ラジオFMのメモ

NHK-FMWorld Rock Nowでの渋谷陽一氏の解説で面白かったものをメモしてゆきます。

ロックにとって「冬」とは何か?

20160129

1、総論

 ロックというと夏のイメージがありますけれども、冬ですよね。まあ、夏もロックの季節なのかもしれませんけれども、冬においてもロックは名曲をたくさん生んで、それはたまたま冬の名曲があるのではなく、必然においてロックはウィンターソングの中に名曲が生まれてくる、そういう性格の音楽だという気がします。確かにロックというのは生命力が爆発して、エネルギーが爆発して、夏の暑さの中すごく発散するという要素もありますけれども、ロックを知らない世間のイメージとは違いますけれども、ロックというのは非常に内省的だし、心の闇と向き合う音楽だし、そして現実の厳しさをすごくシリアスにとらえる音楽だし、そして現実を批評的にとらえる音楽だし、そういうロックの中の重要な要素、そういう歌のモチーフを触発する季節として冬というのは、その必然において素材になりますよね。冬をテーマとした曲を紹介するには歌詞も紹介しないとなぁと思う曲がすごく多くて、やっぱり、歌詞を紹介するとその曲の深いメッセージというものが伝わってきたなぁという気がします。

2、各論

 (1)、Belle and Sebastian - The Fox in the Snow 

 

   雪の中の狐 
   どこに行くのだろう
   食べ物を探しに
   街でしゃべるのは空腹になるだけ
   そのままじゃダメだ
   寒さに震えていちゃダメだ
   雪の中の狐

 (2)、The National - Fake Empire

 

   ダイヤモンドのスリッパをはいて
   光り輝く街をつま先で歩いていく
   氷の上でゲイバレエ団を真似てみる
   肩には幸運を呼ぶブルーバード
   偽りの帝国で二人は夢うつつ
   偽りの帝国で二人は夢うつつ

 (3)、Outkast - Happy Valentine's Day

 

   バレンタインおめでとう
   毎日が14日
   キューピットが君のドアをノックしたら
   僕のことは無視できない
   バレンタインおめでとう
   毎日が14日
   愛が何であるのか知っていたら誰か教えて
   バレンタインおめでとう
   毎日が14日
   みんなの心が冷たくなったのが気になる
   今ではわかる
   実は僕も昔は悪だったから
   傷つきたくないのは分かっている
   でも逃げることはできないよ   
 
 (4)、Paul Simon - Getting Ready for Christmas Day



   11月初旬から12月末にかけてお金の事が重くのしかかってくる
   音楽は陽気でもそれは一時だけのもの
   サンタが街にやってくるのはわかっている
   この所昼間の仕事と夜の仕事を掛け持ち
   でも結局はしょせん労働する男の給料
   クリスマスに向けて準備に準備を重ねている所

   (ゲイツ牧師の演説のサンプリング)
   準備、クリスマスの準備をしているのです
   いいですか
   つまるところ葬儀人があなた方の肉体のために準備をしているのです
   それだけではありません
   牢獄の番人もあなた方のために準備をしているのですよ
   クリスマスですよ
   分かりますか
   牢屋の番人だけでなく弁護士警察もそうです
   さあクリスマスの準備に取り掛かる中であなた方はこれを忘れてはならないのです
   
   イラクに三回目の派遣をされている甥がいる
   でもその終焉は始まりと同じ
   ビギナーズラックで彼は七面鳥を夕飯に食べるだろう
   パキスタンのどこか山の上で
   準備をしているんだ
   準備をしているんだクリスマスの
   権力、栄光、そして物語のために
   
 (5)、The Pogues - Fairytale of New York

 

   「もっと違う何かになれたはずだ」
   「ええみんなそうよ
    あなたが私の夢を奪ったのよ
    あなたとはじめてであった時に」
   「君の夢は今でも俺が持ってるよ
    俺自身の夢と一緒に持っている
    俺は一人では何もできないんだ
    君の周囲に俺の夢を作り上げていたんだ」
   ニューヨーク警察聖歌隊の少年は
   まだGalway Bayの歌を歌っている
   クリスマスの鐘が鳴り響いていた

