ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

ビートルズ(The Beatles)小史 その2

1、7th「リボルバー」(Revolver)

 ・日本公演の一ヵ月後に発売された。スタジオで作られた実験的なサウンドで、ビートルズの新時代を感じさせた。一方で、ライブでは歓声にかき消されて自分達の演奏もよく聞こえない状態であり、1966年のライブを最後にビートルズは大観衆の前から姿を消した。

 

2、8th「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)

 ・長時間スタジオにこもって完成させた史上初のコンセプトアルバムである。ロックを芸術の域まで高めたといわれ、時代に大きなインパクトを与えた。

 

3、All You Need Is Loveの世界同時衛星中継

 ・1967年、泥沼化するベトナム戦争に対して、ビートルズはAll You Need Is Loveを世界同時衛星中継で3億5000万人に向けて歌った。

 

4、9th「マジカル・ミステリー・ツアー」(Magical Mystery Tour)

 ・ポールを中心に製作された同名テレビ映画のサウンドトラック。中期ビートルズを代表するカラフルな名曲のオンパレードである。この頃からビートルズの主導権はポールが握り始める。

  

 

5、10th「ザ・ビートルズ」(The Beatles)

 ・二枚組みで発売され、通称は「ホワイトアルバム」。それぞれの個性が際立った全30曲の中には四人が別々にレコーディングした曲も多い。ライブツアーをやめて二年たちビートルズはまとまりを失っていた。

  



6、11th「イエロー・サブマリン」 (Yellow Submarine) 

 ・ジョンの関心はだんだんビートルズからはなれてゆく。



 

7、ゲット・バック・セッション (Get Back Session)

 ・1969年1月、原点に帰ろうということでポール主導でセッションが行われる。しかし、かえってメンバー間の温度差を浮き彫りとする結果となった。1969年3月12日、ポールはリンダ・イーストマンと結婚、1969年3月20日にはジョンがオノ・ヨーコと結婚し、ビートルズはそれぞれの道を歩き始める。

 

8、12th「アビイ・ロード」(Abbey Road)

 ・1969年7月、最後のアルバムを作るために四人は再び集まる。最後のチームワークが完成度の高い名盤を生み出した。

 

9、13th「レット・イット・ビー」(Let It Be)

 ・1970年4月10日、ポールのビートルズ脱退が報道される。ゲット・バック・セッション (Get Back Session)をまとめたこのアルバムで、ビートルズは八年間の歴史に幕を下ろした。

 



10、解散後のビートルズ

 ・1994年、BBCラジオ出演時の音源が「ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC (原題:Live at the BBC)」としてリリースされる。

 ・1995年から1996年にかけて、デモテープやライブなど資料的な音源集である「ザ・ビートルズ・アンソロジー (The Beatles Anthology)」がリリースされる。

 ・2003年、オーケストラなどを取り除いたリミックスである「レット・イット・ビー...ネイキッド(Let It Be... Naked)」がリリースされる。

 ・2006年、アメリカ編集盤を紙ジャケットで復刻した「ザ・ビートルズ '65 BOX」がリリースされている。

ビートルズ(The Beatles)小史 その1

1、1st「プリーズ・プリーズ・ミー」(Please Please Me)

 ・1962年10月5日、ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)でデビューする。セカンドシングルのプリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)で全英1位を獲得し、イギリスでの人気グループとなる。最初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」(Please Please Me)は10時間で一気に録音したが、30週間連続1位を続けた。熱狂的ファンのビートルズ・マニアが出現する。

2、2nd「ウィズ・ザ・ビートルズ」(With the Beatles)

 ・1963年11月に発表されたこのセカンドアルバムによって、ビートルズ・サウンドは確立された。

 

3、アメリカ進出

 ・ビートルズはアメリカへと進出し、1964年2月1日、5枚目のシングル「抱きしめたい」(I Want To Hold Your Hand)は全米1位を獲得した。さらに、1964年2月7日にはビートルズはアメリカの初上陸し、人気番組である「エド・サリバン・ショー」へ出演した。この時のテレビ視聴率は72%でありテレビ史上最高視聴率であった。



4、3rd「ハード・デイズ・ナイト旧邦題「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」(A Hard Day's Night)

 ・全曲オリジナルであり、同名映画のサウンドトラックであった。ビートルズはワールドツアーを成功させて世界一多忙なバンドになった。

 

5、4th「ビートルズ・フォー・セール」(Beatles for sale)

 ・ツアーの合間をぬって録音されたアルバム。ジョンは心の内面をこのアルバムから歌い始めた。 

 

6、5th「4人はアイドル」(Help!)

