁者っていうわけだ 俺は否定の守護神なんだ

 天使の顔に死の臭い タバコとラーメンと麻薬を少し
 糞女とエドガー・アラン・ポーの息子なのさ

 輝かしい街で育った 戦争と恐怖の産物っていうわけだ
 その犠牲になってきたんだ 俺様に向かって話してるんだろうな

 俺様の名前はセイント・ジミー 拳銃の申し子
 はるかかなたからやって来たティーンエイジャーの暗殺者
 楽しみを抹殺しているんだ

グリーン・デイ(Green Day)の7th「アメリカン・イディオット(American Idiot)」の世界観(1) 主人公ジーザス・オブ・サバービア(Jesus of Suburbia)とは?

world rock now 20041008

 2004年のマスターピースともいえるグリーン・デイのアメリカン・イディオット。アメリカン・イディオットという作品もすばらしいんですが、この作品を解説するには全体がひとつの物語になっているので、これを紹介しつつ聞いていかないと全体がつかめないので、じっくりお話をしながら聞いていただこうと思います。まさに、2004年の四重人格(Quadrophenia)ともいってよい物語性のあるすばらしい作品であります。アメリカでは初登場一位。空前のレコードセールスを記録し、日本でもものすごいレコードセールスを記録しているようであります。すでに評価はある程度高まりつつある作品なんですけれども、これは一人の少年の自己形成のストーリーになっています。主人公は2曲目に登場するジーザス・オブ・サバービア(Jesus of Suburbia)。郊外のキリストともいえる、アメリカの典型的な郊外にすむ疎外された少年の物語からはじまっていきます。このアルバムは組曲形式になっておりまして、このJesus of Suburbiaという曲は、Jesus of Suburbia、City of the Damned、I Don't Care、Dearly Beloved、Tales of Another Broken Homeという5曲のナンバーで構成されております。この5曲によって主人公がどういう子どもであり、精神性を持っているのかというのが紹介されてゆきます。まず一曲目のJesus of Suburbiaというナンバーは、

 俺は怒りと愛の子 この街のジーザス
 該当なしのバイブルから誕生したんだ

 ソーダとリタリンでダイエットの日々
 俺の罪を償って地獄に落ちたヤツはいない
 俺の知る限りは 俺と逃げ出したヤツの限りでは

 だけど俺が悪いわけじゃない 最初からこうなる運命だった
 この偽りの地は俺を信じていない

 テレビをなおして磔の十字架に座る
 リビングルームは俺だけの聖域

 俺とおふくろとブレッドがいないうちに恋をして借金
 酒とタバコとマリファナと おかげで俺はバカ騒ぎだ
 人のコカインまでいただく始末

というのがこのジーザス・オブ・サバービアという少年の立ち居地でございまして、続いて歌われますCity of the Damnedというのは彼自身の環境が歌われます。

 地球のど真ん中 コンビニの駐車場で学んだモットーは嘘だった
 そこには家とあなたのハートのあるところと書かれていた

 だけどなってこった みんなの鼓動を同じように刻んでいるわけではなかった
 俺達の鼓動は時代遅れ ここは死人の街遠い道の行き止まり
 標識が行き止まりへとつれてゆく ここは最悪の街

 迷子たちは汚い顔で誰も気にしちゃいないけれども
 トイレの壁の落書きなんてショッピングモールの聖書と同じ

 信仰深そうに見えるけれども 本当に信じているわけじゃない
 でもおかげではっきりした 地球のど真ん中は地球の終わり
 どうせ俺には関係ない

そしてこの組曲の最後Tales of another broken home、もうひとつの壊れた家の物語という楽曲で、

 生きること それは呼吸をせずにそれは悲劇の中で死ぬこと
 走ること 走って逃げ出すこと 信じるものを見つけるために

 だから俺は捨てたんだ でも今はもう違う
 もう恥ずかしいとも思わないし謝ったりはしない

 行き場所がどこにもないならば苦痛から逃げ出し
 犠牲になり続け崩壊した家の物語がまたここにひとつ

という形で、主人公の環境、家庭状況、精神性といったものが一気にJesus of Suburbiaというナンバーで紹介されます。


 結論から先に言ってしまいますと、これはまさにビリー・ジョーの少年時代そのものであります。郊外で生きてるビリー・ジョーがその行き詰まる環境と行き詰まる生活、家族構成の中で自分が煮詰まってゆくそういう過程が歌われているわけであります。

