ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

パブロック (Pub rock) とは何か

Kenrocks Nite - Ver. 2 20161215 解説は大貫憲章氏です。

 パブロックは、イギリスロンドンでのパンクの前の一つのムーブメントです。インディーズバンドが活躍して、いわゆるパブ、ロンドンの街角にたくさんありますよね、行かれた方はご存知で、行かれていない方でも名前くらいはご存知だと思いますが、そのパブを中心に、演奏の場を求めてあちこち行っている、そういうバンド達。まあ、そういうのがイギリスの伝統にあるんですけれどもね。社会に根付いていますので。音楽的には、パブでやっているっていうだけであって、バンドそれぞれです。ロックンロール、R&B、ブルース、カントリーなどのルーツミュージックが基本になっていますけれどもね。そういう流れで、そしてこのパブロックがあったからパンクが生まれたといっても過言ではないわけです。そういうことを頭にぶっこんでおいて、まずはおなじみChilli Willi and the Red Hot Peppersの1974年のナンバーで、もともとはLouis Jordanが1946年に大ヒットさせたナンバーだそうです。Choo Choo Ch'Boogie。



 Louis Jordanのバージョンを聞いた方も多いかもしれませんけれども、あれよりはテンポも速くなっているし、カントリーっぽさがかなり加わっていますよね。そういう意味ではこちらの方がかなりブギウギな感じになっています。このバンドは1970年代のはじめくらいです。だいたいパブロックが1970年代はじめくらいの動きですから、1960年代からもともといろいろなバンドでやっていた人たちが集まってきて、パブを主なライブの拠点として周っていました。例えば、Hope&Anchorという箱が有名ですけれども、基本的にはロンドンの街中というよりもちょっと外れです。もちろん市内の繁華街にもいっぱいパブはあるんですが、そういう所じゃなくてちょっとはずれた所をサーキットで周っているというのが多かったと思います。それで、この人たちもフォークやブルースを演奏していた人たちが集まって、やっているうちに、後のエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)のマネージャーであるJake Rivieraが目をつけて、一緒にやらないかということで売り出しに力を入れていたということで今もこうやって残っています。今日紹介したこの曲はセカンドアルバム、1974年の「Bongos Over Balham」というアルバムに入っております。続いて2曲ご紹介します。Brinsley SchwarzのSurrender To The Rhythm、Lew Lewis ReformerでWin or Lose。


 Brinsley Schwarzにはニック・ロウ(Nick Lowe)がいたということで知られています。Surrender To The Rhythmもそうなんですけれども、ニック・ロウが書く曲はやっぱりいい曲が多いですよね。Brinsley Schwarzさんはギターの方なんですけれども、その人の名前がついたバンドですけれども、実質的な音楽的なリーダーはニック・ロウだったんじゃないかという感じがします。もう一つのLew Lewis ReformerのLew Lewisさんというのは名うてのハーモニカ奏者。今も現役で日本にも何度か来ていました。でも、来日した時ヘロヘロだったというのもあるので、いつまでも若くもないし、60近くですけれども、かつては今のような演奏でブイブイ言わせていました。このWin or Loseは、あのブギーの帝王伊藤政則さんもご推薦のステイタス・クォー(Status Quo)の未発表曲。こういう曲を取り上げちゃうのもいいセンスをしていますよね。3曲をとりあげましたけれども、このパブロックがあったから、ロンドンでパンクの火の手が上がったということで、その前にルーツロックをやっている人たちが生まれて来たというのが今日のポイントです。今から3曲ほどまとめて聞いてもらいます。パブロックと言えばすぐに名前があがるバンド、ドクター・フィールグッド(Dr.Feelgood)、そしてそこのギターのウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson)。その関係です。とはいっても、ウィルコとドクター・フィールグッドが喧嘩別れみたいな形でやめちゃって、二つで別々の道を行ってからものです。まずは、2、3年前にロジャー・ダルトリー(Roger Daltrey)を迎えてウィルコ・ジョンソンが、「Going Back Home」というアルバムを出しましたけれども、その中から聞いてもらいます。Keep On Loving You。続いて、ドクター・フィールグッドを2曲で、Down at the DoctorsとMad Man Blues。


