音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

アメリカン・ミュージックの系譜(23) ファンクの衝撃

アメリカン・ミュージックの系譜第十回 講師は大和田俊之氏です。

1、意義

 ・公民権運動と言った時に、1954年のブラウン対教育委員会裁判の最高裁の判決が出て、「分離すれど平等」という半世紀に渡って行われてきた人種差別的な政策が違憲であるという判断がされました。これによって公民権運動は一気に盛り上がって、キング牧師が出てきてということですね。1964年に包括的な公民権法が制定されます。この時代の黒人音楽で重要なものとして、ファンクがあります。

2、ファンクの成立

 (1)、意義

  ・一般的にはジェームス・ブラウン(James Brown)という人が切り開いたジャンルと言われていますけれども、このファンクという音楽ジャンルの成立というか、これからジェームス・ブラウンの曲の変化に注目していきたいと思います。

 (2)、デビュー当初のジェームス・ブラウン

  ・ジェームス・ブラウンは1956年にレコードデビューをしています。エルヴィス・プレスリーと同時代だと思ってください。最初は普通のR&Bの曲、Please, Please, Pleaseでデビューをしています。最初のPlease, Please, Pleaseは三連符を中心とするR&Bなんです。



 (3)、ファンクの成立

  ・1960年のThinkあたりからだんだんリズムが跳ねるようになって、1965年のPapa's Got a Brand New Bagでついに三連符というかシャッフルビートと言ってもよいとおもうんですけれども、シャッフルビートを捨てていわゆる16ビートの音楽になっていきます。これがだいたい1960年代の半ばで、これがだいたいファンクミュージックの成立と言われているんですけれども、この時期の代表曲であるPapa's Got a Brand New Bagを聞いていただこうと思います。



  1950年代半ばまで、ロックンロールまではアメリカのポピュラーミュージックの基本的なビートは三連符でした。それがロックになった時にエイトビートになっていくというアメリカの学者の説があります。しかし、ほぼ同じ時期に黒人音楽の方は、三連符だったものが16ビートになっていくわけです。ジャームス・ブラウンのファンクという音楽によって、一小節を16分割するという音楽が出てきます。今聞いてただいた曲の中で、楽器で重要なのはエレクトリックベースですね。今までベースはウッドベースが担当することが多かったわけですが、これがエレクトリックベースになっています。ウッドベースはサスティンが短いという言い方をしますが、弦をはじくと音がでてすぐ消えるわけですが、エレクトリックベースの場合は弦をはじくと一定の音が出ます。一定の音が出るということは、弦を触ると音がすぐに消えますから、音を細かく切りやすくなるわけです。これは、16ビートの細かいビートに適しているわけです。こういうわけで、ジェームス・ブラウンは一小節を16分割して、細かくリズムを刻んでいって、ある意味全ての楽器をリズム楽器として、リズムの網の目のような音楽を形成していくわけです。それをファンクというわけです。

 (3)、ワンコードの音楽ファンク

  ①、ワンコードの音楽ファンク

   ・もう一曲1970年のSex Machineという曲を聞いていただきます。



   Papa's Got a Brand New BagとSex Machineで何が違うのかというと、Sex Machineは基本的にはワンコードなんです。私は戦後のあらゆる音楽家の中でジェームス・ブラウンが一番重要な音楽家だと思っています。ジェームス・ブラウンがいなければヒップホップもないし、ハウスもテクノもないわけですね。後世に与えた影響という意味でもそうですけれども、ワンコードでヒット曲を作っていくということですよね。

