ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

イギリスのレコードセールスの中でインディーズのシェアが史上最高となる

20131206

児島由紀子「今年になってからUKのレコードセールスの中のインディーのシェアが史上最高となったんですよ。」

渋谷陽一「すごいですね。」

児島「レコードセールスの売り上げ全体は1.5%落ちているんですけれども、インディーのシェアは40%も上昇しているんですね。」

渋谷「メジャーが厳しいですね。」

児島「だからインディーバンドにとって非常にいい時代になってきているわけですよ。」

渋谷「ネットの発達で宣伝媒体を持たなくてもいろいろなバンドが自分たちの音をユーザーに直接届けることができるようになりましたからね。」

児島「そうですね。そういう面もあると思うんですけれども、結成されて1年たらずみたいなバンドが注目されるのは、やっぱりネットのおかげですよ。」

渋谷「そういうチャンスが増えるといいバンドもどんどんやりたがるから若い世代もがんばっちゃうみたいな、いい循環が。」 

児島「本物の音楽ファンにとってはこれからいい時代になるのかもしれません。」

渋谷「楽しみですね。」

児島「メジャーのカラオケ産業ポップばっかりはやっぱり聞いてられないですよね。」

渋谷「そうですね。」

ポール・マッカートニー(Paul McCartney)は超人である説

20131129

 ポール・マッカートニーの来日公演は本当に素晴らしかったですけれども、いろいろ驚くところはありますけれども、約3時間。休憩なし。37曲だか38曲歌いっぱなし。一回も水を飲みませんでした。そしてビートルズナンバーでもキーを変えずに歌う71歳。レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)っていうバンドがあるんですけれども、再結成の時はキーも変えてメロまで変えましたからね。もはやこれは超人だという感じの71歳でした。

トラディショナルフォークやカントリーは「死」「犯罪」「殺人」などの歌が多い説

20131206

1、「foreverly」

 ビリー・ジョー (Billie Joe)とノラ・ジョーンズ(Norah Jones) という普通ではちょっと考えられないコラボ作品なんですけれども、「foreverly」という作品を紹介したいと思います。ビリー・ジョーは言うまでもなくあのグリーン・デイの中心メンバーであり、今もっとも優れたソングライターだと言ってよいのではないでしょうか。そしてノラ・ジョーンズもコンポーザーとして、シンガーとして、ミュージシャンとして大変評価の高い女性ソロシンガー。どちらかというと活動している場所が全然違う二人なんですけれども、でもその音楽的なクオリティーと洗練性と文学性とそういうようなところにおいては非常に共通するところがあると思うんですけれども、その二人が一緒になって作った非常にユニークな作品です。じつはこれは、1958年にエヴァリー・ブラザース(The Everly Brothers) が出したアメリカのトラディショナルフォークやカントリーをカバーしたアルバムである「Songs Our Daddy Taught Us」のそのまたカバーという、不思議な作品です。ビリー・ジョーは最近この作品をものすごく聞いていて、本当に好きで好きでしょうがなくて、この作品をカバーしたいということでノラ・ジョーンズに声をかけ、ノラ・ジョーンズに手伝ってもらいながらカバー作品をつくったのがこの作品になります。エヴァリー・ブラザースは日本ではそんなに有名ではないですけれども、インターナショナルな意味ではビートルズが出てくる前のポップミュージックシーンにおいて、すごく人気があった兄弟でやっていたコーラスグループで、ビートルズもエヴァリー・ブラザースが大好きで、ジョンとポールの両方ともリードボーカルでメインのメロディーを歌ってやるという方法も、もともとはこのエヴァリー・ブラザースのスタイルで、このエヴァリー・ブラザースのスタイルを真似たということは当初誰もが指摘したことなんです。そのエヴァリー・ブラザースがフォークソングをすごく愛して、自分たちのルーツとしてそういう曲をカバーするという作品を出したんですが、当時は評価されていなかったようです。時間がたってこの作品の評価ができてきた中でビリー・ジョー自身がもういっぺんこの作品と向き合ってカバーしようと思ったわけであります。

2、トラディショナルフォークやカントリーは「死」「犯罪」「殺人」などの歌が多い説

 ブルース・スプリングスティーンがトラディショナルフォークやカントリーをとりあげた時にも言いましたけれども、非常にこういう曲は「死」だとか、「犯罪」だとか、「殺人」だとかそういうような非常にディープで伝説的なことが一つの物語として歌われているという、カントリーなトラディショナルフォークの形があって、エヴァリー・ブラザースが取り上げた楽曲群もみんなそんな曲ばっかりなんですよね。歌詞がすごいんですよ。紹介しながら聞いていこうと思います。まず最初に紹介するのはLightning Expressという曲です。