 (6)、The Kinks - Father Christmas

 

  (主人公の「僕」がデパートの前でサンタの格好で客寄せで立っていると子供たちがやってきた)
   「やいサンタ、金を出せ
    つまらないおもちゃでごまかすなよ
    そんなものはリッチボーイにくれてやるんだな」
  (その後に続いて)
   「パパに仕事のプレゼントをくれ
    パパは必要な人だ
    家族がたくさんいるからな」

 (7)、Tom Petty and the Heartbreakers - Out in the Cold

 

   日が落ちて空気が冷えていった
   俺は通りを歩いたのさ
   1、2マイルは白昼夢を見ているのだろうか
   働く少年のように自分の足を見つめる
   運に見放されチャンスをつかみそこない
   背中につらい風が吹く
   寒さの中身も心も冷えて行く所すらない俺
   寒さの中外にいる俺

 (8)、Queen - A Winter's Tale

 

   それは初冬の頃
   輝く暁に空
   天高くカモメが舞い
   白鳥は水藻を漂う
   煙たなびく煙突
   これは夢
   僕は夢を見ているのだろうか

世界の野外ロック・フェスティバル概観

20130830

1、グラストンベリー・フェスティバル(Glastonbury Festival)

 イギリスの代表的なフェスといえばグラストンベリー。1970年から続いているイギリスを代表する野外フェスで、ロンドンの南西に900エーカー(約3.6 キロ平方メートル)に及ぶ広大の農地、この農地のオーナーがやっているんですけれども、敷地内にサーカスやパフォーマンスなどいろいろなアトラクションがあって、本当に巨大なエンターテイメントイベントとなっています。2013年のヘッドライナーは一日目がアークティック・モンキーズ(Arctic Monkeys)、二日目はザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) 、三日目はマムフォード・アンド・サンズ (Mumford & Sons)。ストーンズは半世紀を経てはじめての出演で、昨年から続くデビュー50周年ツアーの中で、グラストンベリーにも登場ということが大きな話題になりました。ロックというのはいろいろ変質してきていろいろな価値観の変化があるんだけれども、でもウッドストック的なものを持ちながらでもやはり2013年に対応するある意味すごく理想的なフェスの形をいまだに続けている、そういうすばらしいフェスなんですけれども、そこで2005年にコールドプレイ(Coldplay)が初めてグラストンベリーでトリをつとめた時の音源をきいていただきます。Politik。



2、レディング&リーズ・フェスティバル(Reading and Leeds Festivals)

 グラストンベリーと並ぶイギリスのレディング&リーズ・フェスティバル。もともとはレディングフェスと言っていたんですけれども、最近はロンドンに近いレディングと、マンチェスターに近いリーズの二都市で開催していて、それぞれアーティストは会場を日を変えて出演するというスタイルです。1998年まではレディングのみで開催して、1999年からリーズも含む現在の形になりました。2013年は三日間のヘッドライナーは、グリーン・デイ (Green Day) 、エミネム(Eminem)、ビッフィ・クライロ(Biffy Clyro)という豪華なメンツで行われたんですけれども、今回ここではニルヴァーナ (Nirvana)の歴史的なパフォーマンスを聞いていただこうと思います。ニルヴァーナはいろいろあって1992年1月にアルバム「Nevermind」と全米ナンバーワンに送り込んで、その後カートが体調を崩しまして、ツアーをキャンセルして6月からツアーに復帰したんですけれども、8月にカートはもういっぺんリハビリの施設に入っちゃって25日間のリハビリを経てこのレディングに出演ということだったんですけれども、本当に大丈夫なのみたいな感じだったんですが実際に出てきて、ステージがはじまったら車いすに乗って登場して、当然演出だったんですけれども、でも客席はどよめいたんですよ。そしたらバーンとはじまるというありがちな演出なんですけれども、そこで歴史的なパフォーマンスをやったというこれもフェス伝説の一つなんですけれども、そのナンバーを聞いてください。Breed。

 