  ②、コード進行を否定することの意味

   ・1959年にマイルス・デイヴィスが「Kind of Blue」というアルバムでモード奏法というものを始めます。モード奏法も和音の進行を極限まで減らすというか、基本的にはコード進行をしないという前提のもとでソロはどういうものが可能かということをマイルスは考えていたわけですけれども、1960年代後半に同じ黒人のミュージシャンが、しかもジェームス・ブラウンはより売れる、ヒットというものが求められる状況のもとで、和音一つで曲を量産していったいったということはとんでもないことだと思います。前衛的なことをするミュージシャンはいつの時代もいるわけですね。しかし、ジェームス・ブラウンはそれで次から次へとヒット曲を出していった、ポピュラリティーがきちんと伴っていたという意味で、本当に尋常ではないミュージシャンだったと思います。その意味で、マイルス・デイヴィスとジェームス・ブラウンが別のジャンルではあるんですけれども、同じ黒人音楽の中でコード進行というものを否定していった、コード進行というものがバッハに由来する機能和声的な西洋のクラシックの楽典的な音楽理論であるとすると、公民権運動のさなかに和音一つで音楽を作っていくとうことに、なんらかの黒人のアイデンティティーが関与しているのではないのかということが言えなくはないわけです。

  ③、三連符から16ビートになったことの意味

   ・もう一つ、三連符から16ビートになったといいましたが、「シャッフル」という言葉はアメリカの芸能史においては割と重要な意味を持っています。19世紀にミンストレル・ショーという白人の芸人が顔を黒塗りにしてステージ上で黒人のものまねをするという芸が非常に盛んであったんですね。その時の主な出し物の一つが、「シャッフル」と言って、足を引きづって歩くことが黒人っぽい身体所作であるとみなされて、お笑いのネタになっていたわけですね。このシャッフルが公民権運動の時に、黒人が自分達に押し付けられるステレオタイプの象徴としてこの「シャッフル」と言う言葉がとらえられるようになって、公民権運動の時にみんなが練り歩きながらやるコールする時に、「私達はもうシャッフルしない」というようなコールがサンフランシスコのデモなんかであったと言われております。つまり、三連符から16ビートになるということは、シャッフルからの離脱、白人から押し付けられた黒人のステレオタイプから逃れて、自分達自身のアイデンティティーを作っていくと解釈できなくもありません。

アメリカン・ミュージックの系譜(22) モータウンとスタックス

アメリカン・ミュージックの系譜第十回 講師は大和田俊之氏です。

1、公民権運動と音楽

 (1)、公民権運動

  ・R&Bとソウルミュージックについてお話しします。基本的に公民権運動の時代です。公民権運動と言った時に、1954年のブラウン対教育委員会裁判の最高裁の判決が出て、「分離すれど平等」という半世紀に渡って行われてきた人種差別的な政策が違憲であるという判断がされました。これによって公民権運動は一気に盛り上がって、キング牧師が出てきてということですね。1964年に包括的な公民権法が制定されます。

 (2)、1964年以前の公民権運動

  ・1964年の公民権法制定以後も公民権運動は続きますけれども、1964年以前と以降で公民権運動の性格がちょっと変わってきます。1964年以前は、白人が一緒になって運動を支えていたわけです。白人の大学生とか、白人の文化人・知識人みたいな人達がキング牧師とともに運動にかなり参加していました。この公民権運動を支えた音楽というのは、フォークミュージックでした。フォークは商業主義ではないので、政治的なメッセージを込めることができました。

 (3)、1964年以後の公民権運動

  ・しかし、1964年に公民権法が制定されますが、公民権法の制定によってアフリカ系アメリカ人の境遇がドラマチックに改善されることはありません。そのことに不満を持った一部の黒人が運動をします。この運動はブラックパンサー (black panther)のように、割と武装蜂起も辞さずというか、武力に訴えてもこの境遇を変えなければならないと、かなり戦闘的なものになります。そうした時に、これまでいっしょに戦ってきた白人達は、ちょっとこれはさすがについていけないぞということで、運動から離反していく人も結構いました。そうした中で、1960年代後半は割と黒人色が強い、アフリカ系アメリカ人を中心とするアグレッシブな運動になっていきます。この時代の音楽が、R&B、ソウル、ファンクです。

