ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)再結成録(3) 再結成ブームとポール・ウエラー(Paul Weller)発言

20111223

渋谷陽一「ザ・ストーン・ローゼズの再結成についてはどう思われますか。」

伊藤政則「ブラック・サバス(Black Sabbath)の再結成とどう違うの。」

渋谷「イギリスでは大変な騒ぎになっていて、日本でも洋楽ファンの間では大変な騒ぎになっておりましたけれども。」

伊藤「最近はレコードセールスというかCDのセールスがどんどん落ちていく中で、今は興行にシフトしているわけじゃない。コンサートという。そうなると、やっぱり伝説でものすごいバンドに再結成してもらうと観客動員がいいわけだから、ザ・ストーン・ローゼズにしても、ブラック・サバスにしても、メタリカ(Metallica)の完全再現にしても興行としての見方からきてるんじゃないの。彼らもプロモーターからアプローチされたということがあると思うよ。」

渋谷「業界的なするどい分析で。ザ・ジャム(The Jam)再結成の質問をされたポール・ウエラー(Paul Weller)は、「ジャムを再結成させるまでに貧乏にならないように俺は頑張ろうなぁと思った」という皮肉な発言があったので、伊藤さんのそういう発言もあながち真実をついていないわけではないと思うんですけれども。ただ、イアン・ブラウン(Ian Brown)とジョン・スクワイア(John Squire)は絶対に口もきかない、絶対にバンドはやらないと言われていたのに、いろいろなことがあったにせよ再結成されてよかったと。ニュー・オーダー(New Order)も俺は絶対再結成なんかしないと言っていたピーター・フック(Peter Hook)抜きで再結成をしておりますね。」

ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)再結成録(2) 再結成

20111104 

児島由紀子「ザ・ストーン・ローゼズが再結成してしまいました。」

渋谷陽一「すごいですよね、その話題。日本でも結構な盛り上がりになっていますよ。」

児島「こっちではお祭りですよ。毎年夏フェスシーズンになるたびにそういう噂が浮上していたんですよ。今年の4月、マニのお母さんの葬儀でイアン・ブラウ(Ian Brown)ンとジョン・スクワイア(John Squire)が15年ぶりに再開して和解したっていうことをお伝えしたじゃないですか。以前。」

渋谷「児島さんが、再結成はまんざらゼロではないっていう話をしました。」

児島「あの時点で何か臭うなと思っていたんですよ。」

渋谷「さすがインサイダー。違いますね。」

児島「そしたら、今回の記者会見でやっぱりあれがきっかけでまた友達づきあいをするようになったそうです。」

渋谷「イギリスはすごい騒ぎなんだ。」

児島「すごいですよ。で、来年の6月にマンチェスターのヒートン・パーク(Heaton Park)というキャパ7万5000人のところで三日間ライブをやるんですよ。そのチケットが一時間ちょっとで売り切れちゃったんですよ。」

渋谷「すごいですね。記者会見も大々的にやったみたいですけれども、メンバー全員そろってどんな話をしたんですか?」

児島「やっぱり、あなた達は今まで強硬に再結成を否定していたのかっていう質問に集中しましたよね。みんな。」

渋谷「なんて言っているんですか?」

児島「ジョンは二年ぐらい前に、自分はザ・ストーン・ローゼズの墓を冒涜する気はないっていうアートワークまで作ってオークションにも出したじゃないですか。だからその辺をすごく攻められていまして。だから、マニ(Mani)のお母さんの葬儀で偶然再会してって、それは偶然じゃなくてマニがわざと合わせたんですよって言いたくなったんですけれども、あの偶然の再会がすべてを変えたと。問題は自分達の友情が破綻していたからだと。」

渋谷「なるほど。」

児島「イアンも、いままではほとんど絶縁状態であったから、毎年大金を積んで再結成の依頼が来ていたけれども、受ける気にはなれなかったって。」

渋谷「でもいよいよマニのお母さんの葬儀をきっかけとして再結成をする気になったということですね。」

児島「しかも、もう新曲もいくつか書いているみたいですよ。だから、幻のサードアルバムの可能性もあるわけですよ。うまくいけば。」

渋谷「すごいね。音源まで作られるとか、それはレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の再結成とは全然違いますね。児島さんも泣きそうですよね。」

児島「私はもうあきらめようとしていたんですよ。20年以上も前の話だし、希望を毎回毎回砕かれるのは疲れ果てまして。」

渋谷「それがなんと現実のものとなると。」


ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)再結成録(1) 和解

20110506

児島由紀子「ザ・ストーン・ローゼズのジョン・スクワイア(John Squire)とイアン・ブラウン(Ian Brown)が和解したんですよ。」

渋谷陽一「何十年ぶりって感じですね。」

児島「15年ぶりです。二人が口をきいたのは。しかも、二人が会ったのはマニ(Mani)の仲介によって、マニのお母さんが亡くなった時の葬儀で会わせたみたいなんですよ。今までに何度もマニがこの二人を会わせようとしたんですけれども、どっちかが来るとどっちかが来ないという感じで、ずっとお互いを避けていたんですよ。ついに今回は、お互いにあって、抱き合って、背中を叩き合って、非常に盛り上がっていたそうです。」