 これもすごい演奏ですけれども、ドラムのデイブ・グロールすさまじかったですね。

3、コーチェラ・ヴァレー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバル(Coachella Valley Music and Arts Festival)

 1999年にスタートしました。カリフォルニア州のインディオの砂漠地帯コーチェラ・ヴァレーで開催されている、これは本当にいまやアメリカの代表的なフェスになりましたけれども、今のロックシーンを代表する非常に強力なラインナップをそろえて、今年2013年のヘッドライナーは初日は週替わりでザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)とブラー(Blur)が担当して、二日三日目は一緒でフェニックス (Phoenix)とレッド・ホット・チリ・ペッパーズ (Red Hot Chili Peppers) がやったとそういう、今やもうアメリカのグラストンベリーという表現は変かもしれませんけれども、アメリカを代表する圧倒的に成功しているすごいフェスです。

4、ボナルー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバル(Bonnaroo Music and Arts Festival)

 2002年にスタート。テネシー州ナッシュビルの広大な農園で開催されておりまして、土地柄、ジャムバンドとかルーツミュージックに特化したフェスとして始まりましたけれども、その後すごく大きくなりまして、コーチェラ、ロラパルーザと並ぶアメリカ三大フェスの一つと言われております。初日は主要ステージがオープンしないのでヘッドライナーは二日目からなんですが、2013年の二日目はポール・マッカートニー(Paul McCartney)、三日目がジャック・ジョンソン(Jack Johnson)、四日目はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ(Tom Petty and The Heartbreakers)という、非常に多ジャンルのアーティストがヘッドライナーをやって、三日目のジャック・ジョンソンはマムフォード・アンド・サンズのベーシストが緊急手術のためにキャンセルして代わりにでたんですけれども、でもやっぱりこの中では二日目の登場のポール・マッカートニー。ワールドツアーをやって日本にも来ますけれども、そのポールがトリをやったというのもすごく今年のボナルーの事件だと思います。

5、ロラパルーザ(Lollapalooza)

 ジェーンズ・アディクション(Jane's Addiction)のペリー・ファレルの発案で、全米をまわるニューウェーブ、オルタナ、ヒップホップのすごく提案性の強いフェスだったんですけれども、本当に盛り上がって役割を果たしたのちに自分たち的にはもうこれでいいやと、やることはやったからという感じでいったん終わったんですけれども、その後また復活して、現在はまた固定的なフェスとしてそれはそれなりに評価があって、一つの重要なフェスとしていまだにサバイバルしているんですけれども、2013年のヘッドライナーは初日がザ・キラーズ (The Killers) とナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails)、二日目はマムフォード・アンド・サンズとザ・ポスタル・サーヴィス (The Postal Service)、三日目はザ・キュアー (The Cure) とフェニックスというこれも非常に豪華絢爛です。

渋谷陽一、野外ロック・フェスティバル(Rock Festival)の歴史を語る

20130830

1、モントレー・ポップ・フェスティバル(Monterey Pop Festival)

 モントレー・ポップ・フェスティバルが1967年6月16日から18日にカリフォルニア州モントレーで開催されたんですけれども、今でこそロックフェスというとごくごく日常的に行われているイメージがありますけれども、もともとはロックフェスというよりはジャズフェスというというのが、世間ではロックが大きな市民権を得る前は一つのイベントだったんですね。そのジャズがいろいろなジャンルを取り込んでいって、モントレー・ポップ・フェスティバルとかモントレー・ジャズ・フェスティバルとか言われていたんですけれども、もともと大きなジャズ・フェスティバルだったんですけれども、そこにロックが参入してきたというか、新しい勢いで1967年、ロックがニューロックとかハードロックとか言われて、新しい才能がどんどん出てきた時に、ポップ・フェスティバルにロックミュージシャンが出て、予想以上に盛り上がったという事態が起きたわけです。今になって歴史を紐解いてみるとここからロックフェスって大きく台頭がはじまったなぁという感じがするんですけれども、ちょうどサマー・オブ・ラブ(Summer of Love)、ヒッピー文化とかサイケディック・ロックとかそういうものが出てきて、これまでのポップミュージックの口当たりのいいポップソングだったものが、変な格好をして変なことをして歌うロックという新しい価値観の音楽が出てきたぞ、でもこれはすごくないかというちょうどその変わり目にこのモントレー・ポップ・フェスティバルがあって、それを世間的に知らしめる役割を果たしたんですね。そこには、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)とかオーティス・レディング(Otis Redding)とかジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)とかザ・フー(The Who)だとか、今となってはすごい、でも当時はこれらの人たちがどんなものなのかよくわからなかったわけですね。一部のジャンルですごいと言われていたものを、このときは20万人の人たちが一気に目撃して、これは何なんだというショックを与え、そしてここからロックが圧倒的なメインストリームになっていくという、今考えてみればロックフェスの基本的な役割と機能みたいなものがここでスタートしたと言えるのではないのでしょうか。そのモントレーの貴重な音源から、当時はビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company) と言っておりましたけれども、そこのリードボーカリストがジャニス・ジョプリンなんですけれども、今となればジャニスといった方がいいかもしれません。Down On Me。