  大きなLightning Expressが駅から出発していった
  乗り込んだ乗客は誰もが幸せで楽しそうだった
  でも一人で座った少年が手紙をじっと読んでいた
  その子の顔をみればわかる
  悲しい内容の手紙だと
  厳しい顔の車掌が検札をはじめて一人ひとりの切符を手に取っていった
  そしてとうとう少年のところにやってきて切符を見せるようにぶっきらぼうに言った
  「切符はないんです」と少年は答えた
  「でもいつか必ず払いますから」
  「それなら次の駅で降りてもらわないと」
  でもそこで口をつぐんだ少年がこういうのを聞いた
  「お願いです車掌さん、僕を降ろさないでください
   僕にとって世界一の親友が辛い思いで僕を待っているのです
   いつ死んでもおかしくない状態で
   明日までもたないかもしれません
   僕はどうしても家へ帰って母にお別れのキスをしたいのです
   神様が母を連れていく前に。」
  すると近くに座った少女が叫んだ
  「彼を降ろしてしまうなんでそんなのひどいわ」
  彼の手をとって彼女はお金を集めて回った
  そして彼の切符代はまかなわれた
  「あなたのご親切に心から感謝いたいします」
  「どういたしまして」
  と彼女は言った
  心配しないで
  これから車両の中を通るたびに車掌の耳には少年の言葉が響くだろう
  「お願いです車掌さん、僕を降ろさないでください
   僕にとって世界一の親友が辛い思いで僕を待っているのです
   いつ死んでもおかしくない状態で
   明日までもたないかもしれません
   僕はどうしても家へ帰って母にお別れのキスをしたいのです
   神様が母を連れていく前に」



 グリーン・デイもそうですし、ブルース・スプリングスティーンもそうですし、やっぱり彼らが持つロックンロールのストーリーテイラーとしてのスタイルというものは言うまでもなくここにルーツがあるというか、この物語性、歌詞、この世界観が彼らにとって幼い頃から自分の中に刷り込まれていて、それが自分のロックンロールのスタイルとなって現在の音になっているということがこういう作品を聞くと本当によくわかりますね。ほとんどが悲しい曲ばかりで、父と息子あるいは母と息子、そういう物語がすごく多い。そしてそこには常に「死」のにおいがあり、「犯罪」のにおいがあり、息子が恋人を殺し殺人犯人になりそれを父親に申し訳ないと訴えるとかいろいろな作品がたくさんあって、ビリー・ジョーが一時期この世界観にはまったというのは非常によく分かるなぁという気がします。続いてはI'm Here To Get My Baby Out Of Jailという曲です。

  「この街に長くいるつもりはありません」
  ひとりの年老いた女性が言った
  刑務所の看守に向かってこう言った
  「この街に長くいるつもりはありません
   すぐに出ていきますから
   ただ息子を刑務所から出したくて
   看守さん、かわいい息子を刑務所から出したくて来たんです
   息子をちゃんと育てようとしました
   昼も夜も祈ってきました
   息子が父親と同じ道を歩まないように
   ずいぶん遠くまで探してきました
   もう死んだのではないのかと心配しました
   でもやっとこの刑務所にいると分かったのです
   看守さん、やっと息子がこの刑務所にいると分かったのです
   今日からちょうど五年前でした
   あの子の父親が亡くなったのは
   雪の下で冷たくなってみつかりました
   私は屈んで彼の指輪と金時計と鎖を取りました
   それから埋葬されたのです
   そうです看守さん、あの子の父親は埋葬されたのです
   彼の時計を差し出します
   彼の鎖を差し出します
   私のダイヤモンドの結婚指輪でも差し出します
   あなたの服を洗濯します
   あなたの家の床だって磨きます
   それで息子が出られるなら
   そうです看守さん、それで息子が刑務所を出られるのなら」
  すると看守の声がしてその年老いた女性にこう言った
  「息子さんをお連れしましょう」
  鉄の門が大きく開いて彼女は息子を抱きしめた
  彼女は息子にキスをしてそれから息途絶えた
  それでも顔は笑っていた
  彼女は息子にキスをしてそれから息途絶えた
  「この街に長くいるつもりはありません」
  ひとりの年老いた女性が言った
  「ただ息子を刑務所から出したくて
   そうです看守さん、かわいい息子を刑務所から出したくてきたのです」