2、モータウン

 (1)、意義

  ・公民権運動の時代にどのような音楽が流行していたのかというと、まず非常に音楽的に重要なのは1959年にベリー・ゴーディー(Berry Gordy)という人が、モータウン・レコード(Motown Records)を創設します。モータウンから、例えばダイアナ・ロス(Diana Ros)とか、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)とか、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)とか、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)とか錚々たる人が出てくるわけです。

 (2)、モータウンサウンドの特質

  ・モータウンはブリル・ビルディング・サウンド(Brill Building Sound)、今ではオールディーズ (Oldies)とも言いますが、このシーンに属していたといっていいと思います。つまり、軽快で売れ線のポップスとして同時代的には受容されていたということです。ただ、ブリル・ビルディング・サウンドでもそうなんですけれども、黒人のアイドル的なシンガーが歌って、全国的なレベルで人気を博しました。モータウンは、社長のベリー・ゴーディーを筆頭に、専属の作曲家作詞家、専属のスタジオミュージシャン、もちろんアーティストもそうですけれども、ほとんどがアフリカ系でした。黒人で占められていた会社で、その意味でも画期的な会社でした。後期のモータウンの代表曲で、The Jackson 5のI Want You Backを聞いていただきます。




  モータウンという会社は、モータータウンからきているわけで、自動車産業が盛んなデトロイトに拠点をずっとおいていたわけですが、1960年代後半から1970年頃にロサンジェルスに拠点を移しています。The Jackson 5は西海岸に移ってからの曲なので、1960年代のモータウンの黄金期というよりは後期の曲ではありますけれども、マイケル・ジャクソンという不世出のアーティストを排出したグループですね。

 (3)、モータウンはなぜ売れ続けたのか

  ①、問題提起

   ・モータウンは、シーンとしてはブリル・ビルディング・サウンドという当時もっとも売れているシーンに関わっていたわけですね。1964年にビートルズがアメリカに来て、ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)というアメリカのチャートがイギリスの若い男性のバンドに席捲されてしまうことがおこるわけです。このブリティッシュ・インヴェイジョン以降でアメリカのアーティストでチャートに食らいつくことができたのは、モータウン勢とビーチ・ボーイズだという風に言われています。つまり、モータウン以外の他のブリル・ビルディング・サウンドの黒人のアイドルグループは、ブリティッシュ・インヴェイジョン以降はチャートに残ることができませんでした。なぜモータウン勢とビーチ・ボーイズだけはブリティッシュ・インヴェイジョン以後も残ることができたのかについて面白い考察があります。

  ②、モータウンはなぜ売れ続けたのか

   ア)、「曲」から「アーティスト」の時代へ
 
    ・1920年代1930年代1940年代1950年代とティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)の時代からロックンロールの時代を経てブリティッシュ・インヴェイジョンに来るわけですけれども、ティン・パン・アレーの時代とロックンロールの時代で何が変わってきたのかと言うと、ティン・パン・アレーの時代は曲が大切で、みんな「この曲」「この歌」という形で認識をしていましたが、ロックンロール以降はアーティストが中心で、「エルヴィス・プレスリーの〇〇という曲である」「ビートルズの〇〇という曲である」と言う風に、ポピュラー音楽を認識していく対象が楽曲が中心であった時代から、アーティストが中心である時代になりました。これは1940年代くらいから出て来たテレビの影響が非常に大きいと言われていますが、見てアーティストが歌っているという姿が音楽の認識に影響を与えたわけです。

   イ)、スターシステムをとったモータウン

    ・モータウン勢というのは、例えばダイアナ・ロス&ザ・スプリームス(Diana Ross & the Supremes)みたく、中心に誰がいるのかということが分かるようにスターシステムを作るわけですね。例えば、モータウンではないブリル・ビルディング・サウンドの同じようなグループとしてシュレルズ (The Shirells)がありますが、このグループのメンバーの名前は誰も覚えていないと思います。つまり、モータウンは、このグループのスターはダイアナ・ロスであるとちゃんと真ん中のスターを決めることによって、ビートルズ、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーといったようなアーティストを中心にみんなが認識をするようになったポピュラー音楽界においてもきちんと生き残ることができたという解釈がありまして、これは面白いと思います。