 この当時はそれほどメッセージ性はなく、まだいわゆるポップ・フェスティバルだったんです。次にウッドストックを聞くんですが、そこから一気に変わるんですけれども、ジャニスの歌声ってすごいですよね。

 モントレー・ポップ・フェスティバルはいろいろなジャンルの人の演奏があって、続いてはオーティス・レディング。R&Bというのはこれ以前にもありましたが、この辺りの時期に変質してきました。例えば、ビートルズ(The Beatles)が1963年とか1964年にあって、当時においてもアメリカでR&Bは主要な音楽であったのですが、そのR&Bに影響をうけたビートルズがアメリカに乗り込んでどういうことが起きたのかというと、逆にR&Bのミュージシャンの市場を奪ってしまったという、非常に倒錯的な出来事が起きたのですが、R&BもポップミュージックとしてのR&Bからもうちょっと違う、ロックが変質したのと同じような形で新しい形の、僕らが聞くとロックっぽいというオーティス・レディングとか新しい才能が生まれてきました。このような時代の変化の中でモントレー・ポップ・フェスティバルにオーティス・レディングが登場した時の衝撃の演奏を聴いてください。Shake。



 当時はジャズもポップミュージックもフォークもロックもR&Bもモントレー・ポップ・フェスティバルの中でみんな並列に演奏されていて、その中でロックがあまりにも巨大な存在感を示してきたということで、ここでジミヘンがギターを燃やす、ピート・タウンゼントがギターをアンプに叩きつけて壊すみたいなパフォーマンスは、今ではそうですかという感じですが、当時はなんなんだこの人達はというインパクトが、しかもそういうアバンギャルドなことをやりながらも音楽そのものはものすごいクオリティーとものすごい大衆性を持っていたという、すごいですよね。

2、ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)

 1969年8月15日から17日、愛と平和の三日間ということで伝説となるウッドストック。これはもう僕自身も鮮烈な印象で同時代のものとして記憶しているんですけれども、動員が40万人。参加している人たちも何が起きているのかよくわからないという。半数以上が入場料を支払わずに入場したために事実上の無料イベントになってしまいました。道路も閉鎖されてしまって、アーティストも来れなくなってしまってヘリコプターで急きょ移送するぞ、水が足りなくなったぞ、食料が足りなくなったぞ、いったいこれは何なんだと、本当に事件だったんですね。なんでこのようなことが起きたのかというと、要するにロックっていう音楽の求心力が自分たちの想像を越えて、行きたいという人たちがすごくいっぱいいてしまった。で、事態がわけの分からないことになってしまった。ちょうどそのときにロックという音楽がすごい力をもってきた。そして、ロックが主張したラブ&ピース、ベトナム反戦みたいなものもあったのかもしれな、ヒッピー文化もあったのかもしれない、そういうようなものと一緒になって、自由に多くの人たちがロックという音楽を楽しむために、頭に花か何かをのっけて、自由な気分で一つの大きなイベントをやろうという、音楽と思想と時代背景と商業的なニーズとありとあらゆるものが全部集まってドカンと爆発したのがウッドストックなわけです。このウッドストックのすごく象徴的な曲がリッチー・ヘブンス(Richie Havens)のFreedomという曲です。アーティストがいろいろ来れなくなってしまって、もともとリッチー・ヘブンスはウッドストックで一番最初に歌うはずではなかったのですが、ウッドストックの最初のアーティストとして出てくるわけですね。もともとはカバーとかをやっているアーティストなんですけれども、有名なゴスペルのナンバーであるMotherless Childを自分なりにFreedomという曲にして演奏するという、まさにウッドストックという空間の中のみんなの気持ち、そしてこのフェスのメッセージ、それをFreedomという言葉にして即興で歌い上げました。その後、リッチー・ヘブンスはこのFreedomという一曲によって、先日72歳で亡くなりましたけれども、ずっと語り継がれていきました。数分くらいの自分の中での思い付きのパフォーマンスだったのかもしれないけれども、時代背景からなにから全部背負ってやられたパフォーマンスだったので、その後何十年間も彼はこのFreedomによって語られるという、それが幸せだったのかどうかはなかなか議論があるところでしょうが、まさにウッドストックを象徴するナンバーを聞いていただこうと思います。Freedom。