ヒップホップシーンの知性派、デ・ラ・ソウル(De La Soul)

world rock now 20041112

 デ・ラ・ソウルというと、ヒップホップシーンの中で特異な知性派としてのポジションを持っているグループでございまして、一時期私は「弱虫ラッパー」と呼んでいたんですけれども、最新作も彼らなりの独自の世界が展開されております。Shopping Bags (She Got From You)。



 本当にデ・ラ・ソウルというのはヒップホップシーンの中では異色の存在でありまして、その異色さ故に高い人気を誇ってる三人組のユニットです。普通にヒップホップを見て、なんであんなに暴力を強調するんだろうと、金のアクセサリーをあんなにジャラジャラつけて威張ってみるって、腕組んですごいポーズを作ってるって、ちょっと幾分知性に問題があるんじゃないかというような素朴な印象、あるいは女の子が出てくるとみんなナイスボディーなのはいいんですけれども、セクシーなモチーフばかりが取り上げられるってそれってちょっとどうなのって、素朴にヒップホップにどっぷりと使っていないと感じるような違和感というのを、ヒップホップサイドから「それってちょっとバカっぽくない」というような形でアプローチしたのがデ・ラ・ソウルなわけであります。つい最近のシングルヒットでもそれを象徴していて、私達は太った女の子が大好きというシングルヒットがあって、みんなナイスボディーばっかり出てくるのは変じゃない、だいたい俺達腹でてるし、自分達自身が腹でてるのにどうなの、みたいなそういう歌を歌って、ヒップホップ全体を茶化してみせたその辺のスタンスがすごく健全だなぁという感じがして、ただそれだけやってたら馬鹿にされてしまいますから、これだけ洗練された音作りと洗練さらたリリックを持って、洗練されたスキルの中で音を作ってゆくという彼ら自身の姿勢というのは、時代がこういう風になってきているのでより一層魅力が際立ってきていると思います。He Comes。

デュラン・デュラン(Duran Duran)に学ぶ歌謡ロックとは?

world rock now 20041105

1、ロックは大衆音楽である

 ・ロックというのは基本的に大衆音楽でありまして、いわゆるマニアックでロックオタク的に「やっぱりこれを聞いてる俺達っていけてるよなぁ」みたいな音楽を自分は聞くくせにあんまり積極的に評価しない渋谷陽一でございます。それよりはビートルズの昔から、女の子がワーキャー言ってポップロック的に盛り上がるロックの中に真実があるのではないだろうか、その大衆性の中にこそロックの本質があるのではないだろうかというのが基本的な僕の考え方でございます。

2、なぜ歌謡ロックを考えるのか?

 ・私のデビューはグランド・ファンク・レイルロードのサバイバルというアルバムの原稿だったんですけれども、当時グランド・ファンク・レイルロードというのは歌謡ロック的なものとしてバカにされておりまして、当時は「グランド・ファンクなんかを褒める渋谷陽一という音楽評論家が現れたけど本当に趣味が悪いよね。」みたいな、音楽評論家仲間からバカにされたんですけれども、何を言ってやがるんだと私はおもってましてね。お前らの方がよっぽどロックが分かってないや、みたいな。たしかにベタベタなメロディーと非常に稚拙なテクニックのバンドではあるけれども、彼らの中にロックの本質的なものがあるという確信が私にはありましてね。グランド・ファンクに漢字がいっぱい入ったものすごく硬い原稿を書いてですね、文句があるヤツはどこからでもかかって来いみたいな姿勢で音楽評論家デビューをはたしたわけでございます。そんなわけで、私にとって歌謡ロックはひとつのテーマであるんです。

3、歌謡ロックの特徴

 ・歌謡ロックの基本はサビがあるところですね。洋楽はAメロとBメロしかないんですけれども、歌謡ロックはAメロとBメロにサビでドカンとやってくれるところで日本人の琴線にふれると思います。