3、スタックス

 (1)、意義

  ・デトロイトを中心とするモータウンに対して、同時代に南部のメンフィスにも非常に重要なレコードレーベルがありました。スタックス・レコード (Stax Records)の前身のサテライト・レコードが1959年に創設されました。メンフィスを中心に活躍していたアーティスト、例えばオーティス・レディング(Otis Redding)であるとか、サム&デイヴ(Sam & Dave)であるとかそういった黒人ミュージシャンが人気を博していました。

 (2)、本物の「黒人」音楽としてのスタックス

  ①、本物の「黒人」音楽としてのスタックス

   ・モータウンと比べるとそれほど売れてたわけではありませんが、音楽好きの間ではスタックスの方が本物の「黒人」音楽であるというような言い方がよくされていました。本物の「黒人」音楽であるというのは、モータウン勢に比べると非常に荒々しいというか、アレンジは粗野で素朴で、歌い方はドラマチックで躍動感があって、非常にパワフルであるという意味ですね。音楽的に言うと、モータウンはストリングスのアレンジで洗練された形であるとすると、スタックスはホーンセクションがあって力強くてパワフルでグルーヴがあってと、私達が持っている黒人音楽のステレオタイプに合致するのがメンフィス勢でありました。1980年代くらいまでは「黒人音楽が好きだ」といってモータウンというと、あんなものは黒人音楽ではないという人が結構多くいました。モータウンは白人に魂を売った黒人音楽でというイメージが全世界的にあって、本物の黒人音楽はメンフィス勢のオーティス・レディングであるという認識が割と長い間続いていました。1990年代以降になると、日本でもシカゴのソウルであるとかデトロイトのソウルなど洗練された音楽も黒人音楽として見做すという風潮が出てきました。いずれにしても、これこそが本物の「黒人」音楽だという典型として考えられていたオーティス・レディングの曲を聞いてください。Respect。



  ②、本当にスタックスは本物の「黒人」音楽なのか?

   ・スタックス・レコードでも、モータウンと同じように専属バンドがあって、スタックスの楽曲ではだいたいブッカー・T&ザ・MG's (Booker T. & the M.G.'s) という専属バンドが演奏していました。実はこれはモータウンとは異なって、ブッカー・T&ザ・MG'sはメンバーの半分が白人なんですね。つまり、サザンソウルといいますけれども、スタックス・レコードのサウンドを決定づけていたバンドの半分が実は白人である。さらに、スタックス・レコードの社長も白人なんですね。もちろんアーティストは黒人が多いんですけれども、サウンドを握っているバンドの半分は白人であると。他方、モータウンは社長以下全員が黒人であると。しかし、モータウンの方が白人に媚びを売ったという風にみなされて、メンフィスのオーティス・レディングの方がより本物の黒人っぽいと、日本だけではなくてアメリカでも多くの人たちがそう考えていました。これは、私達がかなり黒人音楽というものをステレオタイプで見てしまっている、黒人音楽はソウルフルで躍動的なものであるべきだとどこかで思っているということですよね。

アメリカン・ミュージックの系譜(21) ロックはいつ誕生したのか?

アメリカン・ミュージックの系譜第九回 講師は大和田俊之氏です。

1、問題提起

 ・アメリカにおいてロックはどこで誕生したのかというと、これはいろいろな人がいろいろな事を言っているのですが、もう一つこの時代で重要な事は、フォークミュージックの台頭です。

2、フォークミュージック

 (1)、反体制の音楽フォーク

  ・フォークミュージックは第二次世界大戦前くらいからずっとあるんですけれども、ずっとアンダーグラウンドな音楽でした。日本でイメージするフォークとアメリカのフォークは何が違うのかというと、アメリカのフォークは政治的な、そして左翼の音楽だということです。リベラルという、ラジカルというか、革新的な政治思想の人たちがやる音楽ですね。第二次世界大戦中は共産党の歌と民族音楽が一緒の雑誌にのっていたりとかがありました。そういった中で、多くの大学生を中心に人気を得ていたました。