 
 ハープをかっこよく弾いているLee Brilleauxさん。今は残念ながらあちらの世界にいってしまいましたけれども、ロジャー・ダルトリーとウィルコ・ジョンソンが元気にやっているKeep On Loving You。ロジャー・ダルトリーさんはある意味こういう分野の先達ですから、偉大な先輩。それにウィルコ・ジョンソンが気負わずに、むしろロジャーさんの方が気負っているのかなと思うほどテンション高めのボーカルをやっていましたけれども。3曲を聞いてもらいましたが、ドクター・フィールグッドを聞いていれば間違いないと言っても過言ではありません。続きまして、The 101'ers。このバンドはジョー・ストラマー(Joe Strummer)さんがザ・クラッシュ(The Clash)を結成する前にいた、パブロックと言われるバンドです。ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)が好きだったからウディというあだ名で呼ばれていたんですけれども、アルバムは「Elgin Avenue Breakdown」というものが唯一ありますが、その中からLetsagetabitarockinというロカビリー系のナンバーです。そして、イアン・デューリー(Ian Dury)。イアン・デューリーはパブロックのゴットファザーみたいな方ですね。The Blockheadsというバンドを率いてやっておりましたが。その前も違うバンドをやっておりましたけれども。今日はロックンロールの静か目の、そして彼の大好きだったアイドルを歌った曲Sweet Gene Vincentを聞いていただきます。



 1970年代初期から中期にロンドンの一部で人気のパブロックだったんですけれども、バンドとかもドクター・フィールグッドの一つを覚えればいいという感じもしますけれども、流れ的にここからパンクが生まれたということがデカいんですよ。だから、みんなが注目しているということです。ロックをストリートに引き戻して、新たな力を獲得したとも言われております。

トーキング・ヘッズ (Talking Heads)の4th「リメイン・イン・ライト(Remain In Light)」について

 今回は、「今日は一日“パンク・ニューウェイブ”三昧 」よりトーキング・ヘッズ (Talking Heads)の「リメイン・イン・ライト(Remain In Light)」についてまとめます。解説は小野島大氏です。

 トーキング・ヘッズはアメリカのニューウェーブを語る上で絶対に欠かせないバンドで、1980年のアルバムで、当時ものすごい衝撃を与えたファンク、電子音楽、ロックを合体させたようなすごい音楽でものすごい影響力があった。当時、エコー&ザ・バニーメン(Echo & the Bunnymen)とかキリング・ジョーク(Killing Joke)とかいろいろなバンドがこういう音作りに走ったけれども、ぜんぜんトーキングヘッズには及ばなかった。例えば、ポップ・グループ(The Pop Group)などはファンクに体当たりした無理やり飲み込んで全然咀嚼しきれていなくいびつな、異様な音楽になっているけど、トーキング・ヘッズはファンクを完全に咀嚼している。しかし、あまりにも完成度が高いゆえに誰も真似できなく、また、トーキング・ヘッズ自身もこの後違う方向へ行ってしまったので、このアルバムの路線を受け継いだバンドはいない。現在!!! (チック・チック・チック) というバンドがトーキングヘッズに似ているけれども、まだ及ばないというか少し違う。このアルバムはすごいアルバムで歴史に名を残した大傑作だけれども、今の音楽にはあまり影響を及ぼしていないという少しかわったアルバムである。Once in a Lifetime。




ポジティブパンクとは?