渋谷「いい話じゃないですか。」

児島「私もうれしいですよ。北欧人って頑固だからこの二人はずっといがみ合ってるんじゃないかなぁと思っていたのでうれしかったです。」

渋谷「それはイギリスでもかなり話題になったんじゃないですか。」

児島「もうほとんどのメディアで出てましたよ。」

渋谷「たいていの人はそこから、ではと期待するんですけれども、それはないんですかね。」

児島「そういう期待は当然ありますけれども、こっちのメディアがドワーっとマニの方に再結成するのかと質問したから、マニが怒って俺はおふくろが亡くなったばかりなのにこういう話にしないでくれと。本人は今はLAに逃げています。」

渋谷「児島さんのレポートは熱かったですね。やっぱりこのザ・ストーン・ローゼズへの思いというのは、ある一定の世代や熱心なファンにとっては日本の場合でも厚いですし、イギリスに至っては国民的なニュースになるという所なのかもしれません。」

賛否両論のルー・リード(Lou Reed)とメタリカ(Metallica)のコラボアルバム

20111223

渋谷陽一「すごくいいライナーノーツを伊藤政則さんがお書きになっておりましたけれども、その中でもともとはルー・リードの曲をメタリカがカバーするつもりだったって書かれておりましたけれども、そこからオリジナルへ行ったということはかなりの大プロジェクトだったんですね。」

伊藤政則「ルー・リードも自分の未発表や出していたものをメタリカにやらせたらどうかなと思ったんだけれども、メタリカなら面白いんじゃないかってことで歌詞をルー・リードがメタリカに渡したんだって。一応こういう感じのイメージということでルー・リードは音も渡したんだけれども、これがキーも何もない雰囲気だけのもので、これをメタリカが音楽にしていくのが大変だったらしいよ。しかも、全然関係ないところからインスパイアーされて作ったと。だから、ジャムで作ったんで20分くらいの曲もあるんだよね。」

渋谷「メタリカのメンバーはレコーディング中に泣いたと。」

伊藤「多分、メタリカはこういう歌詞を作ったことがないんだね。それとすごく人間の内面をえぐっているので、メンバーの中にはご家族を亡くした方がいて、それで思わず感情移入してレコーディングの時にちょっと休憩しようと言うときに、キッチンにいって思わず泣いてしまったと。」



 YoutubeもAmazonでもこの作品は賛否両論という感じです。個人的にはかっこいいアルバムだと思いましたが、メタリカのファンにはあまり評判がよくないようです。2013年にルー・リードが亡くなったので、ルー・リード最後の作品に結果的になってしまいましたが、その作品が賛否両論といのはある意味ルー・リードらしいかもしれません。

ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)の音楽的ルーツはビートルズ(The Beatles)ではなくパンクであった説

20111021

児島由紀子「初のソロアルバムが出たノエル・ギャラガーにまたしても取材をしてきたんですよ。」

渋谷陽一「最近はよくあってますね。ノエルと。」

児島「ノエルもあったときに、二週間前に話したばかりじゃんってびっくりしていました。今回はちょっと視点をかえまして、ソングライターのノエル・ギャラガーに焦点を合わせつつ彼の半生を聞いたんですよ。ジョージ・マーティン(George Martin)がおそらく現世代で最高のソングライターだろうってよんだ人ですから、ルーツから現在に至るまでを全部刻銘に聞いたんです。いろいろな新事実が出てきましたよ。」

渋谷「どんな?」

児島「ノエルの音楽家としてのルーツは、ビートルズ(The Beatles)ではなくてパンクだったんです。」

渋谷「それは意外ですね。どの辺のパンクだったんですか?」

児島「パンクといってもセカンドウェイブ。ジョイ・ディヴィジョン (Joy Division) とかバズコックス(Buzzcocks)とかザ・ジャム (The Jam) とかあの辺りだったらしいんですね。で、ギターは13歳の頃に独学で覚え始めたんですけれども、そのとき弦一本で弾けるのがそういうパンクレコードしかなかったらしいんですね。かといって、女手一つで兄弟三人を養ってくれているお母さんに、ギターのレッスン料を出してくれとはとてもいえなかったと。だから、チューニングの仕方も知らなかったそうです。」

渋谷「じゃあ本当にパンクだったんですね。」

児島「そうなんですよ。で、その後、スミス(The Smith)をトップ・オブ・ザ・ポップスでみて、それ以来スミスの大ファンになって、俺は絶対にジョニー・マー(Johnny Marr)になってやるんだと誓ったそうです。だけど、その当時にスミスをコピーしてみようと思ったら、ジョニー・マーのテクがすごすぎて手も足もでなかったらしいんですけれども。」

渋谷「それは確かに。ジョニー・マーをコピーしようとしてもなかなか難しいかもしれませんね。」

児島「で。ビートルズに傾倒するようになるのは、実は20代になってからなんですよ。」

渋谷「意外な展開ですよね。」

児島「ちょうどマンチェスターの頃で、あの頃はハシエンダ(The Hacienda)というクラブがありましたけれども、そこによく通っていたそうです。ダンスミュージックばっかりじゃないですか。ダンスミュージックばっかりのところに、ああいう60年代のロックはすごく合うって。で、その頃から聞き始めたそうです。」

渋谷「そういった形で、彼自身の音楽的な教養の広さというものが、今度のソロアルバムにも反映されているのかもしれないですよね。」

児島「イギリスでもすごく評判がいいですよ。」


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