 やはりウッドストックで同じように伝説となったのがジミ・ヘンドリクスの星条旗よ永遠なれ(The Star Spangled Banner)とかPurple Hazeで、星条旗よ永遠なれはギターによって戦争のいろいろな音を自分で作って、それで自分の反戦の思いとかアメリカ国歌にのせてやる批評性とか、当時の時代的な空気みたいなものをまさに反映している演奏だし、それからPurple Hazeもジミヘンの代表的なヒットソングだし、どちらもウッドストックというイベント、そしてこの時代の空気を反映したものだと思います。The Star Spangled BannerとPurple Haze。

 

 今では当たり前のギターのファズとアーミングですけれども、この時はほとんどの人が初体験かもしれないですね。ウッドストックにおけるジミヘンの演奏はすばらしくて、ただこの後最後にウッドストックの映画だとゴミの山の中でもう一曲ジミヘンの静かなインストが流れたりする画面があるんですけれども、このようにウッドストックは歴史的なものを作ったんですが、実は私はこの当時から音楽評論家をやっておりましてそれくらい歴史が長いんですが、その時にウッドストック大批判というものを書いておりました。要するに、この当時はウッドストックはすごい、ウッドストックこそ究極の理想郷だみたいな事が言われていて、なんとここでは40万人が集まって子どもも2人生まれたりしていたすごいぞとみんな大騒ぎしていたんですが、確かにロックや新しい価値を提示してすごんですけれども、そんないいことばかりあるわけないじゃないと。そこには混乱もあるし、起きた事態を全然収拾できない幼さもあるし、結局ウッドストックは一回で終わってしまうんですけれども、近隣に対してえらい迷惑をかけたりしたし、けが人もあったし、結局理想郷でもなんでもないわけです。奇跡もすごかったけれども、その奇跡が何であるのかもつかみきれないまま非常に混沌とした事態が起きていた、それを理想郷って言っちゃったらしょうがないだろうみたいなそういうことを、当時私は10代だったんですけれども、そんなことを言っていたのは僕だけだったので本当に嫌われましたけれども。

3、ワイト島音楽祭(The Isle of Wight Festival)

 1970年にワイト島音楽祭が行われます。これはイギリスの避暑地ワイト島で60万人集めてウッドストックのようなイベントが行われたんですけれども、ライブパフォーマンスはすばらしかったしお客さんもたくさん集まったんだけれども、主催者と音楽で金を儲けるとかとんでもないというお客さんとの対立があって、主催者のMCがアーティストを紹介するたびに「お前ら金払え」って客に言って、客にブーイングをされるという混乱の中で、結局ワイト島も終わってしまうという。ロックフェスというのはエネルギーの爆発と新し価値観の提示があったと同時に、自分たち自身でその爆発をコントロールできないという事態もあったということです。時代を象徴するウッドストックであったり、ワイト島であったりするんですけれども、でもそこであったひとつの理想を求めるエネルギーはその後何十年にも渡ってロックを動かす思想にもなっていくんですけれどもね。ジミヘンの死の直前の演奏もあるんですけれども、ここではフーの音源を聞いていただきたいと思います。Young Man Blues。