 (2)、フォーク界最大のヒーローボブ・ディラン(Bob Dylan)

  ・フォークミュージックのシーンはだんだん大きくなっていきます。それはアメリカにおいて公民権運動が出てくるからなんですね。公民権運動のBGMは黒人音楽だと思われる方が多いかもしれませんけれども、より正確にはフォークミュージックだと言った方がいいと思いますね。フォークミュージックをやっていた人たちは、あまり商業主義的なことを考えなくてよく、政治的な思想があるので、公民権運動をバックアップしたわけです。そのことによって、白人の大学生や文化人や知識人が公民権運動を支えていたわけです。もちろん黒人の運動ではあるんですけれども、とりわけ1964年くらいまでは白人がずっと支えていました。そのシーンの最大のヒーローがボブ・ディランでありました。

3、ロックはいつ誕生したのか?

 (1)、ロックはいつ誕生したのか?

  ・1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでボブ・ディランがエレキギターを持って演奏したというエピソードがあります。多くの人はボブ・ディランにブーイングを浴びせたわけですね。なぜブーイングを浴びせたのかというと、フォークミュージックのシーンというのは電気楽器を使うことはタブーでした。アコースティック楽器を使わなければならないと。これにはいろいろな理由があるんですけれども、フォークの人たちは言葉、メッセージを重要視しているので、アンプやドラムを使うと言葉が聞こえなくなってしまうということでダメだったわけですね。あとは、エレキを使うのは商業主義的だということです。当時のフォークの人たちにとっての最大の敵はビートルズだったわけです。ビートルズこそが商業主義の象徴であって、ここに対抗しなければならないということでフォークの人たちはやっていたわけですけれども、しかし、1965年にフォークシーン最大のスターのボブ・ディランがエレキギターをもってステージにたったということで、師匠格のピート・シーガー(Pete Seeger)は怒り狂って、斧か何かで電気ケーブルをぶった切ったとかそういう話がありますけれども、僕自身はこの1965年のこのエレキギターを持ったボブ・ディランが象徴的にロックの誕生を非常にシンボリックに表していると思います。

 (2)、体制内の反体制の音楽ロック

  ・つまり、フォーク的な、反体制の価値観を持っていたボブ・ディランが、エレキギターをもってある種体制的なパフォーマンスをする、より分かりやすく言うと、体制的なシステムの中で反体制的なメッセージを奏でるというのがロックミュージックの一つのイデオロギーだとすると、そこでエレキギターを持ったボブ・ディランがフォークフェスティバルで演奏したということで、この瞬間がロックが誕生した瞬間であると僕自身は認識しています。フォークの人たちは政治的であって、アコースティック楽器を使うべきであって、商業主義に染まってはいけないという事を自分達の音楽ジャンルとして定義づけているんですけれども、ロックの人たちは商業主義の中で反商業主義的なメッセージを言うといったような、ある種の矛盾を抱え込んだジャンルなわけです。その矛盾を抱え込んだ瞬間が、ボブ・ディランがエレキギターをもってステージにたった瞬間ではないのかなと思います。というわけで、ボブ・ディランのLike a Rolling Stoneを聞いてください。



  フォーク出身のボブ・ディランがこうして電気楽器をもってステージに立つということですね。反体制的な思想を胸に秘めつつ、しかし自ら商業主義に自らを委ねていくというか、その矛盾の中に飛び込んでいくということに、ロックという音楽ジャンルがそれ以前の音楽ジャンルと比べると比べものにならないほど世界的な広がりを持っていったということがあると思います。

