今回は「JAZZ」の第十回「バードの死 」からデイヴ・ブルーベックについてまとめます。
1、意義
・戦後、人口が急増していったウエストコースとでデイヴ・ブルーベック率いるカルテットは新世代のジャズを切り開いていった。
2、来歴
(1)、ユニークな拍子
・ブルーベックは戦地から戻った後、フランス人の作曲家ダリウス・ミヨーのもとで音楽を学んだ。ミヨーはブルーベックに「世界中のいろいろな文化の音楽に耳を傾けなさい。そこで感じた新鮮なものをすべてジャズの表現に持ち込みなさい。」と説いた。例えば、ブルーベックはトルコのある町で、二拍子と三拍子を合わせた八分の九拍子という今まで聞いたことのないようなリズムの即興演奏に出会い、それを楽曲に取り入れていった。
(2)、デスモンドとブルーベック
・ブルーベックは1951年に水泳中の事故で首を痛めてピアニストとしての危機に瀕した。しかしあきらめずにメロディーを奏でるのではなく和音を連打するブロックコードの手法を使い始める。それがカルテットのアルト・サックス奏者のポール・デスモンドの演奏と合わさって完璧なものとなった。彼らは新しい演奏を獲得したのである。
(3)、名曲「Take Five」
・アルバム「Time out」を製作中に、ブルーベックは今までになかったジャズのリズムに挑戦するつもりであった。その時、デスモンドに五拍子で何かやらないかと持ちかける。デスモンドはいくつかのフレーズを考えてブルーベックに示す。そうして完成したのが「Take Five」である。また、この曲が入ってるアルバム「Time out」はジャズ史上ではじめて100万枚以上を売り上げる大成功をおさめた。