 

 すごい。みんな勝手ですね。チューニングとかもあってないしエネルギーしかないですね。

4、カリフォルニア・ジャム (California Jam)

 ヒッピー幻想というか、サマー・オブ・ラブの理想主義というかそういうものの究極の形のロックフェスというのがだんだん変質してきて、いろいろな形のフェスが増えていくんですけれども、続いては1974年カリフォルニア州オンタリオで行われましたカリフォルニア・ジャム。カリフォルニア・ジャム2というのが1978年に行われて、そこではエアロスミスなどが出演したんですけれども、1974年はディープ・パープル(Deep Purple)とエマーソン・レイク・アンド・パーマー(Emerson, Lake & Palmer) がダブルヘッドライナーで、ここでのディープ・パープルの演奏なんですけれども、これは映像が残っているので見るとびっくりしますけれども、ステージで火をつける演出をやったら想定外に火がついてしまってステージが燃え上がるんですけれども、それを全く気にしない、それがどうした状態で演奏を続けるリッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore)の姿があまりにも鮮烈で、この映像はみるとみんな腰を抜かしますけれども、いわゆるロック幻想というかウッドストック幻想とは違う形で、フェスがみんなにエンターテイメントとして提供されるという大きな動きのひとつの代表的なものだと言えるのではないのかと思います。ディープ・パープルの歴史的な演奏を聞いていただこうと思います。Burn。


 
 演奏もいままでの1960年代から70年代の初頭とちょっと変わってきましたね。ウェルメイドな感じになってきましたね。

最高のエンディングが訪れる法則とは?

20121026

1、考察

 (1)、アナログレコードの時代

 私は音楽評論家として、最高のエンディングが訪れる法則を発見しまして、それはたいしたことではないんですが、アルバムのラストナンバーが多いですよね。A Day In The Lifeもそうだし、Caroline, Noもそうだし、ライブアルバムでちょっと性格は違うかもしれませんがWhere Did You Sleep Last Nightもそうだし、そしてStairway to Heavenもそうだと思います。えっ、Stairway to Heavenはアルバムのラストじゃないじゃないって思われるかもしれませんが、これはA面ラストの曲なんです。特に、ビートルズ(The Beatles)、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)、そしてあえて言うならレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)というのは、昔のアナログ盤を聞いて、針を落として、エンディング曲が終わった時にターンテーブルから針を上げてという、非常にアナログな行為の中の、その物語性の中でアルバムのラストナンバーって存在しているんですよね。CDになるとアルバムのラストナンバーもへったくれもなくてすごくランダムに聞くようになってしまうんですけれども、そういうような物語の中でA Day In The LifeもCaroline, NoもStairway to Heavenもあのエンディングあったのではないのかと、そんな法則を発見して、特にビートルズとビーチボーイズについてはそんな感じがしました。そして、Stairway to HeavenもA面ラストという性格が非常に強いという感じがしますよね。A面って何十年ぶりに言ったのかなぁっていう言葉ですけれども。

 (2)、最近の傾向

 今のような非常にデジタルな楽曲の聞かれ方をすると、その中でエンディングに力を入れるという発想がだんだん薄れてきているのかなという気も正直します。でもやっぱりもういっぺんアルバムをトータルで聞くとか、一曲をその物語性で聞くとか、そういう聞かれ方も最近の新しい流れとして存在してきているのではないのかなと思います。それは僕はヒップホップの影響もあると思うんですけれどもね。ヒップホップが持つ言葉というものが、より一層、最終的な物語の完結を要求するような曲の作り方も最近増えてきていると思います。カニエ・ウェスト(Kanye West)のあのものすごい超大作は、本当に60年代70年代のアナログレコードの大作感が感じられて面白いなぁと思って僕なんかははまってしまったんですけれども、いろいろな意味でこのエンディングってロックやポップを考える上で重要なんだなと思いました。