アメリカン・ミュージックの系譜(20) ロック=エイトビートはガレージロックで生まれた

アメリカン・ミュージックの系譜第九回 講師は大和田俊之氏です。

1、意義

 (1)、ガレージロックムーブメント

 ・1950年代にロックンロールという音楽ジャンルが生まれて、突如としてアメリカのメジャーな音楽ジャンルになるわけですけれども、ロックンロール自体は非常に短命に終わります。主要なプレイヤーがさまざまな不幸に見舞われて、音楽シーンから退場してくわけですね。まず、エルヴィス・プレスリー (Elvis Presley)が徴兵されてドイツに行ってしまいます。リトル・リチャード(Little Richard)は神の啓示を受けて音楽活動をやめて教会に行ってしまいます。バディ・ホリー(Buddy Holly)は飛行機の事故で亡くなってしまいます。チャック・ベリー(Chuck Berry)はちょっと悪いことをやって捕まってしまいます。ロックンロールの主要なミュージシャンが音楽シーンからいなくなってしまいます。しかし、この時期に起こる重要なムーブメントとして、ガレージロック (Garage Rock) のムーブメントがあります。ガレージロックというのは、文字通りガレージで練習するロックですね。エルヴィス・プレスリー (Elvis Presley)であったり、ジェリー・リー・ルイス('Jerry Lee Lewis)であったり、そういうロックンロールのスターを見て影響をうけた若い人たちが、今度は自分達でバンドを組んで、ちょっとしたバンドブームが全米で起こります。

 (2)、サーフミュージック

  ・そのバンドブームの中でもとりわけ南カリフォルニア特有の地域的なサブジャンルがあって、それがサーフミュージックと呼ばれるものです。ここから出て来たのが、ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)です。初期のヒット曲でSurfin' U.S.A.。



2、ロック=エイトビートはガレージロックで生まれた

 (1)、意義

  ・ビーチ・ボーイズは、ガレージロックであったり、サーフミュージックであったりのジャンルの音楽なんですけれども、あるアメリカのポピュラー音楽の研究者は、ここでアメリカのポピュラー音楽の主要なリズムが変わったというんですね。1950年代までのアメリカのポピュラー音楽の基本的なビートは三連だったんです。タタタタタタタタタタタタとちょっとはねるわけですね。スイングなんかもスイングしないとダメだということですけれども、今聞いてもらいましたビーチ・ボーイズはよりフラットなエイトビートになるわけですね。ロックは基本的にエイトビートを主体とする音楽なわけですけれども、実はエルヴィス・プレスリーとかのロックンロールは割と三連なんですね。つまりロックンロールまでは三連なんだけれども、ガレージロック以降はエイトビートになります。このリズムパターンの変化が、ロックとロックンロールを分けるべきであると考える一つの理由です。

 (2)、理由

  ・なぜこのような変化が起きたのかということは、いろいろな説明ができるんですけれども、まずはツイスト(twist)というダンスが流行します。ツイストというのはエイトビートですね。だから、これに合わせたという話もあるんですけれども、面白くてよりシンプルな説明としては、ロックンロールとロックは何が違うのかというと、エルヴィス・プレスリーはもちろんエルヴィス・プレスリーなんですけれども、エルヴィスのバックで弾いているミュージシャンはプロのスタジオミュージシャンなんですよね。ところが、これを見て自分達でガレージで練習をし始めた若者たちは、みんな素人なわけです。演奏してみると三連の方が難しいわけであって、簡単に言うとガレージロックをやった素人達は下手だからエイトビートになったということです。プロフェッショナリズムが問われる三連のリズムから、よりベタなエイトビート広まり、このエイトビートがアメリカの音楽の主流になっていったわけです。

 (3)、ロックの核はアマチュアリズムである

  ・エイトビートは、ロックの重要な特質を反映していると私は考えています。それはアマチュアリズムというか、ロックくらいなんですよね。下手であることが問題にならないというか、ロック好きな人ってうますぎると批判したりしますよね。これがジャズとかヒップホップもそうなんですけれども、黒人音楽はスキルが非常に重要視されます。しかし、例えばパンクロックなどを聞いてもらえれば分かると思いますが、上手いということは何のメリットにもならないどころか、「あいつはうまいけど・・・」みたいなデメリットにすらなるわけです。これは、ロックという音楽の核にアマチュアリズムがあって、それはガレージロックを起源として、友達同士やいとこ同士で始めたということが、ロックという音楽の根底にあるわけです。