アーケイド・ファイア(Arcade Fire)に学ぶ、リズムこそが普遍的なコミュニケーションの手段である説

20131115

 アーケイド・ファイアでReflektor。



 この曲はスタジオにいたデヴィッド・ボウイ(David Bowie)が、この曲をはやくやらないんだったら俺が全部パクるぞって冗談でいったら、気に入ってくれたんでしょうね、そしたらメンバーがそれならこの曲に参加してくださいよ言ったら、デヴィッド・ボウイが後半のコーラスを歌っていますけれども、参加してくれたっていう曲であります。アーケイド・ファイアにとっては3年ぶりの2枚組という今日のロックシーンにとってはユニークなスタイルでこの作品は発表されたわけですけれども、前作がグラミーで最高賞をとり、ブリット・アワードでも賞をとり、その年もっとも代表するアルバムとして評価され、僕自身もあのアルバムにはものすごく興奮して、この番組でも特集しましたし、いつか原稿に書こうと思っているんですけれども、アーケイド・ファイアによってロックが従来もっていた世界の全体性を獲得するという、それこそ幸福なビートルズやストーンズの時代のそういうようなものが今は逆に困難になっていった時に、まったく別の角度から世界の全体性を獲得したすごいアルバムだと僕は思っているわけですよね。つまり、あのアルバムのパート2やパート3を作っただけでもより一層自分たちのポジションを固めることは可能であったんですけれども、また次のところへ進んでいったという、今回もものすごく意欲的な作品になっております。どの曲も長大な曲が多いんですけれども、じっくり聞いていきたいと思います。Porno。



 前作の「The Suburbs」は大成功をおさめ、評価も人気も彼らにとって最高のポジションを獲得することになったんですけれども、その後バンドはハイチに行くんですよね。ハイチで大きな災害があってそれのチャリティーを行っているんですけれども、中心メンバーのウェインの奥さんのご両親がハイチ出身ということで行ったんですけれども、そこでのライブ体験というものが今回のアルバムにものすごい影響を与えていて、ウェイン自身がBBCのインタビューで語ったことがライナーノーツに書かれているんですけれども、「ビートルズもローリング・ストーンズも知らないハイチの人たちの前で演奏したことが、僕らにとってパワフルな体験となった。純粋にリズムだけで人との結びつきを見出そうとしたから」という発言があって、まさにこれがこのアルバムのすべてを語っていると言ってもいいかもしれません。つまり、音楽がどう人と結びついていくのか。ポップミュージックがポップであることの普遍性。それは美しいメロディーであったり、言葉としてのすばらしさであったり、そういうのも当然あるんですけれども、ロックっていうフォーマットそのものが単純に通用しないところに行ってどう人とつながっていくのか。それはリズムだったのではないのかと。そこに前衛性があったとしても巨大な普遍性があるのではないのかと。そんなアーケイド・ファイアの試みがこのアルバムには込められていて、すごい作品になってしまったなぁと。そのある意味このアルバムの中で僕的には最高のグルーブを獲得していると思われるナンバーが次の曲なんですけれども、聞いていただこと思います。Afterlife。



 ごく少数の人しか日本でアーケイド・ファイアのライブを見れてないということはすごく残念で、本当に楽しいグルーブのある意味笑えるようなライブなんですけれども、このアルバム以降のライブはどんだけすごいことになっているんだろうと、是非来日公演を実現してほしいと思います。


スティング(Sting)、「The Soul Cages」に続き再び人生を振り返る

20131108

 スティングの10年ぶりの「The Last Ship」を紹介したいと思います。これはもういっぺん彼自身が自分の育った町、父親が働いていた造船の町、自分の故郷をテーマにミュージカルという形式で自分の人生と向き合った、そういう作品です。ご存じの方も多いと思いますけれども、1991年に発表されました「The Soul Cages」というアルバムがやはり同じような佇まいで、自分の故郷と父親が亡くなったという人生の節目に向き合う作品だったんですけれども、それに続いてもういっぺん同じテーマで、今度はミュージカルという形で、自分自身のふるさとと向き合った作品になっております。非常に長い、スティング自身の手によるライナーノーツがあって、これが本当にすばらしいので長いですけれども読ませてください。