 今回は、「今日は一日“パンク・ニューウェイブ”三昧 」よりポジティブパンクについてまとめます。解説は小野島大氏です。

 ゴスとポジティブパンクはだいたい同じなんですけれども、当時はポジティブパンクを略してポジパンといっていて、今の人にポジパンってなんだと質問されると答えにくい。なぜ、ポジパンと呼ばれるようになったのかというと、ちょうどディスチャージ(Discharge)とかハードコアムーブメントの後に話題になったのがポジパンですけれども、当時のイギリスの音楽誌がハードコアパンクはあまりにも破壊的で暴力的すぎてネガティブすぎるので、もっとポジティブな音楽を持ち上げようということで、ポジティブパンクというムーブメントをでっち上げたものである。よって、ポジパンに分類されるミュージシャンで自分たちがポジパンだと自称している人はいない。この当時出てきたのは、化粧して、耽美的な暗いロックをやっている人たちを、歌詞を含めて彼らの音楽にポジティブな要素はないけど、でっち上げて無理やりポジパンと呼んだ。だから、あんまり実態もないし、その後にポジパンって何ですかと聞かれても答えにくいものである。また、ゴスの解釈もイギリスと日本では微妙に違っており、イギリスのゴスの人は汚い格好をしている人たちがライブにくるが、日本だと着飾った人がライブにくる。代表的なバンドはThe Sisters of Mercy やSouthern Death Cult である。






コンピレーション・アルバム「ノー・ニューヨーク(No New York)」について

 今回は、「今日は一日“パンク・ニューウェイブ”三昧 」よりコンピレーション・アルバム「ノー・ニューヨーク(No New York)」についてまとめます。解説は小野島大氏です。

 パティ・スミスなどのニューヨークパンクの人達は、過去のロックを蘇らせたいという思いで創作していたとするならば、このノー・ニューヨークに参加しているミュージシャンはそういう過去が一切ない。ノスタルジーもロマンも全くないという断ち切られたところで始まっている。この点で、ニューヨークパンクよりもよりパンクだったのはノー・ニューヨークに参加したミュージシャンだったのではないかとも思える。ノー・ニューヨークに参加したミュージシャンでメジャーになったのはアート・リンゼイくらいで、後はインディーでやっている人ばかりであるけど、このアルバムの及ぼした影響は大きい。また、このアルバムの影響が一番大きかったのは日本である。アメリカでは現場になったニューヨークでは聞かれていたがそれ以外の地域やイギリスなどのヨーロッパではほとんど影響がなくて、日本だけで異常に影響力があったのではないかと言われている。このアルバムのプロデューサーはブライアン・イーノであり、ブライアン・イーノがプロデュースしていると聞いて最初はみんな聞き始めた。ある意味、ブライアン・イーノの功績はU2をプロデュースしたことではなくて、このアルバムをプロデュースしたことであるともいえる。




ザ・クラッシュ(The Clash)の白い暴動(White Riot)に学ぶパンクとレゲエの関係

 今回は、「今日は一日“パンク・ニューウェイブ”三昧 」よりクラッシュの白い暴動に学ぶパンクとレゲエの関係についてまとめます。解説は小野島大氏です。

 クラッシュの白い暴動は1977年に出たクラッシュのファーストシングルなんですけれども、題材が1976年に起きたノッティングヒル暴動という事件がありまして、これはノッティングヒル近辺で毎年催されるカーニバルがあるんですけれども、そこで近所に住んでいるワーキングクラスの白人であるとか、ジャマイカから移民してきた黒人であるとかが大暴動を起したという事件があって、このときにジョー・ストラマー(Joe Strummer)がこの現場にいて非常に刺激をうけて、黒人達は石を投げて抗議の意思を表明することをためらわないと、だから俺達も俺達自身の暴動を起せという曲なんですね。ジャマイカ系の移民とはレゲエの本場から来た人たちということなんですけれども、だからパンクとレゲエというのは非常に近親的な関係にありました。よく言われるのが、なんでパンクとレゲエが近い立場にいるのかが分からないということなんですけれども、同じイギリスの階級社会の中の一番下にいる労働者階級とジャマイカからの移民の人たちは精神的に近い関係にあった。それを象徴するのがクラッシュの白い暴動であります。



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