 ・人気絶頂のこの時期、ジョンは内心SOSを叫んでいた。この頃からバンドサウンドに限らない音楽を模索し始める。

 

 

7、スタジアム公演

 ・1965年8月15日、世界初のスタジアム公演をニューヨークのシェイ・スタジアムで行う。観客動員数は5万5600人であり、これは世界記録であった。1966年10月にはイギリス王室より勲章の授与をうけている。

8、6th「ラバー・ソウル」(Rubber Soul)

 ・ソウルやインド音楽などさまざまな要素を取り入れた斬新なアルバムである。ビートルズはライブバンドからアーティストへと踏み出していった。





9、来日

 ・1966年6月29日、ビートルズは来日する。

現代音楽について

 今回は「BAZOOKA!!! 新垣隆の現代音楽をあなたに」より現代音楽についてまとめます。

1、現代音楽とは?

 ・音楽のシステムからはみだしたいという欲求があって、この欲求をおしすすめたのが現代音楽である。

2、歴史

 (1)、現代音楽の芽生え

  ①、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー

   ・1913年、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが発表した「春の祭典」において、いままでになかったロシア民謡や激しい打楽器を導入して物議を醸した。このクラシック音楽からはみ出す試みが現代音楽の芽生えとなる。

  ②、イタリアの前衛芸術グループ「未来派」

   ・ストラヴィンスキーの「春の祭典」と同時期に、イタリアの前衛芸術グループ「未来派」は騒音楽器「イントナルモーリ」を発表する。ただの騒音を音楽として楽しむことを提示する。

 (2)、十二音音楽の技法の確立

  ・1920年代、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルグはハーモニーにならない音だけで音楽を作る十二音音楽の技法を確立する。この調子はずれの音楽は「無調」と呼ばれてクラシック音楽とは別の可能性を提示する。

 (3)、ジョン・ケージ

  ・1950年代、アメリカの音楽家ジョン・ケージが「偶然性」という概念を提唱する。楽譜に書いたものだけが音楽ではないと主張して芸術や思想などに衝撃を与える。

 (4)、電子音楽の台頭

  ・ドイツの作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンが周波数チェックのために使う発信機から出る音だけで曲を作るなど、電子音楽が台頭してくる。

 (5)、ミニマルミュージック

  ・1960年代、アメリカの作曲家スティーブ・ライヒが短い音の断片を繰り返すミニマルミュージックの技法で作った曲を発表する。このミニマルミュージックの技法はテクノなどのダンスミュージックに直接的な影響を与えた。

3、曲

 ・John Cage - Prepared Pian

 ・John Cage - 4'33"

  →この曲の楽譜には休符を意味する「TACET」しか書かれておらず、4分33秒の間に聴こえる全ての音が音楽であるというメッセージがコンセプトとなっている。

 ・Alvin Lucier - Music For Solo Performer

  →赤いバンドを頭に巻いて脳波で楽器を鳴らすというもの。

 ・Karlheinz Stockhausen - Helikopter-Streichquartett

  →四機のヘリコプターに奏者が乗り込んで上空でバイオリンを奏で、その映像をコンサート会場で中継するというもの。

 ・武満徹 - アステリズム

 ・南聡 - 誓えれば…の注解

フォークソングの歴史

 今回はフォークソングの歴史をまとめました。アメリカはウィキペディアを、日本は、「なぎら健壱のフォーク理論」と「なぎら健壱のフォーク講座」を参考にしました。

1、アメリカでのフォーク

 (1)、発生

  ・フォークという言葉は元来は民謡を指す。 1940年代以降のアメリカで、プロの作曲家が作った曲ではなく、民衆の間に昔から親しまれていた民謡を演奏するプロ・ミュージシャンの動きが台頭した。 やがてこれらのミュージシャンは民謡に影響を受けたオリジナル曲も歌うようになる。 生活苦などをテーマにした民謡に影響を受けた彼らは、人種差別反対、戦争反対などの社会的なメッセージを込めた曲を多く発表した。 演奏形態は、バンジョー、アコースティックギター、ウッド・ベースという楽器編成 。