4、歌謡ロック界のボス、デュラン・デュラン(Duran Duran)

 歌謡ロックのボスキャラといったらデュランデュラン。本当に私はこのバンドが苦手だったんですけれども、なんと19年ぶりに新たな歌謡ロックの時代に新作を発表してくれました。(Reach Up for the) Sunrise。




 デュラン・デュランは90年代にもいっぱいアルバムをだしてたじゃんって思われる方もいるかもしれませんが、オリジナルメンバーでは19年ぶりなんですね。この変わらなさ加減がすごいですよね。これを聞いていると、この19年間にヒップホップもビックビートもテクノも何もなかったんじゃないかとそんな威風堂々たる80年代サウンドに私は唖然とするんですけれども、いいんですよ。本当にデュラン・デュラン的世界を全うして、今のポップミュージックシーンでも、実際に全英初登場3位と十分に通用するサウンドになっています。歌謡ロック強しという感じでもう一曲。Astronaut。




 デュラン・デュランというのは全世界で7000万枚を売り倒し世界を席巻して、ビートルズは「FAB4」つまりものすごい4人組と言われ方をして歴史上に残る表記だったわけですけれども、デュラン・デュランは「FAB5」だという、それくらい言われても不思議ではないくらいの人気を誇っていて、当時ニューロマンティックとか言われましたけれども、そういう歌謡ロックのボスキャラ中のボスキャラでございまして、それがこの時代に復活してきたのはなにかめぐりめぐるものがあるのかなぁという感じがするし、しかし昔の名前で出ていますではない、非常に現役感のある歌謡ロックをしっかりと聞かせてくれているというのは頼もしいなぁと思います。すごく苦手なタイプの音楽ですけれども紹介したくなった、そのくらいの勢いのある作品でございます。One of Those Days。

 

ロック史上はじめて「ひきこもり」を歌った曲、アイ・アム・ア・ロック(I Am A Rock )

world rock now 20040924

 ポール・サイモンのソングブックというソロアルバムは非常に変則的にリリースされた1965年にレコーディングされた作品です。ポール・サイモンがイギリスに滞在中に一種のソロアルバムとして作り上げた作品なんですけれども、この中のアイ・アム・ア・ロック(I Am A Rock )というナンバーがありまして、これはこの時期ポール・サイモンは失意の底にいたんですけれども、そのときの気分、あるいはもっと普遍的にポール・サイモンやサイモン&ガーファンクルというとポップで甘い印象がありますが、歌詞そのものは非常に荒涼としたものが多くて、この曲も非常にポップな曲調とはある意味真逆の、人間の根源的な孤独感を歌っているナンバーで、これはもう40年くらい前の曲なんですけれども、今の時代的な気分をすごくよく反映した、歌詞を持っています。

  ある冬の日 深くて暗い12月の冬の日
  僕はただ一人窓辺にもたれて下の通りを眺めていた

  静かに降りしきる まばゆい雪を
  僕は岩、僕は島
  
  壁を築こう 誰も侵入できぬ分厚い高い壁を
  友情なんているもんか 友情なんて苦痛なだけ

  それは僕の忌み嫌う愛らしさと高笑い
  僕は岩、僕は島
 
  愛なんかを語るんじゃない それははるか昔聞いた言葉
  僕の記憶の底に眠っている死に絶えた感情の断片など今更手につけようとは思わない

  愛そうともしなかった 泣こうとも思わなかった
  僕は岩、僕は島

  僕は本を持っている 守ってくれる詩だって持っている
  鎧でがっちり封をした 僕の部屋の奥深く僕の体の奥深く僕は安全に隠れている

  誰も僕に触れられないし 誰も僕に触れたいとも思わない
  僕は岩、僕は島

  なぜなら岩は痛みを感じない 島はけっして泣きはしないから

 というナンバーでございます。このアルバムのライナーノーツは柴門(さいもん)ふみさんが書かれているんですけれども、そこで「ロック史上はじめてひきこもりについて歌った歌」だと書いていますけれども、まさにそういう心境が語られていると思います。

 

 

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