アメリカン・ミュージックの系譜(19) 再評価されるブリル・ビルディング・サウンド

アメリカン・ミュージックの系譜第九回 講師は大和田俊之氏です。

1、ロックンロールの終焉

 ・1950年代にロックンロールという音楽ジャンルが生まれて、突如としてアメリカのメジャーな音楽ジャンルになるわけですけれども、ロックンロール自体は非常に短命に終わります。主要なプレイヤーがさまざまな不幸に見舞われて、音楽シーンから退場してくわけですね。まず、エルヴィス・プレスリー (Elvis Presley)が徴兵されてドイツに行ってしまいます。リトル・リチャード(Little Richard)は神の啓示を受けて音楽活動をやめて教会に行ってしまいます。バディ・ホリー(Buddy Holly)は飛行機の事故で亡くなってしまいます。チャック・ベリー(Chuck Berry)はちょっと悪いことをやって捕まってしまいます。ロックンロールの主要なミュージシャンが音楽シーンからいなくなってしまいます。

2、再評価されるブリル・ビルディング・サウンド(Brill Building Sound)

 (1)、ブリル・ビルディング・サウンドとは?

  ・ロックンロール終焉後の1950年代後半から、ビートルズがアメリカに着て、ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)といって、イギリスの若いバンドがアメリカのチャートを席捲する1964年までの間の期間の、一番メジャーな音楽ジャンルは何かというと、ブリル・ビルディング・サウンド(Brill Building Sound)と言われる音楽です。一番わかりやすいのはオールディーズ (Oldies)と一般的に言われているのは、だいたいこの辺の時代のサウンドですね。今でもニューヨークにはブリル・ビルディングがありますが、そこにたくさん音楽出版社があって、そこでいろいろな音楽が作られていたのでブリル・ビルディング・サウンドと言ったりします。ブリル・ビルディング・サウンドは、アイドルポップみたいなものでだと思ってください。若い、割とアフリカ系の女性が多いんですけれども、女の子3人4人のグループがアイドルとして非常に人気を博しました。こういう風な曲がヒットしたということで、リトル・エヴァ(Little Eva)でThe Loco-Motion。



   この曲を作曲したのがキャロル・キング(Carole King)とジェリー・ゴフィン(Gerry Goffin)という人で、キャロル・キングは1970年代のシンガーソングライターブームの一翼を担う人ですけれども、リトル・エヴァはキャロル・キングのベビーシッターでした。キャロル・キングやジェリー・ゴフィンのような様々な若い作詞作曲家が活躍して、アイドルに曲を提供してというシーンでした。よって、多くの人はティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)的なものの再来であるという言い方をしたりします。

 (2)、再評価されるブリル・ビルディング・サウンド

  ①、意義

   ・ロックンロールがいろいろな不幸があって停滞し、1964年にビートルズが着てやっと若者らしい音楽が復活したんですけれども、その間の期間(1957年から1963年)はティン・パン・アレー的なものが保守反動として復活してしまったというニュアンスでとらえる人が、昔は比較的多かったような気がします。しかし、アメリカでは1990年代から2000年代にこの時代の再評価がすすんでいます。この時代にはビッグネームがないわけですね。エルヴィス・プレスリーとか、ビートルズとか燦然と輝く固有名詞がいないわけですね。よって、評価が低かったんですけれども、作家研究から文化史研究という大きな研究動向の流れがありまして、音楽でもビートルズとかエルヴィス・プレスリーとかの固有名ではなくて、この1960年代に、例えばレコーディングスタジオが発展したとか、ダンスの流行で非常に重要であったとか、こういう文化を固有名詞で語るのではなくて文化史的にとらえるという学術研究の方向性のシフトとこの時代の評価は非常に連動していると思ってください。ただし日本のリスナーの場合は特殊で、大瀧詠一さんや山下達郎さんの番組でこの辺の時代の音楽をいろいろやったことが、後になって学術的にも正しかったんだと知ることが多かったと思います。