2、実証

 (1)、原則

 The Beatles / A Day In The Life



 The Beach Boys / Caroline, No



 Nirvana / Where Did You Sleep Last Night



 Led Zeppelin / Stairway to Heaven 



 (2)、例外

  AC/DC / For Those About to Rock (We Salute You)


これがパンクだ!!

world rock now 20011029

1、The DamnedのNew Rose

 ・ダムドの実質的なメジャーレーベルでの第一弾シングルで、デビューシングルといってもいいナンバーです。1970年代後半に出現しましたイギリスのパンクロックシーンを代表するダムド。このデビュー曲はニック・ロウ(Nick Lowe)がプロデュースしておりまして、そういった意味では音楽的にも非常にコントロールされたナンバーですけれども、所謂初期のパンクのエネルギーの溢れたナンバーであります。ダムドというのは非常に短命なバンドでありますけれども、いまだに語り継がれている伝説的なバンドでございます。



2、Bob DylanのMaggie's Farm

 ・ベテランミミュージシャンのパンキッシュな態度という意味で、これはパンクではないのかという曲であります。この演奏が入っている「Hard Rain」というライブアルバムは非常にパンキッシュなアルバムでありまして、なんとこのMaggie's Farmには五人のギターリストがギターバトルを繰り広げるという、わけの分からないことになっておりますが、実にボブ・ディランのパンクなアティチュードが爆発しているそういうテイクを聞いていただきました。




3、RancidのRuby Soho

 ・若手バンドの中でパンキッシュな態度を持つバンドです。彼らは、ものすごくメジャーでいろいろな契約があるにもかかわらずすぐインディーズに行ってしまったり、超メジャーなエージェントと契約をしていてもそれを蹴飛ばして自分たちで独自に活動をはじめたり、実にパンクな態度を一貫して行っている、志の高いバンドでございます。




4、SuicideのGhost Riders

 ・スーサイドというのは1976年に発表されましたマックスカンザスシティという当時ニューヨークで大変有名なライブハウスがありまして、そこで注目されているバンドをまとめたオムニバスのアルバムがありまして、この時代のマックスカンサスシティーに私行った事あるんですけれども、めっちゃくちゃ汚いところでしたけれども、そこで大変注目を浴びたのがスーサイドです。その後、オリジナルアルバム出して世間的にあまり認められないままどこか消えてしまったというバンドなんですが、ボビー・ギレスピー(Bobby Gillespie)が最近スイサイドのTシャツを着ているという話もありまして、今となってみたら再評価というポジションにいるバンドであります。今聞いてみるとスカスカしていて時代だなぁという気もしますけれども、いまや伝説化されているニューヨークパンクシーンのバンドです。




5、New York DollsのPersonality Crisis

 ・ニューヨーク・ドールズは活動していた時は結構キワモノ扱いで、実際にもそれほど人気が爆発したわけではないんですけれども、その後どんどん神格化されていって、有名な話ですけれどもセックス・ピストルズ(Sex Pistols)のスティーブ・ジョーンズ(Steve Jones)のギターはニューヨーク・ドールズのギターリストであったジョニー・サンダース(Johnny Thunders)のプレイから大きな影響を受けていて、それを自分たちのスタイルの中に取り込んだという意味でもまさに「パンクのお父さん」みたいなポジションにいるのかもしれません。スーサイドと同じくマックスカンザスシティのニューヨーク・ドールズはハウスバンドだったそうでございます。




6、Patti SmithのPumping (My Heart)

 ・1976年に発表された「Radio Ethopia」から聞いていただきました。このセカンドアルバムはプロデューサーとしてジャック・ダニエル(Jack Daniels)がやっておりまして、当時かれはエアロスミス(Aerosmith)のプロデューサーとして知られていて超売れっ子だったんですけれども、音作りはロックなオーソドックスなサウンドになっております。




7、the KinksのDavid Watts




8、The ClashのAll The Young Punks




9、Sex PistolsのPretty Vacant




10、PavementのSummer Babe




11、EminemのGuilty Conscience

 ・もっともコンテンポラリーなパンクミュージシャンです。


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