 「The Last Ship」はすべて新曲で固めたアルバムとしてはほぼ10年ぶりの作品ということになる。ソングライターとしての寿命を考えたら10年はかなり長い時間だ。最もこの時間を私は無為にすごしてきたわけではない。ずっと年上の、あるいははるか昔に亡くなってしまった作曲家達の作品を、どうしたら自分らしく表現できるのか模索を続け、休むことなくツアーにも取り組んできた。だが新しい曲となると聞かせるものがほとんどなかったのだ。私の人生を支えてきた曲を書きたいという欲求が消え失せてしまったのだろうか。そんな風に思うこともあった。もちろん以前にもこういうことはあった。いつの日か改めて創造意欲を手にするための準備期間なのだと、自分を納得させたりしたものだ。あるいは自らを取り戻し、さまざまなものを再考し、新たな一歩を踏み出すための準備期間。しかし繰り返すが10年は長い。父が他界した後やはり曲を書きたいという思いが枯渇したことを覚えている。感情と創造意欲の麻痺というべきものかもしれないが、結局その状況が私を「The Soul Cages」の制作へと導くこととなった。1990年のことである。いつものことだがレコード作りには深い自己探求が要求される。その過程でできることならば再訪したくないと思っていた土地に連れていかれることにもなる。問題の多かった子ども時代。生まれ育った町の造船所を中心に広がる超現実的な景色。いわゆる生存者の罪悪感、怨念、封じ込められた怒り。苦しみに満ちたものであったとしても、なぜか心をつかんで離さない過去に対する逆説的な郷愁。造船所の衰退とそれに伴う解雇が私が少年時代を過ごした町にも暗い影を落としていた。それが私の両親の死と重なっていく。挽歌を意図した「The Soul Cages」はこれまでのレコードの中でもっとも愛されず、もっとも理解されることのない作品となった。しかし、冷たい反応の一方であのアルバムは少数ながら誠実なリスナーの一隅を生んだのだった。半ば冗談で私は彼らを「最近近親者を亡くした人たち」「同じような思いに取りつかれた人たち」と呼んでいる。楽しい集いではないが思慮深い人たちの集まりとしてこういうものも認められるべきだろう。そして60回目の誕生日を迎えた頃だった。私の思いは親しみの感情とともに心の中で存在し続けていたあの土地へと戻っていった。生まれ育った町。今も私の記憶から消えようとしない幽霊達。未熟な作家であったあのころの私は勝手な思い込みでそれらを表現していた。もっと広い視野で描くことはできないであろうか。私ではない誰かの声で語ってみよう。私とは異なる視点で表現してみよう。その方向性が定まると苦しみから解き放たれた。創造のアイディアが絶え間なく私の中から吐き出されていった。登場人物達。物語の筋。たくさんのセリフが紙を埋めていった。驚くほど多くの曲が、驚くほどのはやさで生み出されていった。しかもその間私は少し脇によっていた。ちょうど登場人物達が私を通じて語るのに任せていたのだ。この作品では古くからの友人たちの協力をもらった。その多くはTynesideの出身。私と同じく川を眺めながらそだった人たちであった。正直に言うならばこの作品は夢の船でしかない。こんなことがあったかもしれないという寓話。仕事の大切さ。地域社会の重要性。その底流としてある父親の存在。追放。疎外。贖罪。死すべき定め。情熱。時に絶望の中から生まれるユーモアと勇気。そういった様々なことに関する寓話である。叙事詩としてうけとめてもらうこともあるかもしれない。結局のところ私たちは歌詞にもある通り、他にはなにも手に入れて+ないだろう。

 というのがあまりにも完璧なライナーノーツであります。続いてこのアルバムからアルバムタイトルナンバーを聞いていただきます。The Last Ship。



 この曲でミュージカルがはじまるんですけれども、続いてはAnd Yet、それでもまだ、というこの町に帰ってきたという曲を聞いていただきたいと思います。And Yet。



 続いてはI Love Her But She Loves Someone Else、私は彼女を愛しているけれども彼女は別の人を愛しているんだよという曲を聞いていただきます。I Love Her But She Loves Someone Else。



 スティングは私と同じ1951年生まれの62歳なんですけれども、あれほどの才能を持ったアーティストであっても10年間曲を作ることができない。それはまあ適当なポップソングを作れと言われたらいくらでも作れてしまうのかもしれないですけれども、自分にとってリアルな曲というのを作らないと表現者としてはやっていけないわけで、それがなかなか出てこないというのは辛かったんだなぁと。でもそれをなんとか乗り越えるというその作業をこのアルバムでできてよかったなぁと思います。正直、今回オンエアーした3曲以外はかなり地味で、ポップソングとしてのアッパーな佇まいをもった曲はあれだけなんですけれども、でもミュージカルという感じでストーリーをともなって全体を見ることができれば何かが伝わってくる作品なんじゃないのかと思います。ポリスの再結成ツアーでものすごい全世界的に大成功をおさめていたときに、彼自身は半ばノイローゼ状態になって非常に辛かったというエピソードもやっぱり、ポップアーティストとしての成功というものは何なのかということを改めて考えさせられました。
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