  ②、レコーディング技術の圧倒的な進化

   ・この時代が再評価される一つの要因として、レコーディングスタジオ、レコーディング機器の圧倒的な進化が挙げられます。音楽プロデューサーのフィル・スペクター(Phil Spector)はレコーディングスタジオでいろいろな実験を始めます。レコーディングスタジオは、レコーディングというわけですから、これまでは音楽を演奏する人たちがいて、演奏している人たちをうまく記録できればいいなというものだったんですけれども、この頃から、多重録音であったり、様々な技術の進化によって、レコーディングスタジオの中で一から音を作っていくということを始めます。普通はバンドがレコーディングをするというと、ドラムがいて、ベースがいて、その音をとって、その後にギターやキーボードを重ねていって、最後はボーカルを入れてという感じなんですけれども、フィル・スペクターはギターをスタジオに4、5人入れて、ベースも2、3人くらい並べて、総勢20人とかものすごい数の人数をスタジオの中に詰め込んで、一斉にに音を出させて、それをエコー・チェンバーといって反響室で音をワンワン反響させたのを録音するということをします。一つ一つの楽器の音の輪郭がはっきりとしたレコーディングではなく、こうすると非常に音に迫力がでるわけですね。これは後に「ウォール・オブ・サウンド」、音の壁と呼ばれました。このフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドのわかりやすい例として、ザ・ロネッツ(The Ronettes)のBe My Babyや、ザ・クリスタルズ (The Crystals)のDa Doo Ron Ronとかヒット曲があるんですけれども、この曲が一番わかりやすいと思うので、アイク&ティナ・ターナー (Ike & Tina Turner)のRiver Deep - Mountain Highを聞いていただきます。反響の深さに注目していただきたいと思います。



  このように、フィル・スペクターだけではありませんが、レコーディングスタジオの中での実験が出てきて、例えば1960年代後半にビートルズもテープの逆回転であったり、多重録音であるとか、いろいろなことをやるようになって、単に演奏を記録するだけではなくて、レコーディングスタジオの中で作り出すということがこの時代に非常に大きく進化したということです。

3、アメリカの音楽史における1957年から1963年までの期間の再定位

 ・1964年にビートルズがアメリカにきて、大変なブームが起こります。1964年2月9日にエド・サリヴァン・ショー(The Ed Sullivan Show)でて演奏して、今はDVDでいろいろな映像でみることができると思います。この映像を見て強調しておかなければならないことは、女性ファンが非常に熱狂的に応援しているシーンが有名ですけれども、1964年の時点では需要としては、アイドルであったわけです。つまり、ロックミュージックという認識よりは社会的にはアイドルとして受容されたと考えた方がおそらく正解であろうと思います。もしそうだとすると、ロックンロールでエルヴィスがいたんだけれどもロックンロールが衰退して、その後ビートルズが出てくる1964年までは保守反動の時代であるという見方がありますけれども、実はそうではなくて、フィルスペクターがレコーディングスタジオで実験していたのは、あるインタビューで「アイドルポップスにロックンロールの迫力を与えたかったんだ」という言い方をしているんですね。となると、ロックンロールからフィル・スペクターのスタジオでの実験を経てビートルズになるというのは、そこは連続性を持ってみることができます。ではビートルズは何であったのかというと、1964年の頃はアイドルポップスの延長線上としてとらえることができると思います。そうなると、その間の期間を保守反動ととらえるよりは、連続性の中でとらえることができるのではないかと私自身は考えております。


記事検索
スポンサーサイト
スポンサーサイト
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

音楽のおべんきょうφ(.. )メモメモ