  <代表的ミュージシャン>

   ・キングストン・トリオ(代表曲はTom Dooley)

   ・ピーター・ポール&マリー

   ・ボブ・ディラン

   ・ハイウェイメン(代表曲は漕げよマイケル)

   ・ブラザーズ・フォア

   ・ニュー・クリスティ・ミンストレルズ(代表曲はグリーングリーン)

 (2)、フォークロック

  ・1964年のビートルズのアメリカ上陸に影響を受け、エレクトリックギター、エレクトリックベース、ドラムスというロックの楽器編成(但し、アコースティックギターを併用する場合も多い)で演奏するようになった。これをフォークロックと呼ぶ。

  <代表的ミュージシャン>

   ・ボブディラン

    「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」や「追憶のハイウェイ」や「ブロンド・オン・ブロンド」の頃

   ・ロジャーマッギン(元バーズ)

   ・ジーン・クラーク(元バーズ)


2、第一次フォークブーム(昭和38年代から)

 (1)、意義

  ・日本にアメリカのフォークが伝わってキャンパスファークとかカレッジフォークと呼ばれたいた

 (2)、特徴

  ・おぼっちゃんおじょうちゃんの音楽、

  ・いい大学の大学生がやっている、

  ・精神的なものはない

 (3)、代表的なミュージシャン

  ・森山良子

  ・マイク真木

  ・ザ・ブロード・サイド・フォー

2、第二次フォークブーム(昭和43年から)

 (1)、意義

  ・アングラフォーク

  ・プロテストソングの時代

  ・作詞作曲のプロがつくった曲をうたうのはフォークとはいえない
 
 (2)、代表的レーベル

  ①、URC(アングラレコードクラブ)

   ・関西のレーベル

   ・高石ともやを中心に会員制のURC(アングラレコードクラブ)ができる

   ・既成のレコード会社ではできないものを発表

   <代表的ミュージシャン>

    ・岡林信康

    ・五つの赤い風船

    ・高田渡

    ・斉藤哲夫

    ・遠藤賢司

    ・友部正人

    ・シバ

    ・武蔵野たんぽぽ団

    ・加川良

    ・三上寛

  ②、エレックレコード

   ・西のURCに対抗して東ではエレックレコードができる

   <代表的なミュージシャン>

    ・吉田拓郎
   
     →しかし、エレックが印税を払わないので拓郎はやめる。

    エレックは変わりのスターとして

    ・泉谷しげる

    ・古井戸

    ・海援隊

    ・富田一郎

    ・生田敬太郎

3、第三次フォークブーム(昭和45年頃から)

 (1)、意義

  ・大手レコード会社の参入

  ・今までは素人がつくったものだと馬鹿にしていたがフォークが儲かるのではないかとおもって参入

  ・オーディションをたくさんひらく

  ・プロテストよりも青春歌謡のほうが売れる

 (2)、代表的レーベル

  ①、ベルウッド

   ・キングレコードのなかのレーベル

  <代表的ミュージシャン>

   ・あがた森魚

   ・高田渡もうつる

   ・西岡恭蔵

   ・小室等

   ・いとうたかお

  ②、ソウルフィット

   ・ビクターのなかのレーベル

  <代表的ミュージシャン>

   ・チェリッシュ

   ・黒い川

   ・アルフィー

ドリーム・シアター(Dream Theater )踏み絵説

 今回は、今日は一日プログレ三昧3より、何かと議論のあるドリームシアターについてまとめます。

 ドリーム・シアターを聞けるかどうかでプログレ好きかどうかの境目にあるバンドなんですよ。プログレといわれればプログレなんですけれども何かが違うという所もある。70年代のころのバンドはブルース感があったんですが、ドリーム・シアターはそれがない。確かにいいバンドであるけど、70年代のイディオムとはちょっと違っている。

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